=風の精霊ウィンディ=

歌姫 5

 魔力だけで体を浮かせ、自在に操作すること。クイードの魔法を見てからあたしは何度も練習した。でも一回もまともにできなかった。それを歌姫は、笑顔で、歌って、踊って、お客さんに手を振りながらやってのけている。
 たしかにこれは派手な演出だ、とステージの上を文字通り飛び回るカナリャを見上げながらあたしは思った。けどこんなものは序の口だった。
 床の見えないところへ仕込んでいるらしい魔法陣からは色とりどりの光の柱が立っては消えて、歌姫はその間を縫うように飛びながら客席へと花びらを振りまく。あたしが捕まえた一枚はよくできた造花でじゅうぶん可愛かったけれど、隣の席のお姉さんが悲鳴のような声を上げて掲げた花びらには、手書きのメッセージとサインの文字が踊っていた。
 すべてのお客さん向けの笑顔のあいま、必死に手を振って求める誰かにしっかりと目を向け、指を指し、頷き、その間も歌は切れ目なく続く。指先や足の先までかけてたゆたうような曲線を作る踊りは、シンプルに見えるけどところどころで羽ばたきを増して宙返ってみたり、背中を見せて小さく閉じた羽を弾けるように大きく広げたり、他にない振り付けを交えて会場中の視線を集めた。
 あたしもアルサがいっとき気に入っていた季節限定の地方劇団ぐらいなら見たことあるけど、こんなのは初めてだ。すごい、と素直に感動すると同時に、すごすぎてなんだか訳がわからないような気分になる。
 隣のアクアを見ると、真剣な表情でくちだけ半開きで、視線がステージのあちこちで切り替わる魔法陣と、あちこちを飛び回る歌姫の両方を追いかけてぐるぐるしていた。どうやってるんだろう、とか考えてるんだろうか。でもどうも解明できてはないようで、完全に目が翻弄されている。
 あたしもアクアが一生懸命見つめる魔法陣のパネルを見上げてみた。ゆったりした曲が始まって、照明はそれぞれに淡さの異なるピンク色を舞台いっぱいに映した。歌姫はその真ん中へ、花畑に遊ぶように座りこんで歌い出す。
 照明陣てあんなのもあるんだ。つぎつぎ色を変えるのってどこかで操作してるのかな。天井裏に誰かいたりしないだろうか、とパネルの奥に目をこらしたときだった。
 パネルが動いた。え? と思ったときにはもう真っ直ぐに落下が始まっていて、最後列まで届く演奏のなかでパネルがステージを打つ音が鈍く響いた。
 歌声が途切れ、前の列から悲鳴が広がる。歌姫はさすがにプロで、拡声器の陣が広げたのは息をのむ音だけで悲鳴はなかった。アクアがびくっと竦んで、肩と肩がぶつかる。あとを追うように天井の魔法陣パネルやいろいろなパーツがこぼれ落ちる。歌姫の前に冥界軍の青い軍服が数名現れてカゲロウの羽を隠した。その向こうから、しぼんでいく演奏を裂いて叫ぶ声。
「みんな! だいじょうぶ――」
 その声が呼んだように、ステージの真ん中を照らすいちばん大きな照明陣が落下した。斜めに落ちたパネルは、ガラスが割れるように砕けて、その破片が客席を襲う。
 風よ、と、たぶんその様子を目にするより前に、あたしはくちのなかでアルサの呪文をつぶやいていた。
「っ、ウィンディー!」
 なんにも考えてない、ほとんど反射で、アクアを座席のクッションに引き倒し、背中のマントで庇う前提で身を翻し、抜く動作の途中でやっと実体を持ったような剣を振り上げる。
 ごう! と突風が座席を滑って、飛んできた破片がどこかへぶつかる前に巻き上げ、高く、遠く、ステージセットのすべてを越えて林のほうへ吹き散っていく。
 風が全部の音をさらったみたいに辺りが静まる。アクアがクッション越しに座席で打った頭を押さえながら、涙目を茫然とさせてあたしを見上げる。
「る、ルビィ、目……」
 アクアがそう言って、あたしの視線を遮るようにそろそろと持ち上げた手をかざす。でも、そんなもの隠したって遅い。
 精霊だ……あれって……風の精霊……? 初めて見た……。風が去り、ふわりと背中に落ちてきたマントの向こうから、さざ波のように声が聞こえていた。
 アクアにはあたしが覆い被さってるし、目の色も水色を抑えたままだからきっとバレてない。でもあたしはどこからどう見たって絶対にもうダメだ。
 袖の下から舞台を覗くと、身を守るように上着を掛けられた歌姫が驚愕の表情でこちらを見つめていた。
「アクア、ごめん。やっちゃった」
「うん。……でも、助けてくれてありがとう」
 そう言うしかないあたしたちのところへ、スーツの胸元に冥界軍のバッジをつけた女がやってくる。

2021/6/11