マーレ編 これの直後、アクアがルビィを助けに来てから アクア視点三人称
マーレ編 これの直後、アクアがルビィを助けに来てから アクア視点三人称
教室に駆け込んだアクアがまず目にしたものは、爆風のような魔力に吹き飛ばされる男の姿だった。隔てるものがなくなって、ルビィの絶叫と机のなぎ倒される轟音が耳をつんざく。それらが同時に止んで、あとに残ったのは散り散りになる魔力の気配と、少女の息の声。
「ルビィ!」
仰向けに倒れ、掲げた手をぱたりと落としたルビィに駆け寄り、抱き起こす。
ルビィはぼろぼろだった。あちこち血の付いた服はめくれあがり、露わになった胸には一筋の傷。右上腕には深い刺し傷があってまだ血を流している。頬は殴られて赤く、前髪が汗でべったりと額にはりついていた。乱れた下衣からは、目をそらした。
さすがにアクアにもマーレのしようとしていたことが察せられた。腹の底が氷でも沈んだように冷たくなる。目の奥は逆に熱くなって、突き転がされるように涙がこぼれた。
「っう、うう……!」
ルビィは泣かない。アクアはマントの端をかき寄せて小さな体を包み、抱きしめる。耳元でいつもと変わらない声が
「大丈夫だよ」
と言うまで、アクアはルビィにすがりつくようにしてすすり泣いていた。
「ルビィ」
「大丈夫だから。それより、」
ルビィは真剣に張りつめた表情のまま、ごく簡単に着衣を整え、教室の後ろを見やる。風に吹き飛ばされた机や椅子の間で、男が立ち上がったところだった。
ルビィに肩を揺すって促され、アクアも涙を拭って立つ。ぎらぎらと欲望の色が尽きないマーレの目に、自然とルビィを庇うような姿勢になる。ルビィに嫌がられはしないかと思ったが、以外にも少女は静かに、冷ややかな視線をマーレに送っていた。
がたん! とマーレがやかましく机を蹴った。舌打ち、それから足音をたてて五歩。アクアは怯えと警戒から肩を強ばらせる。
「アクアよ、よーくもやってくれちゃったな。あ?」
大げさな、いかにも芝居がかった声だった。その言葉は空虚で、会話のきっかけ以外の意味はなにもない。アクアはその問いに、質問で応じる。
「なんで、こんなこと……!」
マーレはそれに答えない。ただ言いたいことを言いたいように、アクアの嫌がることを嫌がるように言う。
「空気読めよなー。あと一時間……うーん、30分くらいか? それっぽっちも待てないのかあ? 悲劇のヒーロー演じるには未遂じゃ足らんぞ。おとーさんがよしと言うまで待ってなさい」
「っ」
声も出なかった。言葉一つ浮かばない。何を言われているのか理解できたのかさえ、分からない。ただ頭を殴られたようなショックがじんじんと体中に響いて、目眩のような錯覚を起こす。ルビィが、マントをかき合わせた手に傷だらけの手を重ねてくるが、その表情をうかがう余裕もなかった。
何を言っているんだ。この人はなにをしゃべっているんだ。
頭や体は緊迫の中、必死に状況を把握しようと働いているのに、心はなにかを拒絶して押し黙っているようだった。否、声を上げまいとうずくまっているようだった。
マーレはそれを見透かしたように、嫌味っぽい笑みをより深める。
「それとも何? お前が代わりに犯られちゃってくれんの?」
下品な言い回しが理解できず、一瞬虚を衝かれたようになったアクアに、マーレはくはっ、と吹き出して手を叩く。
「やっべ! いいなそれ、さいっこう! 息子の彼女に手え出す父親も相当ヤバいと思ってたけど、息子の彼女とはデキない代わりに息子に手え出しちゃうってか!? やべー、まじでやべえよ!」
マーレは腹を抱えて笑い出す。アクアはただもう、言葉を失うばかりだった。
夢とも、教えともまったく異なる現実。親としての愛どころか、一切の好意も、そして悪意もそこにはなかった。あるのは尽きせぬ興味だけ。それを前にして、アクアはまともな反応すら返せない。夢を与えたフィーの声が脳裏でこだまする。甘く優しいささやきは、言葉にならずに茫漠と響くだけだった。
ルビィの指が、ますます強くアクアの手を握る。そこにこもった確かな意図も、今は読み取れない。
茫然自失のアクアを現実の流れに引き戻したのは、マーレによる無情な一撃だった。
「んーで? どうすんの? カノジョ差し出すの? それとも『何でもするからこの子だけは!』か?」
ほら、とマーレが手を差し伸べる。誘いではない、要求の意味だった。自分かルビィか、どちらかを寄越せというのだ。そんな求めに応じるわけないなんて、端から考えていないような態度だった。
アクアは打ちのめされて今にも泣き叫びそうな心を叱咤し、現実へと、涙に濡れた目を向ける。
腕の中で、ルビィは動こうとはしない。顔はまっすぐマーレへ向いていて、表情も、どんな目をしているのかも見ることはできなかった。今、無性にそれが見たくて声をかけようかとさえ思ったが、やめる。腕の傷から血がしたたって、もう腹の辺りまで来ていた。ルビィのことは無理に動かさず、状況を打破したい。
自分一人でマーレ相手に立ち回る。それしかない。
ルビィの手を解こうとしたその時、頭上のスピーカーがばつん、と電源の入る音を吐いた。
このあとマーレをおっぱらってルビィが魔法使えなかった自分にイライラするのをあれこれ考えたり悩んだりしつつ見守るしかできないというところを一番書きたかったのにここで力尽きた