=風の精霊ウィンディ=

騎士団 3

 残念ながら、人間界の家に帰ると待っていたのはアクアだけだった。グロウは夕飯だけ作りに帰ってきて仕事、ゴッドは一度も帰らずそのまま仕事に出たという。
 アクアからはグロウに紹介された陣書きの話を聞いて、あたしもユールと訓練校に行ったことを話した。夕飯のあと寝る前にはグロウも帰ってきたけれど、ユールの昔の写真のことはすっかり忘れていた。
 思い出したのは翌日、学校へ行ってから。正確に言うと椎羅の顔を見たときだ。
 椎羅は双子の妹、椎矢と廊下で立ち話していた。あたしは自分のクラスを通り越して駆け寄る。一緒に登校してきた楓生は先にA組へ入っていったけど、きっとすぐ来るだろう。
「おはよっ! 今日早いね、なにしてんの?」
 洗濯当番を熱斗と柊に任せてきたから、あたしたちも普段よりは早い。電車通学の江藤姉妹はいつも同じ時間で、微妙なズレは珍しい。
「今日はおじいちゃんに車で送ってもらったの」
「ついでにおやつ買ってもらっちゃった」
 はいお裾分け、と、差し出されたのはキャンディの袋だった。椎羅と椎矢の好きなアイドルがCMをしてる商品だ。白いパッケージにパステルカラーで個包装されたキャンディが入っている。
「どれにしよっかなあ」
 初恋キャンディよっつの思い出、ひとめぼれのイチゴ味、ときめきのメロン味……あとなんだっけ。CMのフレーズを思い出しながら袋の中を漁っていると、
「苑美、なんでそこで鞄持ってるの?」
 教室を出てきた河音に見つかった。顔を上げて、水色の瞳が目に入る。
「あたしこれにしよっ!」
 青春のソーダ味。半透明の包みをスカートのポケットに入れる。
「早瀬くんもどう?」
 質問の答えがなくてきょとんとしたままの河音に、椎羅がキャンディをいくつか取り出して見せた。椎羅と椎矢の顔を見て、河音も事の次第がわかったらしい。
「そっか、椎矢のクラスだから?」
「そうよ。ここが中間地点なの」
「わたしだけクラス離れて、超不便!」
「去年はわたしだったでしょ」
 言い合う双子の間で河音はちょっと迷い、赤いキャンディを摘まむ。
「ひとめぼれだ」
「えっ」
 CMのキャッチフレーズをくちにすると、なぜか河音は驚いたようにキャンディの包みを凝視した。そこには手書き風に書かれた、ひとめぼれのイチゴ味、の文字がある。
 椎矢が椎羅の手に、他の味も見やすく並べてくれる。
「こっちが青春のソーダ味、ときめきのメロン味、それとファーストキスのレモン味。果物系でいちばんおいしかったのはメロンね」
「わたしはレモンがおすすめだけどな」
 椎矢からメロン味、椎羅からレモン味を押しつけられた河音は、お礼を言いながらも不思議そうにしている。そういえばこのキャンディのCM見てて、あたしも不思議だった。
「なんでファーストキスがレモン味なの?」
 あたしの疑問に椎羅が目を丸くした。
「えっ! ファーストキスの味はレモン味って言わない? ASAMAの曲でもあったでしょ」
「椎矢がカラオケで踊ってくれたやつ?」
「踊れるの? すごいな」
「言わないで!」
 河音は感心してるのに、椎矢は思いっきり嫌がった。上手だったのになあ。
「あら、増えちゅう」
 そこへ、楓生がA組の後ろのドアから出てくる。話が途切れて河音は用事を思い出したらしく、あたしたちの輪を離れる。
 椎羅は楓生にもキャンディを差し出した。
「どうしよったが? キャンディ?」
「そう。ASAMAがCMしてるやつ。ライブが当たるキャンペーンしてるの」
「好きながや。うちてっきり、あんたらあはあのシャンプーのCMの人らあが好きながかと思いよった」
 あたしと同じソーダ味を選んだ楓生は、外袋のキャンペーン情報に目を通している。
「そういえばあのひとたちのドラマとか映画とか、椎羅と椎矢は絶対見てるよね」
「違うわよ。あれはお母さんの趣味。わたしはああいう派手な感じより、土曜のドラマの生徒会長みたいなクールな方が好きなの」
「姉さんの好みってほんとわかりやすい」
「椎矢も思った? やっぱり柊さんに似てるわよね」
 椎羅たちが言ってる役を思い出す。柊と違ってちゃんとひとつに結んであるけど、髪の長い男だった。
「なんだっけ、あのひともアイドル? なの?」
「違う違う。モデルでしょ。なんか曲も出すっぽいけど」
「うちらあにはそのへんの兼業具合、全然わからんわ。役者は役者、歌手は歌手やないもんね」
 楓生からキャンディの袋を受け取りながら、椎矢が数段声をちいさくした。
「そっちの世界には、アイドルとかモデルとかいないの?」
「魔界にはおらんねえ。でも天界と冥界やったら、歌って踊って舞台やってって職業もあるにはあるで」
「そんなのあった? あ、歌姫か」
「歌姫?」
 あたしがぽろっと言った言葉を、椎羅と椎矢が繰り返す。
「正式名称やないけどね。軍の広報部のエースのこと、歌姫って言うがよ。こっちやとアイドルがいちばん近いろうか」
「想像つかないわね。軍とアイドルって全然関係なさそうなのに」
「サイン会とか握手会とか、写真売ってたりとかするの?」
 椎羅が首をひねり、椎矢が尋ねる。そこであたしは再び思い出した。
「写真! そうだ、椎羅、柊の小さい頃の写真って興味ない?」
「柊さんの小さい頃!?」
 効果てきめん、椎羅の目がきらきらと輝く。ちょうどそのタイミングで予鈴が鳴った。
「あーん! その話、あとで詳しく聞かせてね! 約束よ!」
「じゃ、また昼にね」
 教室の遠い椎羅と、先生がやたら早く来るクラスの椎矢は駆け足で去っていく。
 あたしと一緒にすぐそこの教室へ入った楓生が聞く。
「あんたが柊とそんな話しよったとはね。いま持っちゅうが?」
「まさか。柊の家にあるって。でもヒュナさんに頼んだらすぐ見せてくれそうじゃん?」
 楓生も気になるでしょ。そう笑いかけたけど、楓生の反応は「まあね」となんだか薄味だった。

2020/4/12