ゴッド視点三人称
ゴッド視点三人称
~これまでのあらすじ
訳あって、アクアとユール、ルサ・イルとゴッドとメイリンは二手に分かれることに。荒野を行くルサ・イルたちは、今夜の野宿場所を決め、夕飯の準備にあたっていた。
ゴッドがその場を離れメイリンと二人きりになった時、ついにルサ・イルがその本性を現す――!
目が眩むような惨状だった。地面に三つ、穿たれた穴。テントが破れて、骨に絡んで、旗のように風に揺れる。そもそもが薄かった草は火を放たれたように焼け焦げ、貴重な水はありったけ、その土の上にぶちまけられていた。明日の昼には必ず次の町に着くから、今ある半分は夕飯に使ってしまおうと、そう言ったのはルサ・イルだった。メイリンがそれを受けて、小さなやかんに水を移していたのがついさっきのこと。
今、メイリンは濡れた土の上に倒れ、力なく目を閉じていた。
「メイリン!」
駆け寄って抱き起こす。肩を抱く手が滑った。血だ。
「おい、しっかりしろ。イルはどうした?」
呼びかけの合間に慣れない回復呪文を挟み、手でぎゅっと傷口を塞ぐ。イルの姿は見えない。
なんとか出血が治まると、メイリンが細く目を開いた。
「う……あ、わた、し……」
「メイリン、俺だ。分かるか」
「ゴッドさ、ん……? っ、離れて、ここは……」
はくはくと息をするのも精一杯の体で、メイリンはゴッドの腕を押す。こんな状態のメイリンを置いて行ける訳がないことは、彼女にだって分かっているはずだ。それなのにそんなことを言う。その事実にゴッドはぞっとした。何か、計り知れないほど恐ろしいことが起きている。
予感が確証に変わる、そのきっかけを与えたのはゴッド自身だった。
「何があった? イルはどこへ行ったんだ?」
「――ここよ」
テントの旗の裏側に、よく知る影が立ち上がる。風が吹く度その輪郭がゆらゆらと崩れ、夕陽の中に魔物でも立っているみたいだった。
魔物は人間の、それも少女の小さな手で、テントの布を引き下げる。逆光に表情を隠したルサ・イルが、歩き出しながら言う。
「私がやったの、それ」
それ、と呼ばれてメイリンの肩がびくっと震える。
「血、止めてくれたのね。良かった。私ちょっとやりすぎちゃったから。元気でも困るけど、死なれるともっと困るのよね」
「何言ってんだ、お前」
意味のある問いではなかった。それはゴッドも分かっていて、頭の中を占めていたのは疑問ではなく、メイリンを逃がすための算段だった。しかし、その難題に答えが出るより早く、ルサ・イルが二人の前に辿り着く。
ルサ・イルは両手を背に回し、ゴッドは片膝を立てて半身の構え。虫の息のメイリンが、その腕に縋って泣いている。
一番に動いたのは、当然ルサ・イルだった。
右手を掲げて指を鳴らす。メイリンの体から最後の力ががくりと抜ける。ゴッドは左腕に抱えたメイリンを後ろに引きつつ、右の拳に魔力を集める。
ルサ・イルならこの程度、傷を負わせるには至らないだろう、そんな期待とも諦めともつかない理由で、ゴッドは一切の遠慮なく、拳を振るった。ルサ・イルは予期通り、左手の前に魔力の盾を作ってその攻撃を受け止める。しかし次の行動は予想外だった。
「この子、もらってくわね」
ルサ・イルがメイリンの体を引っ張り起こし、自分の肩で支えて、
「よ、っと」
「なっ!?」
放り投げた。何のためらいもない動きだった。
ゴッドは反射的に立ち上がるが、ルサ・イルに背を見せる訳にもいかず、駆け寄ることはできない。ルサ・イルはその様子に何を思ったか、薄く笑んで言う。
「ああ、大丈夫よ。あとでちゃんと拾ってくから」
彼女の言葉はゴッドに理解できたものではなかった。付き合いは短いながらも、幼馴染と呼んでいいと思っていた少女が、知らない人間のように思えてくる。それどころか、ルサ・イルははっきりと人の輪郭を持っているのに、一つの魔物のようにも見えた。
メイリンを逃がすことはすでに不可能だ。自分の命だって守れるかどうか。アクアとユールを別行動させたのはこのためか、と頭の片隅が嫌に冷静に振り返る。ゴッドとメイリンならどうにでもできると、ルサ・イルは踏んだのだろう。
しかし、だからといって大人しく死んでやるつもりは毛頭ない。手を伸ばせば届く距離、心底を見せない少女と、真っ向視線がぶつかる。
「君に話があるの」
ルサ・イルは前触れなく言った。
「冥途の土産に聞かせてやる、ってやつか?」
「そんなのじゃなくって。私と一緒に来てほしいの」
「どこへ」
「そういうことでもなくって、うーん。なんて言ったらいいかしら」
警戒心をそのまま映して硬い、ゴッドの声とは対照的に、ルサ・イルの口調はいつもと何ら変わらない。
「私と一緒に、奪われた土地を取り返しましょう、ってこと」
ルサ・イルの語った夢は、それはそれは壮大だった。あちらで反乱を起こし、こちらで争いの種を蒔き、無数の屍を踏みつけにして、すべてを手に入れる計画。
「ゴッド君の家の土地も取り返してあげる。家族だって探してあげるわ。何もかも、みーんな元通りにしてあげる!」
さあ、とルサ・イルが手を差し出した。ゴッドは無言で手を引いて
「っ」
ぱん、とルサ・イルの頬を張った。
「ふざけんな。何を寝ぼけたこと言ってんだ。そんなことして何になる!」
「っそれは、こっちのセリフ……!」
一歩よろめいたルサ・イルが右手を振るう。ゴッドがその軌道から飛び退くと同時に、そこを閃光が駆け抜ける。
「ゴッド君こそ、あんなくっだらない仕事で生活つないで、そんなのでいいと思ってるの? 恥ずかしくない? 悔しくないの?」
今度は左手、ぎりぎり靴の側面が焼ける。
「あれでいいと思ってた訳じゃない、だからお前に協力してたんだろ! 俺は無理でも、お前が自分の土地取り戻して、ちゃんと小作の面倒見て、昔みたいに――」
「それじゃダメなのよ!」
悲鳴みたいな声だった。いっぱいに魔力を集めた手を、ゴッドは手首を掴んで捻ることでそらす。
「ダメなの! 前と同じじゃ、また奪われる! 今度はもっと、強力に、完璧に、他の誰にも手出しできない、私だけのものにしなくちゃ……!」
「そのために王族貴族を殺すっていうのか!」
ふ、と空間が揺らぎ、急速にルサ・イルの魔力が高まる。ゴッドはルサ・イルを突き飛ばし、自身も倒れるように後ろへ。二人の間、足先から数センチの地面に、深く杭を打ったような穴が開いた。
「私から何もかも奪っておいて、自分たちは助かりたいなんて虫が良すぎるわ!」
どん、と地が揺れてもう一発。右に転がって避け、次が来る前にと立ち上がる。ルサ・イルは感情のまま、狙いも定かでない攻撃を続けざまに放ち、ゴッドはその先を必死に読んで、一つ一つを危うくかわす。
「君もそう思うでしょ? 土地も、家族も、これまでも、この先も、全部一緒に失くしたでしょう!? どんなに惨めだったか! どんなに悔しかったか! 君も、忘れられないでしょう!?」
もはや自分の魔法など頼りにならない。呪文を要し、発動にタイムラグを生じていては、ルサ・イルのほぼ無制限に近い攻撃には対応できるはずもなかった。己の身体能力、反射速度、それでひたすら攻撃を避けて、時間を稼ぐことしかできない。しかしそんなもの、すぐに限界が来るに決まっていた。
「!?」
いきなり全身に重い衝撃が振りかかった。足元がぐらつき、向かおうとした方向に倒れ込んで気付く。避け損ねた。同時に左足が、火でも浴びたように熱くなる。
「つ、」
「覚えてるでしょ!?」
「う、あっ」
ルサ・イルが体当たりの勢いで胸倉に飛びついてくる。メイリンをそうしたように、無理矢理に立たされる。その目にはもう、ゴッドの負傷さえ見えていないようだった。ずっと動き回っていたのが止まった、だから話を聞いてくれるはず。そんな理不尽で素直な、都合の良い期待が、彼女の言葉には満ちていた。
「ねえ、専有制度が始まって、君は最初に何をしたの? 『どういうこと?』って思ったわよね。ご両親に、家を出たくないってダダこねて怒られたりした? 私もそうだったわ。だけど兵士がやって来て、泣いて縋ったら蹴り飛ばされて、その時のアザね、まだあるのよ。それから、仕事を探したでしょう? 君は何をした? 私は何でもやったわ。まず、お金になりそうなものは全部売った。不思議よね、大事なものほど思ったほどの値にならないの。あんなに、あんなに大事だったのに……!」
ぽたり、ルサ・イルの握りしめた手に涙の粒が落ちた。初めから、ゴッドがルサ・イルに対して抱いていた同情。ルサ・イルは、自らの手で破壊したそれが、まだ、どうしてもやっぱり欲しいという風に、ゴッドを見た。
「……っ、イル」
ゴッドは、その子供じみた欲求に応じるべきか、迷った。メイリンのこと、アクアのこと、ユールのこと、そしてルサ・イルと自分自身のこと、すべて真っ当に慮った。迷いはルサ・イルにすぐばれた。
転換は、一瞬。
カードの裏が表に返るように、左足を支配していた熱が鮮烈な痛みにすり替わる。重い。何が? 分からない。ちかちかする視界が下方にスライドして、背に受けた衝撃で押し倒されたことを知る。ぼろぼろの足に乗り上げられて、反射的にルサ・イルの体を突いた。突き飛ばしきれず、痛みだけが刺さる。何か声を上げた気がするが、自分でもそれが、悲鳴か呻きかも分からない。
「聞いてよ!」
「っあ゛あ!」
激情に身を任せたルサ・イルは、ゴッドの手を振り払うだけにも無意識に魔力を伴わせる。ガラスの破片みたいな熱が群がって腕を切り裂く。
「ねえ、ねえ、君はどうしたの? 何を失くして、何を手放したの? 誰に奪われたの? 私と一緒? 同じでしょう!?」
「イルっ……! やめろ、そんなことはッ」
「私はね、何でもやったの。本当に、何でもよ。人だって殺した。自分だって……!」
「やめろ!」
「無理よ! もう全部済んじゃったの! やってしまったことなのよ!」
ルサ・イルは泣いていた。ぼろぼろと涙をこぼして、口だけが嘘みたいに笑っていた。涙は覆いかぶさられたゴッドの顔に次々落ちて、小さな傷に熱くしみた。
「全部、終わってしまったの……もう戻ってこないの。あんなに大事だったのに、どうしても、お腹がすいて、もう野宿は嫌で、他にお金になるものなんかなくて……!」
共感して。理解して。俺も同じだと言って。ルサ・イルの涙が痛切に訴える。
共感はした。理解もした。同情だって。しかしゴッドは、俺も同じだとは言わない。早くから失ったものを諦め、時間をかけて割り切ってきたゴッドには、ルサ・イルと同じ執着や後悔はない。そして彼には分かっていた。ルサ・イルの凄絶な愛着が、今やただのどす黒い欲望の姿をしていることが。
ルサ・イルが、ふう、と息をつく。望む答えを寄越さないゴッドを見下ろして、涙も拭わず、作り物みたいな笑顔で言う。
「これで最後。君は、私と一緒に来てくれる?」
差し出された小さな手を、ゴッドは無言で掴んだ。ルサ・イルが心からの、なのにどうしてか作ったものより白々しい笑みを浮かべる。
「ゴッド君……!」
「イル」
身を起して、立ち上がって、手を握ったままゴッドは――返事の代わりに、呪文を一つ。
ルサ・イルの体を引き寄せ足を払う。最後のチャンス。見下ろした顔に驚きの色はなく、無表情。自分の軸も揺らぐ。一緒に倒れたっていい。一緒におかしな道を行くよりは、ずっと。
「お前とは行けない」
「残念」
ルサ・イルが呟いた。同時に、光が迸る。一刹那の時間差もなく放たれた魔法。先に呪文を発したゴッドの魔法より、一秒以上早かった。
光と闇が視界を塗りつぶし、
「私は一人でも行くわ」
そんな声を最後に、意識のすべてが閉じた。
ルサ・イルの語りがメインみたいになったけどフルボッコ回でした
普段使わないような強烈で極端な形容ができて楽しかったです