「大戦が小規模戦闘から、戦闘を伴わない競技に切り替わっていくという予想は、私と歌姫共通のものだった。私はその傾向をなんとしても逆行させ、大規模戦を再開させることで移動陣の問題を明るみにしたいと考えていた。歌姫と手を組めば、世論を扇動し大規模戦を催すことも可能だろうと。しかし歌姫の考えは違った。彼女はしばらくの間、単純な戦力より技術が勝敗を決する競技に偏り、一時的ではあろうが、極端な冥界有利が続くと読んでいた。確かに、近年の天界は技術戦で冥界に遅れを取っている。その流れに、乗るのだと」
そこからエメリアが語ったのは、まさにあたしたちが見てきたものだった。
「流れの先で歌姫は連勝記念公演を行う。これは恒例だ。だが、移動陣問題のためこちらも規模縮小が避けられない。その代わりに特別公演として魔界公演を企画する。すると警備の問題が発生する。天界では天界軍も警備に借りることができるが、魔界に軍はないからな。騎士団が機能していないことも調べはついていた。わざと警備が手薄なまま公演を行い、決まった職員しか歌姫に近づけない状況で私が歌姫を襲うふりをして、彼女を人質に、魔界の移動陣で人間界へと亡命する。これが歌姫の持っていた策だ」
「はーい」
ずっと聞いていても晴れない疑問があって、あたしは手を挙げた。
「なんだ」
「質問。カナリャはなんで人間界に行きたかったの? エメリアはわかるよ、天界では移動陣のこと知ってるから下手したら殺されるかもしれないし、冥界でも元天界軍ってバレたら仕事とかできないし。でも歌姫は冥界で大人気なんでしょ。人間界って、急に行ったら結構たいへんだよ?」
「私もそう思った。実際、歌姫は私を人間界に誘ったが、天界軍に追われなくなる程度を過ごしたら、死んで生き返ったつもりで魔界で暮らせばいいと言っていた。ただ、彼女自身は人間界に知人のツテがあるようだ。だからあちらでも『歌姫』でやっていけると。それが目的だと」
「歌姫が目的?」
「そうだ。冥界軍の歌姫は、正式には筆頭広報官だ。軍人を募り、心ひとつにし、癒やし、励まし、市民の支持を得る役目だ。彼女はそれをよく理解し、成果を上げていた。大戦の傾向にも注意を配り、言動や演出で客層をコントロールしていたそうだ。だから大規模戦が当分は復活しないこともよく分かっていた。それで集客する層を徐々に変化させていく計画までしていた。私はそれを聞いたとき、立派だと思ったよ。正直、歌姫なんていうのは、歌って踊るしかできないから軍でまでそんなことをしているくらいに見くびっていた。けれど彼女は軍人として歌姫をやっていた。だが同じ軍の人間はそれを理解しなかった」
ぎらり、と軍服の銀糸がひかった。
「客層を変えろ、と言われたそうだ。彼女がすでに、慎重に手をつけていた仕事を、そうとも知らずにいますぐにやれと。さらにその戦略として、殉職した母親の遺志を継ぐ歌姫、という方向性を示された。これは軍内部や歌姫の支持者には有名な話だが、歌姫自身ではあえて大々的に喧伝してこなかったものだ。自力で確実に成果を出してきたのに、外から勝手なことを言われるのに嫌気がさした、ということらしい。私に聞かせたことだけがすべてはないだろうが、そういうことだ」
「人間界なら大戦とか関係なく、やりたいようにアイドルできるってこと?」
「さあな。どんな場所でも、立場というものにはしがらみがつきものだ。それでも、歌姫であることが手段ではなく目的であるだけで、軍属よりは自由だろう。少なくとも、これで彼女には歌姫を辞めるという選択肢ができた。冥界軍の歌姫では、辞職すら限られた理由でしか認められない」
「ふうん。それでカナリャに協力してあげたんだ」
「死神として、自分の担った死後処理がそんなふうに遺族を追い詰めているのを放っておけなかった」
エメリアは努めて素っ気ない言い方をしていた。
ゴッドが机の端をこつこつと爪で打った。
「いまの話、どこに精霊が絡む要素があった? 報酬の小切手も、それを受け取ってきた天界公演のチケットも、歌姫の手配だろ。どうしてそんなことする必要があったんだ」
「魔界公演の警備が手薄に過ぎると、軍のほうで問題になったそうだ。近い部下から精霊はどうかと提案され、精霊が警備に就いても策に支障がないか、確かめることにした。天界公演で自作自演の事故を起こし、精霊の実力を見極めるというやり方だ。チケットは歌姫の指示で、私が大戦賭博の関係者を何人か使って、シュレイン・サンダーの跡継ぎ娘に渡るようにしたのだったが、まさか他の精霊に届くとはな。小切手は歌姫が、精霊の勧誘に使えと命じて部下に預けていた」
「でもグロウたちじゃなくてあたしたちが来ちゃったんでしょ」
「そうだ。予定の相手ではなかったうえに、歌姫の評価では腕の立ちそうな精霊だった」
さらっと吐かれた褒め言葉に、やった、と足元が浮き立つ。けど、そうか、だからカナリャはあたしにサイの角をつけたわけか。
「歌姫は勧誘の中断を求めたが、もともと頼りになる警備役を探していた部下が小切手を渡してしまった。筆頭広報官とはいえ組織の一員だ。客観的には正しい部下の行動を理由もなく妨害できなかった。歌姫はこれに演出で抵抗した。魔界公演では準備の段階から不機嫌を振りまき、部下たちに当たり散らし、士気を下げた。精霊に対しても同じ方針で接していたのではないかと思う」
思い当たる節があちこちにある。いま思えば、冥界軍は警備してほしいけど歌姫はそうでもない、っていうのがありありと出ていた。そしてさっき思い至ったこともエメリアは説明する。
「さらに歌姫は、ステージに関わるためとして、警戒すべき精霊に魔法をかけた。普段は演出として見栄えのために使っているだけだが、あれは力移しに似ていて、身体に魔法陣を入れるのにも近い。魔法陣を介さず、身ひとつで魔法を使うにはかなりの枷になったはずだ」
警戒すべき……あたしと、ユールだけ? ちらりとグロウを見ると、なぜかにらみ返された。グロウはその視線をエメリアに戻す。
「司令室やら客席やらで人に囲まれて、魔法使うになりそうにないうちらあにはかけんかったがやね」
「それもある。歌姫は、魔法の性質に気づかれることも気にしていたが」
「アクアは?」
「そこの彼は陣書きだろう。身体に魔法陣を入れるようなものと言ったが、あれと同じで魔法陣はまったく書けなくなる。異変に気づかれるおそれが大きい」
ふんふんと納得してちょっと満足していたあたしとは逆に、グロウはここからが本題とばかり、
「で?」
と切り出した。
「この先は? うちらあ精霊としては、魔界に影響ないことやったら歌姫を追う必要もあんたを処分する必要もない。けんど冥界軍はうちらあにあんたの身柄を求めてくるで」
エメリアは不意にくちごもった。けれど直後にためらう素振りを消して、毅然と背を伸ばす。それがあたしには余計に気まずそうに見えた。
「予定は、策はもうなにもない。ただ希望を述べていいのなら、天界にも冥界にも引き渡さないでくれ。魔界で下される処断であれば、精霊としてでも女王家からでも何でも受け入れる」
あたしたちに迷惑をかけた自覚のある、誠実で覚悟の決まった声。手を合わせ、静かに裁きを待つ姿勢。なんだか全部が終わってしまったような風情だった。
あたしはそれが妙に物足りなくて、なんとなく思いつくままにくちを開いた。
「なんで天冥はダメで魔界ならいいの? 魔界でだって、天冥と変わんない刑になるかもよ」
エメリアの瞳に光が差した。それを隠すように瞼を伏せる。そこへゴッドが鋭く言い放った。
「嘘吐くならもっとマシな嘘吐けよ。相手は精霊だ。女王家や騎士団なんて通す必要ない」