=風の精霊ウィンディ=

陣書き 5

 城下の移動陣でアクアを見送って、グロウとゴッドは大通りを城の反対側へと下った。途中で角を折れて道幅は半分になり、右手に家が見えてくる。
 それは家にしか見えないが、ふたりにとっては職場でもある。クルスの店と違って看板も出ていないそこは、フェミーエ保険相談事務所、という。
 玄関に入って扉と鍵を閉め、グロウは靴を脱ぎながらくちを開いた。
「ヒルダに会わせるがあ、早まったろうか」
「そうか? ちゃんと計算してきたんだろ。仕事用にもいろいろ書いてもらって大丈夫そうだったし」
「魔法陣については、ね。アクアにはまだ、社会の荒波は早うない?」
「早いって、もっと待っても人間界の学校しか知らないことに変わりはねえよ」
「そうやけど。心配なもんは心配なが」
 はあー、と、堪えていたため息を一気に吐き出す。ジャケットの袖を抜いて奥の部屋に入り、照明陣に魔力を入れて壁際の棚へ向かう。
 数歩遅れてきたゴッドは部屋の入り口で立ち止まっている。
「気にしすぎだろ。ヒルダだって、あいつたぶんアクアのことお前より年下だと思ってるぜ。そんなに心配なら次会わせるまでに注意しとけば?」
「けんど……さっきの精霊狩りの話もどうかなあと思うたがよ」
 グロウが思い出すのは、本日の業務について問うてきたヒルダと、それにきょとんと首を傾げていたアクアだ。あの反応からして、ヒルダに書かせた陣がどういうものかは分かっていないようだが、世間知らずぶりを裏切る魔法陣知識からなにかしら推察される可能性もある。
 まあ、アクアはグロウが流通に乗るべきでない魔法陣を発注していても、きっとなにも言えないだろうけれど。
「お前さあ。仕事のこと言いたくないんだろ」
 グロウのすっきりしない言葉尻に、ゴッドも思うところに行き着いたようだった。声には少々批難めいた響きがある。
 父から継いだ事業だ。職業に貴賎はないし、世に恥ずべきものではない。ただ胸を張れる手段だけを選んでいるかというと、グロウは返事に窮する。少なくとも今は。
「そのうち説明しちゃるつもりながで。ただそれも時期があると思うがよ。いまらあ、本業と精霊狩り探しと切り離せんなっちゅうし。アクアはなんちゅうか純粋なやん? 自分でも仕事してみて、多少世の中を知ってからやないと理解できんこともあるろう」
 棚の書類を引き出しながら唸るグロウに、ゴッドは戸口にもたれて、
「で、お前はその、アクアにはまだ知られたくないお仕事で俺をこき使ってるわけだ」
「………」
「わり。冗談」
 それと分かる声音だったが、グロウを黙らせるには十分だった。背中から入って胸まで刺さった。
 足まで釘付けにされたように立ち尽くすグロウのそばへ、ゴッドが本気で申し訳なさそうに寄ってくる。それがまたグロウには複雑で、選び取った書類を顔も見ずにゴッドの方へ突き出す。
「コソコソさいてしょお悪いけど、しばらくは頼むで」
「いいよ別に。つーかおおっぴらにやっても結果出るのが遅れるだけだろ。まだ精霊に探されてるとは気づいてない、今のうちが狙い目なんだ」
「うん、そうやね」
 随分とグロウにとって都合の良い名目ではあったが、ゴッドは素直にそれを理由として動いてくれる。心苦しさと安堵が同時に去来する心中を隠して、グロウは足音がまた離れていくのを聞く。
「いってらっしゃい」
 顔を上げると、ゴッドはすでにグロウから受け取った書類を手にドアへと引き返していて、半身で振り返ってグロウが目を合わせるのを待っていた。
 右足がドアの向こうに入り込む。その足裏にあって今は見えない魔法陣が働く。ひとつの瞬きのあいだに、ゴッドの瞳から魔力の色が消える。
「いってきます」
 そう言って出て行ったゴッドの気配が完全になくなるまで、グロウはじっと、半分開いたドアを見つめていた。

2019/11/28