=風の精霊ウィンディ=

冥界軍 3

「まずはわたしのキャラクターから説明するわ」
 歌姫カナリャーナーミはそう宣言して歩き出した。
 向かったのは舞台の裏側。歌姫の控え室以外にも、プレハブ小屋はいくつも並んでいて、それぞれを忙しなくスタッフが出入りしている。
「カナリャーナーミは優秀な軍人だった母のもとで何不自由なく育ち、母親の勇姿に憧れて冥界軍に入った夢見る少女。希望と勝利と献身への報いの象徴。主たる客層は、大規模戦を好む、血気盛んで若い、独身の、わたしを本気で好きになる男。戦力になるし、盛り上がるし、給料も安い、軍がいちばん求めてる層よ」
 プレハブ小屋の最後のひとつ、戸口を守る軍人二名の前でカナリャが立ち止まる。
「この小屋はあっちからそこまで、スタッフ控え室。この部屋だけは別で、移動陣よ。機材人材の搬入用。冥界行きだと河口の方に大きい移動陣があるけど、そこからここまで遠すぎるから女王家に許可を得て特設したの。――公演は市民に軍の素晴らしさを伝える活動であり、軍の男たちへのご褒美であり、まだ見ぬ仲間が軍への一歩を踏み出すきっかけでもある。わたしはその全部を満たすぐらい、輝いて、愛されて、みんなを虜にしなきゃいけないの。だからわたしには守らなければならない条件がある」
 プレハブ列の端からステージの背中へ向き直る。無骨な鉄パイプで組まれたステージ下へと、細い通路ができている。
 カナリャが通路に入る。天井より低く、ハイヒールを履いた歌姫の頭上すれすれをパイプが通っている。あたしたちはすんなりついて行けるけど、ゴッドは窮屈そうに頭を下げていた。これじゃ裏で働いてた軍服の人たちも難儀しそうだ。
 通路の途中にはところどころ開けた空間があった。
「ここは衣装替えスペース。鏡と衣装箱があとで来るわ。補助員四名配置。――歌姫は誰にとっても自分だけのヒロインでお姫様で恋人。だからいつでも誰にでも、わたしにはあなただけって顔をしなくちゃならない。男の影なんてもってのほか」
 薄暗い通路を、小型の照明陣のごく淡い光が照らしている。夜間公演のとき真っ暗で動けなくならないように、でも客席に光が漏れないようにということらしい。
「階段があるでしょ。その上からステージに出るの。あ、それは昇降台よ。後半の登場で使うわ。――部下たちは男が多いけど、ステージに関わるときは全員にある演出を施してるわ。そのままの姿でわたしといていいのは、女と、父親以上の年齢の男だけ」
 通路からステージの袖まではスロープで上がる。なんでかなと思ったら、その先には台車に乗った楽器が並んでいた。交換を待っている魔法陣のパネルや、その作業に向かうための梯子もある。
 明るい方へと進むとすぐにステージに出た。舞台上には物がない代わりにいくつものマーキングがあった。
「魔法陣が入っているところと、演出上決まってる立ち位置の印よ。魔法陣は上にもあるわ。主に照明ね。途中でパネルを差し替えるから、そこにも二名配置してる。――今回の公演は、普段なら天界で盛大にやってたもの。でも今回はなぜか天界側から大規模な人員配置を拒否された。このステージは、西広場のしょぼい公演を補うための特別プログラムなの。だからみっともない仕上がりは許されない」
 カナリャがステージの前の端まで歩いて行く。ヒールの片方が二度、叩くように床を蹴る。
「この下、これが今回の目玉、噴水装置よ。上にもタンクがあって、魔法陣でポンプを操作してここの水を押し出す仕組み。軍事公演含め、初めてお披露目される演出よ。これには三名つくわ。――ここまでを前提に、わたしの筆頭広報官としての条件はふたつ」
 歌姫はステージの中央に立って、逆光の中からこちらを睨み据えた。
「まず、男は舞台に常時上げてはおけない。いてもいいのは演奏者だけ。ステージ上に連れて行けるのはそこの社長さんとオチビちゃんぐらいよ。それにいくら精霊でもあんまり子供はダメ。軍の沽券に関わるわ」
「……警護はうちひとりでつけと?」
 そんなの無茶苦茶だ、と思うと同時にひとつ納得もした。補佐のひとが言われてた、なんで補佐になれたのかわかってるのかって、あれは女の人だからなれたってことか。
「そこをどうするのか、これからプランを詰めましょうってことよ。精霊にもあるんでしょう、事情と要求ってものが」
 グロウがカナリャから目を離し、左右の袖、ステージの向こうの噴水装置、そして天井へと視線を走らせる。
「えいでしょう。双方の条件を踏まえて、万全の警備計画にしましょう」

 お手並み拝見ね、と傲岸不遜なコメントをした歌姫とともに、グロウは最初の控え室へ引っ込んだ。グロウだけだ。あたしたちは置いてけぼり。
 そうなると、こうなる。
「ゴッド! グロウが精霊を雇うってどういうこと?」
「俺に聞くか? ……聞くか、そうか」
 ゴッドの見やる先では、ユールが軍の人にトイレの場所を教えてもらっている。トイレに行きたいのはアクアだけど、自分で聞けなくてユールに頼んだのだ。
「スタッフ用には秘塔の外トイレを借りています。正面玄関の左側を進んで、非常階段の向こうです」
「えっ、秘塔って、勝手に入っていいんですか」
「大丈夫だと思いますよ? それでは」
「あっ」
 遠ざかる青い軍服に、アクアの手が思わずといったふうに伸びかける。ゴッドが見かねたように声を掛けた。
「ユール、一緒に行ってやれよ」
「分かった」
 即答したユールに、アクアはほっとした顔を向ける。
「来てくれる?」
「ああ」
 これでやっとトイレに行けるようだ。アクアもユールも、なんてまだるっこしいんだろう。
「歌姫にガキは勘弁て言われんのも仕方ねえのかな。と、さて」
 その背中が間違いなく案内されたルートに向かうのを見送ってから、ゴッドがあたしに向き直った。
「グロウが父親の跡継いで事業やってんのは知ってるだろ。俺はそこの従業員として雇われてる。同じように、グロウはお前らを公演の日だけ雇う。バイトみたいなもんだよ」
「それってそんなに名案なの?」
「さあな。でも戦勝記念公演なんてのは歌姫の定番イベントだ。天界では事故ったとはいえ、大した被害もなかった。別日程では無事に開催されてる。しかも今回は大戦に関係ない魔界が会場で、警戒すべき要素はほぼない。不慮の事故程度なら冥界軍で事足りるだろ。そもそも警備の出番なんてない可能性が高いんだよ」
 あたしは呆れた。
「だったらあたしたちが警備することなんてないじゃん!」
「さっき歌姫が言ってたろ、軍にも体面がある。特に天界相手にな。代わりの会場が冥界じゃないのも、警備を冥界軍で補わず精霊を使うのも、天界への当てつけだ」
「天界に会場も人手も断られたから、魔界にどっちもやらそうってこと?」
「そんな顔するなよ。出番がなけりゃ精霊がどうこう噂されることもないし、冥界側は記録にさえ残せばそれでいいんだ。それにもしなんかあっても、お前らのプライドは絶対守ってやるよ。うちの会社で引き受けた仕事だからな」
 頭を撫でられて複雑な気持ちになる。そういうことじゃなくって、と言いたいけど、じゃあどういうことなのかは説明できない。
「なんか……むかむかする」
「モヤモヤじゃなくて?」
「どっちでもいいよ! あーっ、やる気出ない!」
「俺も俺も」
 天を仰ぐあたしに、ゴッドが並んでうなずく。
「ええ? ゴッドはグロウの作戦に賛成なんでしょ。小切手もらってきたときも、なんか難しいこと言って全然あたしのこと助けてくれなかったじゃん」
「賛成も反対もねーよ。業務上の命令」
「グロウそんなこといっこも言ってなかったよ」
「そうだけど、業務上の命令が来るだろなーって分かってたつーか」
 煙に巻かれそうな気配を察して、あたしは別の方向から噛みついた。
「ゴッドって、グロウのことほんとよく知ってるよね。今日の計画もゴッドだけ先に聞いてたんでしょ。ずるい」
「そう見えるか?」

2022/1/14 (修正 2022/8/16)