子供たちはしばらくはユールとの会話を懸命に試みていたけれど、やがて魔力感覚で聴力を補う以前の問題だと気づいたらしい。
「せんせえー、おにーさんの説明むずかしい!」
「先生が聞いて、あとで教えて!」
そう頼んでぞろぞろと校庭を引き上げていった。中にもほかに先生がいて、違う授業があるんだろうか。いまのはほんとは休み時間だったのかな。
じゃれあいながら校舎に入っていく姿からは、とても耳が聞こえないなんてことわからない。ユールが魔力感覚を使っているときよりよっぽど自然だ。
「どうだった?」
隣に戻ってきたユールに尋ねると、
「分からない」
といつもの返事だった。
「んー、面白かった?」
「分からない」
「あっそう。じゃあ、なんの話した?」
「魔力感覚の話をした」
「それは知ってるってば」
埒があかない。
「子供たちにはどう説明してくれたんだい?」
あたしたちの不毛なやりとりを見かねたのか、校長がくちを挟んだ。ユールはそれにはすらすらと答える。
「身体感覚のすべてに取って代わる精度の魔力感覚を使うためには、自分の生産保持する魔力を一定に保つ必要がある。日常的に魔法を使わなければならない以上、魔力を定量維持することは困難だ。さらに、身体感覚の遮断という高度に技術的な魔法を同時並行に使用していれば、魔力量の変動は避け得ない。よって魔力感覚のみを頼りに生活することは現実的ではない」
「えっ、ちょっと待って待って、難しい! ていうかユール、そんなにしゃべれたの?」
「ああ」
「その返事はいらない!」
びっくりした。ユールがすっごいしゃべった。なんか訳のわかんない難しい話を。
校長はさすがは先生で、長ったらしい説明も理解できたらしく、うんうんと頷いている。
「確かにその通りだ。けれど実際は結構な人数の子供たちがそれを習得してみせるんだよ。だいたいの子は日常生活をカバーする程度の魔力感覚を身につけたら卒業していくんだけど、中には君のような完全な魔力感覚を獲得する子もいるんだよなあ。それを他の子たちにも上手く教えてあげられたらと思うんだけど」
ユールよりは易しい言葉遣いだったけれど、あたしにはじゅうぶん難しい。これ以上話を専門的にされても困る。あたしはまだまだユールと語り合いたそうな校長の前にしゃしゃり出て、無理矢理話を変えた。
「そういえば、ここって元からあった学校じゃないですよね? お兄ちゃんのお店が近いから通ったことあるけど、去年はなかったはずだし、学校って普通、秘塔の近くにありますよね」
「ああ、それはね」
校長は一度、校舎のほうを見た。庭に面した広い窓の向こうで、子供たちは女の先生の話を真剣そうに聞いている。やっぱりさっきまでのは休み時間だったんだ。
「移転してきたんだ。ここも、元は秘塔周辺の地域にあったんだよ。でもあの辺りは騎士団の人間が多いだろう」
そりゃそうだ。騎士団の訓練場はお城の東側にまとまっている。秘塔はそのお隣。周りの街は、通り沿いには本屋とかも多いけど、すこし道を入ると騎士団向けの下宿や飲み屋が集中している。
「君たちは精霊だからよく知ってると思うけれど……神魔戦争で騎士団のノージアさんが亡くなったろう。あれから騎士団はまあ、なんというか、柄の悪いやつらの集まりみたいになってしまってね。子供たちの教育のことを考えて、ここまで移ってきたんだよ」
たしか、お兄ちゃんやゴッドもそんなことを言っていた。神魔の間は精霊不在と騎士団のいざこざで治安の悪い地域もあったっていうし、あの辺はその影響をもろに受けていたんだろう。
「ノージアさんは君のお父さんだろう? いやあ、本当に惜しい人を失ったもんだ。でも君みたいな将来有望な精霊がいるなら安心かな」
校長がユールの肩を叩く。ユールはただ、
「はい」
とだけ答えた。
帰りの移動陣に向かう道をなるべく直線に選ぶと、まず騎士団に突き当たる。その塀に沿って城へと歩きながら、あたしは魔法訓練校での会話を思い出した。
「ユールってさ、やっぱり騎士団のこととか気になるの?」
一歩遅れてくるユールを全身で振り返る。ユールは足音を乱すことなく、行く手を見据えたまま答える。
「いや。おれは気にならない」
「ふーん」
と、いつもならここでおしまいだけど、今日は運良く会話のとっかかりみたいなものを見つけられた。
「おれは、ってことは、じゃあ誰が気にしてるの?」
「姉上が」
「話すときこっち見なよ」
「姉上が、騎士団の現状を憂いている」
正面から射貫くような視線があたしを見下ろした。騎士団の高い塀の影のなかで、その真っ青な目は強烈な光を放って見えた。厚く、見透かすことのできない万年氷の青。
後ろを向いたまま立ち止まったあたしを、ユールは当然のように追い越していこうとする。
「ユール、お父さんが精霊だったんでしょ」
薄手のTシャツの袖を掴まえて尋ねると、さすがにユールも足を留めた。
「そうだ」
まっすぐ、目を見ての答え。さっき言った、話すときは顔を見ろっていうのが効いてるようだ。
「覚えてる? あたし、お母さんのことあんまり覚えてないんだよね」
「覚えている」
「どんな人だった?」
あ、これはダメだ、ユールが答えられないやつ。と、思ったのは杞憂だった。ユールは悩む様子もなく――そんなの見たことないけど――くちを開いて、魔力感覚の解説のようにするりと言う。
「真面目で、優しくて、賢くて、頼りになって、家族と本が好きで、騎士団の訓練生や市民によく慕われる、憧れの精霊だった」
「え」
「と姉上が言っていた」
「…………あっそう」
意外な思いで見開いた目を、あたしは即すがめることになった。やっぱりユールの考えていることはわからない。でも、憧れの精霊か。そういえばヒュナさんは精霊になりたかったって言ってたっけ。ユールは興味なかったのかな。小さい頃のユールって想像つかないなあ。
駄目元でもう一度聞いてみる。
「ユールの小さい頃ってどんな感じだった? あ、ヒュナさんに言われたやつでもいいよ」
ユールの返事は、今度はたった一言だった。
「可愛かった」
衝撃。大人しかったとか、そんなつまんない予想は大きく裏切られた。驚きを抑えきれず、えーっ! と声を上げて道行く人を振り返らせてしまう。
校長の言うとおり、もう夕方近くなってきた騎士団前は雰囲気がよくない。ユールの袖を引っ張って道の隅を足早に歩き出しながら、あたしは背伸びして表情のない横顔にささやく。
「ねえねえ、写真とかある? ヒュナさんに頼んだら見せてくれるかな」
「写真はある。見せてくれるかどうかは分からない」
「あたしが頼んだら大丈夫な気がする! それかお兄ちゃん」
今日はもうそんな時間はなく、あたしたちはお城の地下へ向かうだけだ。でも次に魔界に返ってくるときは、絶対この話をしよう。お兄ちゃんはもしかしたらもう見たことあるかもしれない。グロウは多分興味あるはずだ。アクアはどうだろう。
わくわくしながらお城の敷地へ入って、ふと思い出した。アクアは今日、グロウに連れられて仕事を紹介してもらったんだっけ。そっちはどうだったのかな。
ともかく、楽しいお土産話ができた。お兄ちゃんがなにをどう考えてユールに魔法訓練校を教えたのかはわかんないけど、あたしとしてはもうすでに大満足だ。