「これが全部、ヒュナさんが十歳のときのなんですね。じゃあ、これが十一歳?」
椎羅が、ヒュナさんの年齢を基準に分けられたアルバムの、最後の一冊を開く。
いちばん新しい写真は、ユールの七歳の誕生日だった。その先はどうなったかあたしも知っている。神魔戦争だ。
七歳のユールは相変わらずちっちゃいヒュナさんだったけど、同じ年のヒュナさんと比べるとまだまだ頼りなく見えた。
「アクアじゃないけど、たしかにこれがあのユールには繋がらないかも」
いまだってぼけっとしてるけど、そのわりに謎の緊張感みたいのがあるんだよね。魔力のせいかなあ。
考え込んでいるうちに、ヒュナさんがアルバムを閉じた。
「はい、おしまい。ご期待には沿えたかしら。いい時間だしお茶にしましょう。クルスにもらったお菓子があるのよ」
「お兄ちゃんの手作り?」
「もちろん」
やった! 人間界の知らないお菓子も面白いけど、お兄ちゃんの手作りにありつけるのは久しぶりだ。グロウは料理は得意だけど、お菓子は作ってくれないんだもん。
キッチンへついていって食器を出す手伝いをしていると、ふとヒュナさんがあたしのことをじっと見ているのに気づいた。
「あたしの顔、なんかついてますか?」
まだお菓子食べてないけど。
「違うわよ。今日、ルビィちゃんが誘ってくれてよかったなあって思ってたの」
「誘ったっていうのかなあ。あたしたちお邪魔した側ですよね」
「こんな楽しいことに誘ってくれたのはルビィちゃんじゃない。でも……正直に言うと、最初はどきっとしたわ」
温められたお茶から湯気が立って、ヒュナさんの横顔にかかる。厚い氷みたいな色の目が伏せられて、その瞬間はユールに雰囲気が近くなる。
「思い出したくないこと、いろいろあるの。ルビィちゃんも分かるでしょう。精霊狩りさえなかったらって考えたり、わたしがあのとき間違えなければって後悔したり。どっちも、意味ないのは分かってるんだけれどね」
あたしは、わかります、ってはっきり答えられるほどの自信はなくて、とりあえずちいさく頷いた。精霊狩りがなかったらいま頃どうしてたかなっていうのは、アルサといた頃から何度となく空想したし、もしかしたらあのときアルサのことを助けられたんじゃないかと思うような瞬間もある。
でもあたしのそれは、学校で椎羅や椎矢と宝くじ当たったらどうする? とか言ってるのと変わらないレベルのもので、ヒュナさんほど深刻な悩みじゃない。だってあたしは精霊狩りがあって、アルサと別れて、こうして精霊になったんだから。
ヒュナさんは真っ白なカップにお茶を注ぎながら柔らかく笑った。
「ルビィちゃんたちが来てくれたおかげで楽しかったわ。ちょっと昔の物も整理できたし。ありがとう。また遊びに来てね」
あたしは、はい! と今度は自信たっぷりに答えて、ここに来る前、「ほんとに行っていいの!?」と真逆の顔色で言っていた椎羅と椎矢を思い出して付け加えた。
「でもそれ、みんなの前で言ってあげてください。椎矢はすごく遠慮してたし、椎羅は絶対また来るって言いますよ」
「あらそう? お友達のルビィちゃんが言うなら間違いないわね」
楽しそうに笑うヒュナさんは、笑ってるユールの写真を見たせいか、いつもよりユールに似てるように感じた。
ヒュナさんの家を出て、あたしたちは城下でお昼ご飯を食べてから人間界へ帰った。グロウもゴッドもいないだろうし、だったら家にはお昼ご飯も用意されてないだろうと思ってのことだった。
けれど予想に反して、リビングからは移動鏡の部屋まで話し声が響いていた。
「あれ、もう帰ってたの?」
言いながらドアを開けて、あたしは固まってしまう。アクアと椎羅と椎矢が、次々とドアの隙間からなかを覗いて同じように動きを止める。
リビングのソファの端と端に、グロウとゴッドがそれぞれ座っていた。後ろからは頭しか見えないけど、異様なまでのぴりぴりした空気がここまで伝わってくる。そして不思議なことに、ふたりのど真ん中にはユールが座っていた。
「どうするんだ。明後日だぞ」
「その分は現金で構えれる。問題はこっちよ」
「そりゃ切るしかないだろ。居座ってもやることねえし」
「けんどここまで詰めて見逃すわけにいかんで。繋ぎ止めるやったら早いほうがえい」
やばい話を聞いてしまっているんじゃないか。この時点でそんな予感がひしひしとした。
「あんた今、三本抱えちゅうろ。三本目、もう契約いける?」
「無茶言うなよ、年に一本あるかどうかの大口だぜ。どんだけかかると思ってるんだ」
「さすがに当初目標のままとは言わんちや。それに手当は出すと言うたろう」
「金で解決しようってか」
「当たり前やろ。労働の対価に金銭を支給する、それが雇用よね。逆に金銭以外の何で補償ができるがで」
「だからさっきからずっと休みくれって言ってるだろ」
「やれる訳ないろ! 今の状況分かっちゅうが!?」
バン! とグロウがテーブルを叩く。あたしたちは思わずちょっと引っ込む。ユールは動じない。
「それ止めろって。何回言わせんだよ。ユールもいるのに」
「そうやって引き合いに出すためにおってもらいゆうがやないちや」
「お前が呼んどいてそういうことすんなって意味だよ」
「は? そういうことちなんで? だいたいあんたが――」
ちーん。
険しかない声がまくし立てる、その最中に間の抜けた金属音が響いた。
「なにいまの」
足元にしゃがみこんでいる椎矢が囁く。
グロウとゴッドの口論が止み、くちを開いたのはユールだった。
「十二分前にもその論点が出た。三回目だ」
淡々としたお知らせに、グロウが深いため息をつく。
「……とにかく、うちの主張は変わらん。ここまでが無駄にならんように、短期的にカバーする」
「俺、今月まだ丸一日の休みねーんだけど」
「分かっちょらあね。来月で帳尻合わせちゃおき今だけ堪えてや。話固まった契約はうちが引き受けるき。先月分の事後報告も」
グロウがすっと立ち上がった。話はまとまったんだろうか。と、思った瞬間鋭い視線があたしたちを振り返った。
「あと、新規二件の手続き関係もうちがやっちゃおき手打ちにしょうや。やないと入って来れんみたいなき」
「……いつから気づいてたの?」
そろそろとリビングへ出てきたあたしたちに、グロウはおかえり、と言ってから答える。
「最初にドア開けたとき」
ゴッドが背もたれ越しに顔を出してグロウを見上げた。
「気づいててここまで粘ったのかよ。性格わっる」
「なんとでも言いや。気が済むまで吠えたら仕事やきね」
グロウは鼻で笑って台所へ向かった。椎羅と椎矢に「お茶でかまん?」なんて聞いている。さっきまでとは違ってご機嫌なようだ。
アクアと椎羅と椎矢は、論戦のステージだったソファを避けてローテーブルの反対側に腰を下ろしている。さすがの椎羅もユールには会釈をしただけでどう話しかけたものか迷っているようだった。
ゴッドもそれ以上の反論は諦めたらしい。もういいかな、とあたしはゴッドとユールに間に座った。