=風の精霊ウィンディ=

歌姫 6

 公演は中断され、他のお客さんが元の席で待つようアナウンスされるなか、あたしとアクアはスーツの女に会場近くの小さなビルへ連れていかれた。
 ビルには裏口から通された。表を通ったときに見た看板のとおりなら天界軍の支部みたいだけど、案内された部屋には冥界軍広報部のプレートが出ていた。軍事公演だから借りてるんだろうか。
 女がドアをノックし、返事がないことをたしかめるような静寂のあと、がちゃりとノブを回す。
 部屋は殺風景な会議室だった。長テーブルに椅子がいくつかと、小さな流し台と、窓はなくて壁の一方はカーテンで閉ざされている。
「おかけください」
 促されるまま、あたしたちはドアに近い椅子を引いて座った。女は向かいの椅子のそばに立ち、座る前に深く頭を下げた。
「本日は! 公演中の事故により、大変ご迷惑をおかけいたしました!」
 うなじに乗っかったお団子をピクリとも動かさず、アクアがびびるほどの声での謝罪。
「な、なに?」
 思わずくちにした間抜けな問いかけに、スーツの女はすぱっと空気を切るように身を起こす。
「申し遅れました。わたくし、冥界軍広報部、筆頭広報官補佐をしております」
 流れるような動作で二枚、名刺がテーブルの上に差し出された。いま聞いたとおりのことが書いてある。アクアが硬い文字列に気圧されて声を潜める。
「筆頭広報官って? 偉いひと?」
「歌姫のこと」
 あたしたちのひそひそ話を気にもかけず、補佐は台詞を読むように続けた。
「先ほどは、不慮の事故にもかかわらず、またお忍びでのご来演の中、お客様の危険回避にご協力いただき誠にありがとうございます。さすがは平素より魔界の維持保全に努めておられる精霊と感心いたしました」
「は、はあ」
「そこで、実際に精霊の実力というものを目の当たりにしましたわたくしから、精霊の皆様にお願いしたいことがございます」
「みなさま?」
 まだ瞳の色を隠したままのアクアがぎくりとする。けれど補佐はそれも見咎めることなく話を進める。
「手短に申し上げます。来週予定しております筆頭広報官の魔界公演における警備に、精霊のご助力をいただきたいのです」
「魔界公演? 歌姫が魔界に来るの?」
「左様でございます」
 すごい、歌姫来るんだ。アクアにはわからないだろうけど、歌姫の魔界公演なんて激レアだ。でも、精霊が警備なんていうのはいただけない。あたしたちはそんなことのためにいるんじゃない。
「魔界でやるならお城の広場とか、城下のどこかでしょ。女王家に場所借りるんなら、警備も騎士団に頼めばよくないですか?」
「お言葉ですが、騎士団の現状については精霊の方が我々よりよくご存じかと」
「だったら冥界軍は警備しないの? 今日だってステージ壊れてすぐ、軍のひとが歌姫のとこにわーって来てたじゃん」
「もちろん軍からも警備は配置いたします。けれど割ける人員には限りがあります。手が足りないのです」
「冥界でいちばんでっかい組織なのに? みんなの歌姫のためなのに?」
「こちらにも事情がありまして」
 あたしはアクアと顔を見合わせた。一切引き下がる気はないようだ。あたしではつっつくのもこの辺りが限界で、あてにはしてないけどアクアにも聞いてみる。
「どうする?」
 アクアはみえみえの耳打ちで答えた。
「家のひとに相談します、ってしたら?」
 学校じゃん。でもそれもありかもしれない。ていうかそこくらいしか逃げ場がない。
 あたしは補佐に向き直って最後の質問をした。
「精霊って、五人ともですか」
「可能であれば」
「じゃあ、帰って相談します」
 決まった。と思ったけど、補佐はまったく堪えていない顔で、
「それではこちらをお持ちください」
 と、一通の封筒を取り出した。

 歌姫が戻ってきたからとかいう理由で、帰りは外階段に出された。公演が続けられないお詫びに、衣装を替えて残ってくれたお客さんを相手に握手会をやるらしい。せっかくここまで来たんだし会ってみたかったけど、廊下の向こうから聞こえた歌姫の声はちょっと怒っていたので、やっぱりさっさと退散することにした。
 階段は裏口ともまた違う方角にあった。案内ももういない。備品の搬入か一時保管のためなのか、人間界なら駐車場になってそうなスペースがあって、その向こうに金網の簡素な門が開いている。
 そして門のそばには人影があった。キャップを深く被った背の高い男。日が傾き始めて門全体が建物の影に入っているため、それ以上のことはわからない。
 ビルを借りている冥界軍か、管理している天界軍の警備の可能性が高いけど、場所が場所だけに、警戒しないわけにはいかなかった。アクアの前に出て、相手の様子をうかがいつつゆっくりと門に近づく。
「お前、その目」
 あと一歩で敷地を出るというところで、男が動いた。あたしは素早くアクアを腕で庇い、キャップの下の顔を見上げる。焦げ茶の瞳がこちらを見下ろす。その強い視線と整った顔つきには覚えがあった。
「ゴッドぉ!?」
「こら騒ぐな。ちゃんと隠しとけよ」
 取ったキャップをあたしの頭に被せ、ゴッドはもともとここで待ち合わせていたかのように平然と言った。明るく見える魔力の色を隠し、それでも気になるのか普段より目を伏せがちにしているのがやけに様になる。
「なんでここにいるの? 一瞬知らないひとかと思った」
「一瞬どころじゃねえだろ。グロウに言われたんだよ、あの子らあが天界まで行ってなんちゃあ起きんとは思えん、要監視、って」
「いまの似てた」
「似せてねえっつの」
 指差した手を下げさせられた。
 ゴッドはビルのほうを気にしながら、あたしとアクアを舗道へ誘導する。行き先は公演の会場とは逆の方角らしかった。似たような低いビルの並ぶ殺風景な道だ。
 あたしは靴のなかの魔法陣を意識して瞳の色を隠した。キャップを上げてアクアに顔を寄せる。
「どう?」
「うん、大丈夫。あと近いよ」
 アクアが一歩横へ逃げた。黒い瞳も足下へと逃げるようにそれる。
 つまんなくて前を歩くゴッドの腕に引っつくと、ゴッドはあたしの目の色をたしかめてキャップを取り上げた。もとどおりに被ってあたしの髪を指先で整える。
「軍のビルまで引っ張り込んで、何のお説教だった?」
「そうだ。あのね、精霊に歌姫の公演で警備やってほしいって」
 髪を梳く指が止まった。瞬きを一回。瞳の色は変わらず焦げ茶。いつもと違う色の目は、こうやって見つめられてもいつも以上に読めない感じがする。
「あの、これ……」
 どう説明したものか、あたしが迷っていると、アクアが補佐にもらった封筒を差し出した。ゴッドは最初それを受け取りかけて、やっぱり手を引っ込める。
「帰ってから見る。しまっとけ」
「は、はい」
 アクアは予備の魔法陣を入れたカバンに必要以上に深く封筒をつっこみ、急に不安になったようにゴッドの隣へぴたりと寄った。
「どしたの」
「ここで開けられないような中身って、現金とかだったらどうしようと思って」
 カバンを抱きしめるアクアを、あたしは「そんなわけないでしょー」と笑った。

2021/6/11