え。
「ウソついてたの!?」
思わず椅子を倒して立ち上がってしまう。エメリアは、まっすぐにあたしを見つめていた。その目には生真面目な迫力があって、咎め立てる気分をかき消されてしまうようだった。
「……そうだ。悪かった。策がないというのは嘘だった。天冥はまず間違いなく私の話を聞かないが、魔界でなら最後に訴えを聞くぐらいのことはしてくれるだろうと見込んでの頼みだ。けれど、確か精霊の役目は魔界を守ることだったな。ならば私見は、魔界のため、精霊に聞いてもらいたい」
真正面からのエメリアの言葉に、さっきのゴッドはあたしのために言ってくれたんだ、と気づく。自然に力が湧いて背筋が伸びた。
エメリアも姿勢を正して、これまでより力のこもった声で訴える。
「大型の移動陣は大戦の要だ。それ以前に、移動陣は異なる世界を繋ぐものだ。その不具合が世界にとって無害であるはずがない。実際に不具合の起きている陣に触れてそう思った。神部も気づいているはずだが、真剣に対処しているとは思えない。それよりも不都合な事実を秘匿し、天冥大戦の安定した運営による治安維持を果たすことに主眼を置いている。神部の守るべき世界というのは天界の内側でしかないんだ。だから、魔界そのものを守る精霊に頼みたい。世界を繋ぐ移動陣に何が起きているのか、解明してくれ」
徐々に夕陽に近づく日差しがエメリアの頬に届く。編み込んだ銀髪は日を受けて、切実な、熱っぽい表情をきらきらと彩る。
あたしもその本気に応えるためにテーブルに身を乗り出す。
「そういうことなら、あたしたち精霊が――」
「あっ!」
言いかけた言葉を、アクアの高い声が遮った。
「なに?」
「そ、それっ」
「あんたちゃんと止めてなかったが?」
アクアは慌て、グロウが呆れる。ゴッドが精霊服のスカーフを解いてあたしの鼻の下に添えた。
「これで押さえとけ。あーあ、早いとこ出ねーと痕跡残るな」
見れば会議テーブルの天板に真っ赤な滴が落っこちていた。鼻血だ。ゴッドはそれも精霊服の袖で拭うけれど、かすかな染みまでは消えない。
「うわ、どうしよ。ここって入ったのバレたらまずい?」
「むしろ入られたのがバレたら騎士団がまずいことになるな」
「待ってくれ!」
エメリアが立ち上がって叫んだ。グロウとゴッドが素早くテーブルの間に立ち塞がる。エメリアの焦りを押さえ込むように、グロウは淡々とした声で言った。
「主張は分かったで。移動陣のことは、ルビィが言おうとしたように、精霊として関わる余地がある。けんどそのためにはあんたを女王家にも騎士団にも引き渡せん。魔界や、魔界の住民に危害を加えたことにせんと女王家には捕まえてもらえんけんど、そんな立場では精霊と協力関係にはなれんで。けどまあ、女王家の支配下におったら、天冥両方で追われる身でも魔界では安泰、と期待する気持ちは分かる」
そこで言葉を切って、
「ゴッド、ユールと先出て。冥界軍を黙らせちょき」
「了解」
机の間をゴッドが離れ、ユールと一緒に出ていく。グロウも通路を塞ぐ位置からエメリアの前へと移動する。そして、自らかけた手錠を解いた。
エメリアと、ついでにあたしとアクアも目を見開く。グロウはそのままエメリアの背後に回って、壁の棚を開けた。中には訓練着か作業着みたいな、やぼったいズボンと上着が雑然と詰め込まれている。
「これに着替えて。軍服はうちが処分する。それで、そうやね、三日は自力でどうにかして。三日後の晩、城下の南門で『安泰』をやおき」
「いいのか」
エメリアの声には純粋な驚きがあった。あたしもちょっと思う。たぶん、グロウがこの仕事を引き受けた目的の小切手は、歌姫が失踪したとなったら冥界じゃとても使えない。移動陣の異変は気になるけど、歌姫公演の警備って意味ではそんなに気持ちいいタダ働きではなかった。
グロウはそんなこと百も承知というふうに、不敵に笑う。
「報酬はもらうで。あんたが歌姫に用意した荷物。かまんかまん、軍服ごと渡いてくれたらこっちで探すき」
エメリアがその手に軍服の上着を脱いで放る。
「内ポケットに手紙がある。荷物は人に頼んで天界に移した」
「了解。歌姫は移動陣で逃げたがでね」
「ああ、大物にツテがあるから、後を追えないようにできると言っていた」
「やったら冥界軍に言われるまま、正直に調査してしもうてかまんね」
「そのはずだ」
話しながらてきぱきと着替え、仕上げに帽子の下へ編み込んだ銀髪を押し込める。
下っ端っぽい身なりに対しては威厳のある浅葱色の瞳が、あたしとグロウとアクアを順番に見た。
「信用するぞ、精霊」
その言葉を最後に、エメリアは騎士団のちっぽけな小屋を出ていった。そして、あたしたちも冥界軍の歌姫を失った舞台へと向かう。