=風の精霊ウィンディ=

冥界軍 4

 感情的な言い方を、ゴッドは責めない。ちょっと笑って、でも次の瞬間には、その横顔からは曖昧に表情が消えていた。
「知らないことばっかだよ。でも分かっちゃうんだよなあ、難儀なことに。あ」
 どういう意味? と聞く間もなく、アクアとユールが戻ってくるのを見つけて手を振りだす。
「場所ちゃんと分かったか?」
「はい。照明陣が見つからなくて暗くて、ユールが探してくれて」
 ユールがいたから安心ぽいことを言ってるわりに、アクアはあたしたちを見て駆け足になっていた。暗いトイレにユールがすうっと入っていく様は、想像したらテレビでやってるホラー特番そのものだ。
 タイミングよく、プレハブの扉が開いてグロウが顔を出す。
「トイレ休憩、終わったかね?」
「そっちも密談終わり?」
 聞き返して、はたと思い当たる。なんとなくグロウの言葉が耳に引っかかるような……なんだっけ。
「なにが密談よね。早う来いや」
「はあーい」
 むかむかというほどではないモヤモヤを胸に歩き出したところへ、ゴッドが寄ってきて囁いた。
「言っただろ、『説明はトイレ休憩のときにでもしちゃおき』って」
「……やっぱりなんか知ってるんでしょ! ねえ!」
 絡むあたしをアクアが不思議そうに見る。あたしはゴッドに半分体重をかけたまま控え室にずるずると入り、
「うわ」
 息をのんだ。コートを脱ぎ、真っ白な衣装に身を包んだ歌姫が、輝くような立ち姿で待っていた。
 上半身はぴったり、腰回りからはふんわりと膨らんだミニワンピは、ウエストのリボンから袖や胸元のフリルまで、ほぼ全部の装飾が手の込んだレース。肩から胸にかけては虹色のガラスビーズで大きな花びらが刺繍され、緩いウェーブの金髪とともに照明をぴかぴか弾き返している。
 右手の人差し指にはまった花のかたちの大きな指輪も、指輪と揃いの揺れるイヤリングも、膝下まである白い編み上げサンダルも、歌姫以外にはとても身につけていく場所なんかない、まさに舞台に立つための正装だった。
「かっこいい~~~!」
「可愛いのよ」
 思わず出た賞賛をカナリャはクールに訂正する。
「音出しの準備が思ったより早くできたから、もうそんなに時間がないわ。配置はあとで雇い主から命令してもらいなさい。じゃ、そこのあなた、精霊服出して」
 突然指をさされた。なんであたし? と思いつつ、反射的に精霊服を呼び出す。カナリャはあたしの帽子のてっぺんから靴先までさっと視線を走らせ、
「わたしから言っておくべきことがあるから、よく見て」
 見て? 聞いてじゃなく?
 首を傾げたのは一瞬、カナリャは高いヒールでカツカツとあたしの目の前へやってきて、帽子と前髪をぐいと押し上げたかと思うと、
「へっ?」
 額にくちづけた。
 グロスを重ねた唇は、ほんとうに束の間触れただけで感触もほとんど残さない。残ったのは――
「魔力……?」
「つっ、角!?」
 自分の呟いた声と横から上がったアクアの声が違うことを言っていた。
「えっなに? どっち? いま魔力がここスーって来たんだけど、角って……」
 戸惑いながら、くちづけられた辺りへ手を持っていくと、ざらりと硬いものに触れた。おでこにも前髪にも到達しないうちから、なんか、ざりざりした石みたいな骨みたいな物が飛び出してる。
「え? ……なにこれ!?」
「だからっ、角!」
「角やと」
「なんで角なんだ?」
 アクアはパニクり、グロウは変わらず淡々と、ゴッドが怪訝そうにカナリャを振り返る。
 カナリャはなんだか楽しそうに腰に手を当てた。
「これがわたしの、演出よ」 
 そうしてくるりとターンを半回転。ワンピースのV字に開いた背中をさらす。
「そこのおチビさんたちは見たでしょう。歌姫公演の最大の見所、覚えてない?」
 ある景色が思い浮かんだ、その瞬間、歌姫の背中に二対の羽が開いた。プリズムのように光を弾く、薄いガラスのようなカゲロウの羽だ。長いほうの羽がピンと立って、光の滴を払うみたいに細かく羽ばたいた。
「自分の魔法だったんだ……」
「当たり前でしょ。これで飛ぶのよ、他人の魔法なんかじゃ安心できないわ」
「じゃあこの角は? なんのため?」
 角に触れるとたしかに魔力であることはわかるけど、飛ぶどころかなにかできそうなほどのものには感じない。カナリャは正面に向き直り、
「だから演出。そして識別でもあるわ。スタッフは男が多い。しかも広報の生え抜きなんて僅か。大半は絵に描いたような軍人よ。歌姫のイメージに相応しくない、でもステージで働いてもらわなきゃならない。だからこの魔法で、部下たちには歌姫の幻想的な公演にマッチした姿になってもらう。こんな魔法が使えるのはわたしぐらいしかいないから、ステージに忍び込む不逞の輩は誰も見逃さない」
 お分かり? と言い様、自らのそろえた指先にキス。
「そこの彼も、精霊服」
 と、ぼーっと立っていたユールに命じる。手はユールが黒ずくめの精霊服を出すなりその背後に回り、腰の真ん中を叩いた。
 その場所から、ぬっ、と巨大なしっぽが生えた。黒というか茶色というかどことなく緑というか、暗い色で硬そうな、石のような鱗に覆われた尾だ。ユールの腕より、どころか脚より太い。根元からスパイクみたいなトゲがずらっと三列並び、先の方で一列になって床につく。
「ワニだぁ……!」
 アクアはなぜかちょっと喜んでいた。
 もしかしてあたしの角もこんな感じなの?
「なんていうか……幻想とかより、ワイルドっていうか、自然界っていうか……リアルすぎない?」
 まだ自分では見ていない角の、妙に自然なざらつきが急に気になりだした。同じ角ならかわいい角がよかったな。
 カナリャは小バカにしたように、それでもどこか憎めないチャーミングな笑みを浮かべた。
「あなたたちは客前に出ない予定だもの。許された部外者の印ってことよ。配置確認だけならいらないけど、雇い主さんが実際の持ち場でリハ見たいって言うから」
 だからその野性的なデコレーションがお客様から見えないように気をつけてね、と言い放つ。
 ちょうどそこで扉がノックされて、カナリャの許可を得た軍服の男が入ってきた。
「音響から確認始めます。通信鏡のほうも同時進行で良いでしょうか」
「ええ。通信鏡の拠点には彼女を案内して。あと補佐に頼み事があるから、着替えスペースに呼んで」
 カナリャは筆頭広報官として指示を出すと、
「それじゃ、歌姫の舞台をせいぜい特等席から楽しんでね」
 ターン、ウインク、投げキッス。流れるようにポーズを決めて、これでもかとプロの可愛さを振りまいて出て行った。そして、言っていることは露骨に嫌味だ。

2022/5/9