=風の精霊ウィンディ=

騎士団 1

 お兄ちゃんに教えられた場所は、お兄ちゃんのお店の近くにある小さな学校だった。
 魔界で学校といえば、まず第一は秘塔だ。魔界で唯一、女王家により創設され運営されている学校。第二、を名乗っているところはない。あとはみんな私設の小さな学校で、近所の子供を集めて面倒を見ているようなものがほとんどだ。
 ここもそのひとつなんだろうか。小さな庭と奥の平屋を囲む垣根に、「城下北魔法訓練校」の看板は宅配便の荷物のように立てかけられていた。ここ、そんなに北じゃないけど。
「ごめんくださあーい」
 開け放してあった木の門を入りながら声を掛ける。庭で数人の子供たちとなにやら話をしていた男の人が、あたしとユールを振り返った。
「こんにちは。ええと、君らは」
「クルス兄ちゃんに言われて来ました」
 子供たちの輪を離れ、おじいさんになりかけのおじさんが近づいてくる。いかにも先生っぽい真面目そうな雰囲気と、孫に甘いおじいちゃんみたいな優しい感じのあるひとだ。エプロンの胸ポケットに、校長と書いたバッジがついている。
「ああクルスくんの! えー、妹さんってことは、精霊の子か!」
 校長はぽんと手を叩いて驚いていた。そう! と胸を張って頷こうとしたとき、
「精霊だって!」
「うそ、ほんもの!?」
 きゃっと甲高い声が上がって、離れた場所から様子をうかがっていた子供たちが集まってきた。みんなアサナギとユウナギぐらいの、六歳? 七歳? そのくらいの大きさで、おそろいの黄色いバッジをつけていた。
「こらこら、しー。お話は耳を澄まして、ゆっくりだよ」
 校長がそう言い聞かせると、子供たちはぴたりとはしゃぐのをやめた。おお、すごい。
 そしてそのうちの一人、髪の毛をふたつくくりにした女の子がすっと手を挙げた。その目はちょうど正面にいたユールを見ている。ユールもいままさに話しかけられそうになっているのは分かっているらしく、女の子をじっと見下ろしている。これに怯まないのもすごい。
「あー、こほん。えっと、おにーさんは精霊です、か?」
 首を傾げるのにあわせて語尾がきゅっと上がる。ユールはそれに、
「そうだ」
 とだけ答えた。ぱっ、と女の子の顔が明るくなって、その笑顔は校長に向けられる。
「できたっ!」
「はいよくできました。集中したね。偉い偉い」
 偉いってなんのことだろう。疑問は顔に出ていたらしく、一通り女の子を褒めた校長は、あたしとユールに向き直って言った。
「魔法訓練校は初めてかな。どういうところか、クルスくんには聞かずに来たようだね」
「はい、お兄ちゃんは行ってみればユールならたぶんわかるって」
 そう、お兄ちゃんはたしかにユールならわかると言った。だからあたしはなにも考えずにお付きでここまで来たんだけど。ユールはいつもの調子で特に何もしないし言わない。ここがなにを教えるところか理解しているんだろうか。
「ユール、わかった?」
「質問の意図が分からない」
「ああもう。魔法訓練校ってなにするとこかわかった?」
 融通の利かないユールに問い直すと、答えはあっさり明かされた。
「魔力感覚の使い方を教えるところだ」
「魔力感覚って、ユールの得意なあれ?」
「そうだ」
 悔しいことに、ユールは精霊のなかでも魔法が上手い。そのユールが精霊として戦う際に使っているのが魔力感覚だ。五感を断ち切って、魔力による感覚だけですべてを把握し、目を向けたり耳を澄ませたりすることなく、見たり聞いたりするより早く反応する、そんな魔法。見えないものに反応するユールは普段の数倍不気味であたしは苦手だけど、便利なんだろうなとは思う。
 でもあれって専門の学校で勉強するほどのことなんだろうか。ユールも別に誰かに習ったとは言ってなかったし。聞かれてないから答えてないだけなのかな。
「校長先生、ここはなんで魔力感覚を教えてるんですか? ほかの秘塔みたいな勉強はなし?」
「この子たちは耳が聞こえないんだ。だから魔力感覚を身につけて、聞こえなくても問題なく暮らせるようになるために訓練してるんだよ。もちろん普通の授業もある。授業を聞くのも訓練になるからね」
「そうだったの!? 全然わかんなかった」
 女の子がユールに質問したのも、あれは訓練の成果だったのか。感心していると女の子がもう一度手を挙げて――話す前に挙手するルールになってるのかもしれない――にっこりと笑う。
「おねーさんは、はっきりしゃべるから聞きやすいです!」
「そういうものなの?」
「はい!」
 こうして会話しても違和感はない。そもそもあたし、アサナギとユウナギ以外で自分より年下の子としゃべったことないけど。アサナギとユウナギもほんとに子供かは怪しいし。
「あれ、でもユールが魔力感覚使うときって、なんかすごい音してなかった? ばちーん、みたいな」
「ばちーん?」
 女の子が首を傾げる。ユールから返事はない。これ、質問だってば! 耳が聞こえないはずの女の子とのほうがよっぽどスムーズに会話できるってどういうことだ。
「えーっと、うーん、ユールが魔力感覚を使うときのばちーんて音はなんの音なの?」
「五感を切るときの音だ」
「ここの子たちはそういうのしてなさそうだけど、なんで五感を切らなきゃいけないの?」
「痛いのが嫌だから」
 そういえば前にもそんなようなことを言っていた気がする。ということは、ここの子たちとは順番が逆なのかな。聞こえないから魔力感覚を使うんじゃなく、痛いのが嫌で感覚を切っちゃうから魔力感覚を使う……って、それってすごく高度なことのような気がするけど。
「君、魔力感覚が使えるのか? しかも元の身体感覚を封じて?」
 同じことを校長先生も思ったらしく、目を丸くして身を乗り出してくる。
「はい」
「すごいひとがいたもんだなあ! ちょっとそれ、うちの子たちにも教えてくれないか? まったく見えない、聞こえない子は魔力感覚を覚えるだけでいいんだけど、自分の感覚を使いながら魔力感覚で補うっていうのはかなり難しいんだ」
 校長先生の熱弁に、ユールはなんとあたしのほうを見た。
「なに?」
 答えを聞く前に、子供たちがわっとユールに群がって、くちぐちに、教えて! とねだり始める。ユールはじっとあたしを見ている。えーっ、なにこれ、怖い怖い。
「……教えてあげなよ」
「分かった」
 あっち向け、ぐらいのつもりで言ってみたら、ユールは素直にうなずいた。そのまま子供たちに引っ張られ、小さな木の椅子を勧められて腰掛けて、授業みたいに取り囲まれてしまう。
「いやあ、精霊というのはすごいね。みんな彼みたいなのかい?」
 校長先生がその様子を眺めながら感嘆する。あたしはハッキリ首を横に振った。
「あんなのユールだけでじゅうぶんです」

2020/2/5