左からゴッド、右からグロウの声がそう叫んで、
「えっ? えっ? う、わわわ」
魔力も急に、必死でかき集めてたのがうそみたいに簡単に流れ出す。突然すぎる感覚の変化でコントロールが乱れた。一カ所に留めきれなくなった魔力は全方向にぶわっと弾けて吹き抜けた。
風が前髪をかき上げ、帽子をさらいそうになる。それを手で押さえて気づいた。
「角、なくなってる?」
「なくなってるよ!」
起き上がったアクアが目を丸くする。なに? 急になんで? なにが起きてるの?
混乱するあたしたちの前に、まずは精霊服姿のグロウが現れた。けどその足は真っ先に天界軍の男へ向かい、
「手ぇ出いて」
「……それは冥界軍の装備か」
「そう。けんど、歌姫から筆頭広報官補佐への命令で、今は魔界への貸与品」
「分かった。抵抗はしない。武器はこのとおりだ」
グロウが見せたのはチョーカーみたいな金属の輪。男はその説明を聞くと、軍服からいくつか装備品を取り出して離れたところへ投げ捨てた。
それを確認し、グロウがプレートを取り出して、男の合わせた手のひらに挟ませた。たぶん魔法陣だろう。合わせたままの両手首をさっきのチョーカーに通し、長さを調節したら、あたしにも何の道具か分かった。捕虜とか取るのに使う拘束具だ。
「グロウ、それもらってきたの? 冥界軍は来ないの?」
「その話はあとだ! おい死神、歌姫の魔法の仕組みを教えろ」
あたしたちが駆け寄ったところへ、今度はゴッドが到着した。精霊服を消していて、背中にはぐったりしたユールをおぶっている。手には脱いだジャケット。グロウがそれを奪うように受け取って尋ねる。
「ユールどういたが? 具合悪いが?」
「魔力感覚使おうとしてからおかしい。それまでは見た感じ普通に魔法使ってたんだ。魔力感覚の前に、歌姫があの尻尾を操ってた、あれのせいかもしれない」
ゴッドの手短な報告に、両手を組み膝を突いた天界軍の男が口を挟んだ。
「違う。歌姫の魔法そのものに、受けた対象に危害を加える効果はない」
観念しきったように落ち着いた声は、こっちにとってはじれったい。
「ならこれは――」
と言い返しかけたとき、
「みんな無事か!?」
お兄ちゃんとヒュナさんが正門を越えて走ってきた。
「お兄ちゃん避難してなかったの?」
「したよ。だけどルビィの魔法が収まったのが見えたから、もう大丈夫だと思って来たんだ。ヒュナも連れてきて正解だったみたいだな」
ヒュナさんがゴッドの背からユールを抱えて下ろす。もともと白い顔はいっそう青白い。光を厭うように瞼を伏せているせいで強烈な魔力の青も隠れてしまい、精霊服のままの細い身体が弱々しく感じられる。
「ほんまに歌姫の魔法やないがやね?」
グロウの念押しに、天界軍の男が頷いた。
「そうだ。ただし魔法の影響ということは考えられる。おそらく魔法陣を介さず魔法を使ったのだろう。歌姫の魔法がかかった状態ではなかなかできることではないが、精霊なら魔力量に物を言わせて使えるかもしれない。それほど複雑なことはできないだろうが……」
驚くほど素直でためらいのない物言いだった。さっきまで歌姫を攫おうとしてたし、ユールと同じ精霊のあたしと戦っていたのに、そんなこと微塵も感じさせない。捕まっちゃったからあたしたちに恩を売って罪を軽くしたいの? それなら冥界軍に恩を着せないと減刑とかにはならないのに、なんでだろう。
疑問に思うあたしをよそに、ヒュナさんは迷いなく男の言うことを受け入れた。
「そういうことなら納得だわ。魔法が使いづらい状態で魔力感覚を使おうとし続けて、結局コントロールを失っちゃったってことね。これまでも何度かあったわ」
ヒュナさんが呆れたような、ほっとしたような息をついた。途端、ユールがヒュナさんの膝から逃げるように地に伏せて、声もなく嘔吐した。
「ヒュナさん、どうもそれ二回目です」
ゴッドの上着を抱えたグロウが険しい声で告げた。吐かれて脱いだということらしい。すぐに背をさすりながらも、ヒュナさんの頬に緊張が走る。
「……いままでより重症ね」
お兄ちゃんがユールを抱き上げた。
「魔力がコントロールできるようになれば落ち着くんだろう? 力移しで手助けできないか?」
あたしはぎょっとする。さっき吐いたくちに力移しぃ?
「だめよ! ユールは精霊なのよ。魔力量でも、魔法を使うことへの慣れでも、一般人とは比べ物にならないわ」
「じゃあ俺なら、」
「ダメ! いくら精霊でも身が保たないわ!」
ゴッドにも皆まで言わせず否定して、ヒュナさんは表情の抜け落ちたユールの顔を見下ろした。苦悶の表情がないせいで、どれほど深刻な状態なのか想像がつきづらい。けど、手を握るヒュナさんには制御を失った魔力の暴走が感じ取れているのかもしれない。
「これは自分で収めるしかないの。昔なら助けてあげられたかもしれないけど、もう単なる力移しじゃ流れを変えられない。半端に手を出しても引きずられて余計に苦しむだけよ」
ユールの代わりみたいに、一言一言を噛みしめるように吐き出す。そこへ、
「魔法陣やったらできんですか? 力移しをアクアに魔法陣で書いてもうて、受け取った魔力をどんどん使うがです。今の状態は要するに、魔力が内らへ向こうて行き過ぎながでしょう。外向けの流れを作っちゃったら、そのうち制御せないかん魔力量が減ってコントロールもできるがやないです?」
「グロウちゃん……でも、そんな魔法陣あるの? 力移しで魔法陣なんて聞いたことがないし、そんな莫大な魔力に耐えられる陣なんて」
グロウはヒュナさんを励ますように明るく言った。
「アクアが書けます」
「えっ!?」
急に指名されたアクアが声をひっくり返す。でも、まあ、アクアしかいないでしょ。
「いいじゃん、アクア書いてよ。そしたら陣はあたしが使う。一気に大量の魔力使うの得意だし」
「でも力移しの魔法陣って書いたことないし、見たこともないのに」
「ルビィに書いちゃりゆうろ。ちゅうか、残っちゃあせん?」
グロウが示したのはアクアの右手。握りしめた手を解くと、皺の寄った一枚の紙が開いた。
「魔力を引っ張る魔法陣……そうか、ここ書き換えれば……!」
アクアはいきなりしゃがみこんでウエストポーチからペンを引っ張り出すと、わずかな余白になにやら書き込み始めた。
「いけそう?」
「待って、あとすこし……強度はたぶん元のままで通用するから、うん、よし。ルビィ、ここ持って。ユールにはこっちを持ってもらって」
顔を上げ、魔法陣を差し出す。水色の瞳に不安の色はない。だからあたしも迷いはしない。
「ルビィちゃん、ユールをお願い……!」
「任せてください!」
ヒュナさんが握るのと反対の手に魔法陣を触れさせる。人形のように力をなくした指を上から押さえて、あたしも魔法陣に触れた。