マーレ編 VSマーレ ルビィ一人称
マーレ編 VSマーレ ルビィ一人称
血に滑った手が剣を取り落とした。
「あっ」
と息をのむみたいな音とともに、とっさに飛びつく。が、マーレがつま先で剣を蹴飛ばし、それは教室の隅までするすると滑っていった。
追い縋ろうとした背に組み付かれ、前のめりに倒れる。腕をついて顔から転ぶのは防ぐ。その手で這うように進もうとするが、腹の辺りを押さえ込まれて動けない。蹴って離れさせようと暴れてもうまくいかず、仰向けに転がされる。
ぱち、と軽い音がして、ベルトから鞘が外れた。投げられる。つい手が追い駆ける。鞘は剣の手前に落ちて動きを止めた。
「っ」
届かない。ベルトそのものも外された。そちらはすぐ近くに放られ、胸の上まで服をめくられる。
マーレの手が胸に巻いた布を触って、その下に覆ったもののことを思い出す。先手を取ろうと布の隙間に指を入れて、一枚の紙切れを引き出す。魔法陣だ。
「おっと」
「あ!」
使おうとした寸前に取り上げられた。そして
「没収~」
びり。びりびり。
正方形の紙が四つに裂かれた。もう使えない。それでも手を伸ばす。
「返せ!」
「はいよ」
「っう゛」
べしゃ、と顔面に破けた紙を押しつけられた。手の平はわざと口を塞いで、指はぐっと瞼を押さえ込む。反射的に体が魔法を使おうとして、行き場のない魔力が痛みとなって降りかかった。
「ぐ、」
禁止陣。手が離れて目を開けると、マーレはにやにやと堪えきれないように笑っていた。
「痛かったーあ?」
嫌みったらしい言い方で確信した。禁止陣だ。否定であれ肯定であれ、言葉で答えるのも腹立たしくて殴りかかる。だけど床に押し倒されているせいで腕は引けないし、それ以前に人を殴った経験がなさ過ぎる。拳はなんとかマーレの顔に届いた程度で、口答えぐらいの意味しかなかった。
対して相手の手には、小さなナイフ。身長差も体重差もあるし、武器の差もある。姿勢もあたしが圧倒的に不利だ。魔力は今、意味をなさない。
それでもあたしは、魔法で抗いたかった。だって、ほら
「ざまあねえな。魔法が使えなきゃ、お前もただの女の子ってわけだ」
こういうことを言われるから、あたしは魔法を使おうとするのをやめない。魔法が使えなきゃ? あたしの魔力で、魔法が使えないなんてこと起こると思ってるの? そう、言ってやりたい、見せつけたい、あたしの強さをバカにしたこと、後悔させてやりたい。
全力で行き場のない魔力を振るう。それはあたしの内側で暴れてひたすらに痛みを生む。痛みは鮮明で、鈍らない。耳の奥がきんと鳴る錯覚があった。
マーレのナイフが胸に巻いた布を切り裂く。一緒に皮膚も切れたけど、魔力の痛みに負けて感覚はない。気付いたのは赤い血が目に見えたからだった。
「うーわ、分かってたけどマジでガキの体だな。萎えるー」
剣はなく、精霊服もばらばらで、体一つ。さらに禁止陣の中と、条件は最悪だ。
目をつぶって、開いて。息を吸って、吐いて。いろんなタイミングを自分で作って、魔力を集めては発散を目指す。けれど力はどこにも出ていかず、体中に行き渡ってあたしだけを苛む。
マーレが血のついた指で体に触れる。どうでもいい。
「いいな、その顔。でももーちっとこっち見ろよ」
視界が動いて、頬を張られたと分かった。もう感覚のすべてが魔力に持って行かれてしまって、目で見ないことには何が起きているかも分からない。その視覚さえちかちかと明滅するような気がして、やっぱりあてにならない。
使えない、ゆえに消耗されない魔力は、弱まることなく全身を痛めつける。これを、どうか、どうか手の中に集めて、ぶつけて、あたしを弱いと決めつけてるこの男を圧倒したい。
その気持ちと魔力の勢いだけで、頭のどこかが焼き切れそうな痛みを受け入れる。痛い。痛みはとても強い。だけどこの痛みはあたしの力だ。痛ければ痛いほど、その苦しみはあたしの強さを証明する。
「お前、今17? 18だっけか? つーことは、マリンがアクアを手放したのと同じくらいの歳か――おい聞けよ」
腕に熱の塊が落ちてきた。そんな感覚。目で捉えようとするけどよく分からない。どうせ切りつけられたんだろう。暴れる手は、集中しては解けてゆく魔力に満ちて、他の感覚は抜け落ちたように途絶えていた。
こうやってるうちに魔力感覚が身に付くんだろうか、なんて。痛みの最中で思考は現実を離れて冷えていく。集めて、解放を願って、叶わずにばらばらになって。万華鏡の中身みたいに散っては集う魔力が、まるで目に見えるみたいだった。
マーレが何をしているか、すでにまったく分からない。意識があるということはまあ無事だろう。
あたしはただ、このちからを――
「――ああああああああああああッ!」
爆発、した気がした。透明になっていた世界に自分の声が響きわたって、薄汚れた暗い天井が見えて、ぼろぼろになった手が痛くて、お腹のあたりが寒い。たくさんの感覚が一度に押し寄せて、そして、
「っ、は、は、っあ、はあ」
重ねて、掲げた両手。そこからすうっと、力が冷えていくのが分かった。
使えた、魔法。
マーレの姿は見えない。ちょっと首を巡らすと、なぎ倒された机が見えた。
「……あたし」
「ルビィ!」
勝った? と、言えずに誰かに抱き起こされた。アクアが泣いていた。あたしはその目の中に、泣いていない自分が映っているのを見て、静かに安堵の息をついた。
書きたい話の書きたいとこだけ