=風の精霊ウィンディ=

冥界軍 1

「じゃあ、苑美たちがアイドルコンサートのスタッフやるってこと?」
 次の平日、昼ご飯のあとで椎羅と椎矢にカナリャーナーミの警備の話をすると、ふたりは予想外に食いついてきた。
「まだ決まったわけじゃないけど、たぶん」
 うなずくと、椎矢が周囲を気にするように声を潜める。
「それって、関係者席とかあるの?」
「さあ。あたしたち、とりあえずリハーサルの日に行って話し合いってことにしてるから、本番のことはまだ全然」
「なに、あんたらあ見に来たいが?」
 楓生の問いに、椎羅は鼻先で手を合わせる甘えたポーズを取る。
「そっちの世界のアイドルってどんなコンサートするのか、気になるなあって。見に行っちゃだめ?」
 椎矢はパステルカラーのキャンディを楓生の手に握らせ、
「招待枠みたいなやつがあればよ? なかったら諦めるから、ね。はい賄賂」
「こんな賄賂で買収されてたまるかえ」
 ぱっと楓生が机の上に手を開いて、キャンディがいくつか転がった。あたしはそのまま落っこちそうな黄色を受け止める。なんだっけ、ファーストキスのレモン味だ。
「ていうかさ、ふたりはこれでASAMAのライブに行くんじゃなかったの?」
「ああこれ? バーコードは集めてるけど、でも抽選五百名様よ。当たるわけないじゃない」
 椎矢が持っていた外袋をひっくり返して見せてくれる。五百ってすごいと思うんだけど。
「そんなにいたら歌姫の魔界公演なんて満席だよ」
 契約書に書いてた会場を思い浮かべて言うと、椎羅と椎矢の目の色が変わった。
「五百で満席って、会場狭いの?」
「どこの席でもステージが近いってことよね」
「違うちや。客席外から見るひとがよけおるが」
 ふたりの荒くなった鼻息を、楓生が両手で押しとどめる。そしてなにかに気づいたように手を下ろした。
「そうや。客席入れんでもえいやったら連れてっちゃれるかもしれん」
「どういうこと?」
 椎羅と椎矢の声がそろった。こういうことはたまにある。前にちゃかして結構本気で怒られたから、あたしも楓生もここはスルーする。
「会場が、まあ言うたら学校のグラウンドながよ。やき校舎から見える。そこやったら、他におる人も生徒とか教員とかその家族やき安全なろう。なんやったらうちがついちょったらえいし」
「待ってよ、楓生は警備に入らないつもり? あたし聞いてないよ」
「入るちや。なにも歌姫にべったり引っ付いちょくばあが警備やないろ。もともと、やるやったらうちは会場全体が見えるくへおりたいと思いよったし」
 そう言われたら納得するしかない。
「ていうか楓生、結構乗り気だよね」
 机の端に顎を乗せたあたしを、楓生は頬杖の上から横目で見た。
「あんたこそ、今回は妙にごねるね」
「だって~、歌姫だよ? 冥界軍だよ? あたしたち関係ないじゃん。あーあ、熱斗もあっさり諦めちゃうしさ。もっと味方してくれると思ったのに~」
「そら熱斗はあんたと違うて、敵の大きさをよう知っちゅうきね」
「ちぇー」
 河音に強固な意見がないのはもちろんのこと、柊も、ヒュナさんへのお伺いに楓生が加わったせいであっさりと参加オッケーになってしまった。
 ひとりガックリきているあたしをよそに、椎羅はなんだか嬉しそうだ。
「柊さんの警備員姿、絶対カッコいいわよね! 仕事の制服ってなんであんなにカッコいいのかしら」
「また見てきたような言い方して……そもそも、制服とかあるの?」
 椎矢の問いに、あたしはヤケクソで答える。
「知らないよ。当日のお楽しみってやつじゃない?」

 お楽しみのその日はあっという間に来た。その間、冥界軍からのコンタクトは一切ない。すべては当日、会場控え室でということになっている。
 結局、椎羅と椎矢は置いてきた。今日の打ち合わせとリハーサルを終えてみて、グロウが本番に招待していいか判断するという。二人には、がんばってーの言葉と、例のキャンディを一袋もらった。
 その代わりというわけではないけれど、お兄ちゃんとヒュナさんが見学に来るという。この手の催しでは、城下に住んでいる人やお店を出している人がチケットの必要な本公演を待たず、通し稽古やリハーサルを見物に来るのはよくあることだ。椎羅と椎矢に言わせれば、お金を払わずに見に来るのが当たり前なんて緩すぎる、とのことだけど。
 出発前、お兄ちゃんの作ってくれた魔界製の私服に着替える。アクアは書き溜めた魔法陣をカバンに詰め、筆記用具はウエストポーチに。グロウとゴッドは仕事モードのジャケット姿だ。ユールは前の晩から自分ちに帰っていていない。
 あたしは最初、正装の精霊服で行くつもりだった。それを見咎めたのはグロウだ。
「会場の秘塔までマントなびかせて歩くがかえ」
「あたしは天界で精霊って知れちゃってるんだから、いいでしょ」
「風の精霊の同行者四名ってなんに見えるろうね?」
「と、ともだち」
 なわけないろ! と一蹴されてこうなった。
 ユールとお城の表玄関で合流し、一旦敷地を出て、広い通りを城壁沿いに歩く。騎士団の前を通り過ぎながら、あたしはふと思い出した。
「訓練校の子たちも公演見に来るのかな」
 ちらっと目を見てもユールは答えない。訓練校のこと、一緒に行ってないみんなはよく知らないから助け船もない。ちょっと頭を使って考えてみる。
「歌姫みたいに魔法いっぱい使った演出って、魔力感覚で見たり聞いたりしたらどんな感じなの?」
 どんなって聞いちゃダメなんだっけ、と思ったけど、ユールは意外とすんなり答えた。
「演出として視覚や聴覚に届く以前に何が起こるか分かる」
「うわ、つまんなそー。じゃ、あそこの子たちは来ないか」
 あっと驚く演出が歌姫の売りなのに、それが全部事前にわかっちゃってたら楽しみは半減だ。あたしにはわかんない苦労してそうだから、こういうとこでぱーっとはしゃげたらいいのにな。
 会話とともに騎士団の門も途切れた。左手の景色が高い石造りの壁から木の塀に変わる。秘塔そのものと言えるまるい柱形の校舎が見え、開け放たれた門扉に差し掛かると、広い校庭にそびえる特設ステージが姿を現した。
「うわーーー」
 思わず門のなかに駆け込んで目を見張る。鉄骨と木材で組まれたステージは校庭を半分も埋めていた。尖塔のような細い三角形のシルエットは秘塔そのものに迫るほど高い。白をメインに色鮮やかな旗があっちこっちに垂れ下がったり、巻き付いたり、風に翻ったりしている。公演のタイトルはまだ掲げられておらず、ステージてっぺんのポールからなびく三角旗に染め抜かれた冥界のシンボルマークがいちばんの存在感を放っていた。布の描く曲線と柔らかい質感が、迫力も残しつつ巨大なステージの威圧感をなだめている。
 天界の西広場って狭かったんだ、と思うほどの規模。
 客席は地面が平らだから、前の方は地べたにクッションやマットの席、途中から椅子の列がカーブして並んでいる。席数を抑えた分、ステージがここまでの威容になったようだ。門から客席までの通路には、天界のときみたいにお店を出すのか、まだ中身のないテントがずらりと建っていた。
「すっごい! おーっきい!」
「うん」
 隣までやってきたアクアが目を丸くしてうなずく。
「すごいね、天界よりずっと豪華!」
「こんなところ、五人で警備なんてできるのかな?」
「警備しなきゃ行けないのは歌姫だけでしょ。一人に五人もつけばじゅうぶんだよ」
「出入り口にずっと立ってるひととか」
「いる? アクアが言ってるのって工事現場の――」
 言いながらふと振り返ると、他の三人は門からだいぶ離れたところに立ち止まり、こっちとは関係ないですみたいな雰囲気で全然近寄ってくる気配がなかった。
「ちょっと、入んないの?」
「入らあね。裏から」
 びしっ、とグロウが塀のずっと向こうを指差した。

2021/12/6