=風の精霊ウィンディ=

死神 2

「本題へ戻ってもえいかね」
 天界軍の男の斜め後ろに隙なく立ち、だいたいゴッドと同じような言葉でグロウが仕切り直す。本題、ってなんだろ。あたしにはまだ、いまなにがどうなってるのかよくわからない。
「歌姫はどうなったの? 冥界軍はどうしてるの? このひとに一通り聞いてみる?」
「そら知りたいことはあるけんど。この死神はうちらあで確保したち、しゃあないちや。冥界軍へ引き渡すか……」
「やめてくれ!」
 グロウがつぶやいた、ごく当たり前の選択肢に、男は激しく反対した。両手のひらをぴたりと合わせた姿勢は懇願のようにも見える。
「騎士団があるだろう、城下の警察権は彼らにあるはずだ。そこへ引き渡してくれ。決定した処分には従う」
 注文がうるさいんだか従順なんだかわからない言い方に、グロウも怪訝な顔をする。アクアが辺りに目をやって言った。
「引き渡すって……誰に?」
 広い訓練場では芝だけが風に揺れている。備品庫も詰め所もすべて明かりを落として、休日の学校みたいな風情だ。そもそも、騎士団がこんなありさまだからあたしたちが警備なんてことになったんだし。
 男はうなだれて、
「そうか……ここまでか……」
 と歯噛みする。白銀の軍服にアンバランスな拘束具が相まって、異様な悲壮感が漂っている。顔色も、もう死刑が決まったみたいに蒼白だ。
「なんぞ事情があるがやね? うちらあに納得いく説明できるが?」
 さすがにグロウも情を見せた。男は即答で、
「洗いざらい話す。女王家には余さず報告してもらってかまわない。天冥から遠ざけてもらえれば、それだけでいい。他に生き残る術も、歌姫を解放する手段もない」
 歌姫を解放? と、聞き返したかったけど、グロウがそれより早く決断した。
「分かった。ゴッド、そのへんの小屋どれか開けて。クルスさんとヒュナさんは、ひょっと冥界軍に見つかって詮索されても迷惑でしょうき、秘塔の手前から外へ出ちょってもらえますか?」
「そうさせてもらうよ。ユールは大丈夫? 残れるか?」
「問題ない」
 お兄ちゃんに声を掛けられて、ユールはさっきまでぶっ倒れていたとは思えないほどあっさりと答えた。ヒュナさんとお兄ちゃんは目を見交わし、
「気をつけて。帰りを待ってるよ」
 そう言い残して去って行く。
「こっちだ。全員入れる」
 ゴッドがお兄ちゃんたちが向かったのとは反対側の小屋のそばから呼びかけた。天界軍の死神はグロウとユールに任せて、あたしとアクアがまず小屋に入る。
 会議室のような場所だった。素っ気ないテーブルと椅子がいくつか並んで、壁際にすこし棚があるだけの部屋だ。窓の磨りガラスにカーテンはなく、日差しが入ってじゅうぶん明るい。
「念のため照明陣はやめとくか」
 言いながらゴッドが手近な椅子を引いた。あたしも隣の椅子を引き、ちょっとざらついている座面を手で払って座る。そして気になったことを聞いてみた。
「どうやって開けたの?」
「開けたって、鍵か? かかってねえよ」
「たまたま開いてたってこと?」
「いちおう目星つけて選んだよ。いまの騎士団のレベルじゃ、こういう貴重品もなにもないとこの施錠なんて徹底されてねーだろなって」
 なんと。ゴッドに感心すると同時に、騎士団には呆れかえってしまう。やる気なさすぎでしょ。
 騎士団の悪口で盛り上がる間もなく、グロウたちも入ってきて、死神の男は差し込む日差しが直接当たらないところにあった椅子に座った。グロウはその横顔を睨んだまま、窓際にかける。ユールは残っていた、日を浴びる椅子に収まった。
 真っ先にグロウがくちを開いた。
「あんた、歌姫と共犯やね? あんたと歌姫の目的から話いてもらおうか」
 鋭い声を受けて、男はひとつ頷いた。
「ふたりとも目的は同じだ。行き先が違うだけで」
「行き先ち、なんの?」
「亡命だ。歌姫は人間界へ、私は……天界と冥界以外ならどこへでも、逃れたかった」
 アクアがゴッドになにか囁く。たぶん、亡命って? と尋ねている。グロウが同じ言葉を違う意味で使う。
「亡命、って」
「それぞれ軍で居場所をなくした。そうだな、順を追って話そうか」
 グロウが静かに頷いたのを見て、男が最初の言葉を選ぶ。
「まず……私はエメリア・リアーター。天界の軍属だった。若い頃に資格を得て、長く死神職に就いた。しかし近年、大規模戦闘が縮小され、軍の死神は人員削減の対象になった。私は移動陣部門に異動となった。そのときは運良く職にあぶれずに済んだと感謝したが、間違いだった」
 淡々と、エメリアは事実を説明した。
「当時の移動陣部門では事故が多発していた。おそらく現在もそうだろうが……大規模戦闘が縮小傾向にあり続けているのは、このせいだ。大型の移動陣がどういうわけかまともに動かなかった。その原因の調査を任され、自分なりに懸命に働いたが、はめられた」
 生真面目そうな顔が悔しげに歪む。
「調査のために接続していた陣を、軍の移動陣に細工をしたと咎められた。そのままクビだ。どう考えても生贄だった。軍は移動陣事故の原因を突き止められず、誰かを処罰して解決したことにしたんだ」
「なるほどねえ」
 グロウはいつの間にかゆったりと脚を組んでいた。大戦遺族を顧客にしていたグロウにしてみれば、この話は自分の商売にも関わるもののはずだ。
「天界に行き場をなくした私は、軍を追い出された多くの者と同じ道を辿った。冥界で、大戦賭博に手を出した。内情を知っていたから自分で賭けても強かったが、目をつけられるのが嫌で情報屋の真似事をしていた。そして歌姫を知った。いや、」
 男は言葉を切って、グロウを見た。
「歌姫が私を見つけ出したんだ。私は死神時代に敵軍の死後処理をしたことがある。彼女に教えられるまで知らなかったが、それが歌姫の母親だったそうだ。歌姫はシュレイン・サンダーに依頼してそのことを調べていた。知っていたのか?」
 グロウは黙って首を横に振る。目線がゴッドになにか促す。
「……気づいたんだよ、あとから。カナリャーナーミはグロウを知ってた。そんで、俺は知らないことにしてたくせに、グロウと同じように警戒してた。歌姫のストーリーは冥界では有名だろ。フェミーエ保険相談事務所の顔ぶれが分かってて、親を大戦で亡くしてるなら、昔の客だったんだろうなって」
「分かるものなんだな」
 エメリアの言葉には、ゴッドはなにも返さなかった。
「歌姫は私に接触する前に一通りのことは調べていた。そして、持ちかけてきた策は、この時点ですでに、実行したのとほとんど変わりない内容のものだった」
 手のなかの過去を覗くかのように、浅葱色の瞳をぴたりと合わせた手のひらのあいだに向け、そうして、エメリアは歌姫カナリャーナーミの策略を語る。

2023/7/18