=風の精霊ウィンディ=

台風 6

 長い一日だった。けど、夜もまだまだ長かった。
 あたしが椎羅と椎矢を連れて、人間界の家に置いてきたお泊まりセットを回収し、城下にあるグロウの家へ着いたときには、夕飯もお風呂もベッドも、支度という支度は万端まで整っていた。
「グロウって、ほんとよく働くよね」
 別荘を出発するときもそうだ。指示出しもかなりするけど、自分でもよく動いていた。
「今回だけね。椎羅と椎矢には、ほんとに悪いことしたと思いゆうがよ」
 キッチンの前に広げられたローテーブルには、半分おやつみたいな軽い夕飯とお菓子が並んでいる。これはさすがに買い置きと出来合い品で、今日はなにも作ってないと言ってたけど、普段と違うちゃんとしてないご飯はなんだか楽しい。
「さあ、楓生、こうなったら全部聞かせてもらうわよ」
 ここまでどちらかというと黙りがちだった椎矢が、やっといきいきとした表情を見せる。
「そうよ。なんかつい柊さんのことばっかり聞いちゃったけど、ふたりのことだっていろいろ聞きたいんだから」
 にやりと笑ってみせる椎羅も、あれは平静を失った結果のことだったらしい。ちょうどユールは怪我してたし、余計気になってしまったんだろうか。
「いいけどさあ、たぶん重い話するよ? 暗くならないでよね」
 あれくらいで動揺されたら、親が死んでるなんて言っていいのか、さすがにあたしも迷う。思い出すのは春、アクアに初めて神魔の話をしたときのことだ。
 グロウは自分のお茶を注ぎながら横目にあたしを見て、
「そうやね。椎羅と椎矢にとってはびっくりするようなこと言うかもしれん。けど別に、うちらあこうやって友達とお泊まりしておしゃべりして、楽しいやりゆうがやき、過ぎたことはあんまり気にせんでも――」
「過ぎたことじゃないのよ、聞きたいのは」
 グロウの言葉を遮って椎矢が身を乗り出す。
「さらっと言われちゃったからあのときは流したけど、別荘から帰るって言ってたあの家、ほんとに五人で住んでるの!?」
「あ、そこなの」
 拍子抜けするあたしに対して、グロウは「やっぱり」と言いたげな微妙な笑みを浮かべていた。
「まあ、うん、いろいろあってね」
「そのいろいろが知りたいのよ」
 椎矢の目は好奇心できらきらと輝いている。さらに椎羅が、
「ていうか、この家も! 楓生がわたしたちに泊まればって誘ってくれたとき、明坂先輩、自分の帰るとこなくなるみたいな言い方してたわよね」
「そうそう。それに楓生、実家って言わなかった? なに? 婿なの?」
 ふたりは急に楽しそうだった。反対にグロウは露骨に困っている。
「まず、婿は違う」
「じゃあなに? 先輩って感じじゃなかったけど」
「いつから知り合いなの? 五人で住んでるのは今年からなのよね。苑美とか早瀬くんもずっと知り合いだったの?」
「えーと、違くて、四月のちょっと前くらいにあたし以外の精霊が人間界に飛ばされる事件があって、あたしが探しに来てそれで初めて会ったの」
「初めて会って一緒に住んでるの!? 平気なの? わたし絶対無理……」
 椎矢が大げさに首を振る。ゴッドほどじゃないけど、椎矢も他人が嫌いなのかもしれない。
「緊急時やったきねえ。飛ばした犯人が魔界におって、こっちの家は割れちゅうろうき、自分くへ帰るがは危険やったがよ。いろいろあってそのまま住みゆうけど」
「で、楓生と明坂先輩にはどういういろいろがあったわけ?」
 椎羅は追及の手をいっこうに緩めない。あたしが答えちゃおうかとも思ったけど、あとで怒られそうだから黙っておいた。
「熱斗のお母さんが精霊やったがやけど、八年やおか、そればあ前に亡くなって、うちの父親と同級生やったとかで、父親が熱斗のこと預かってきたが」
「少女漫画以外でそういうの初めて聞いたわ」
「ほんとにあるのねえ」
「ふたりが思いゆうがとは全然違うで! 父さん自営やって、亡くなってからはうちが社長、ゴッドは社員」
「住みこみ?」
「ほかのひとはいないの?」
 グロウがどれだけ素っ気ない言葉を選んでも、ふたりは変わらず興味津々だ。
「そうやけど、そんな楽しそうなもんに見えた!?」
 椎羅と椎矢は顔を見合わせる。何度も見てきた仕草だけど、同じ顔で同じ表情を突き合わせているのは、端から見るとなんだか面白い。
「楽しそうかっていうと、どうかしら。条件はいいんだけど」
「でもつまらなくはなさそう。前途多難て感じ?」
 グロウがちょっと声を荒らげてみたところで、いまのふたりにはちっとも効かないみたいだった。真剣そうな声を出しつつ、顔はしっかり笑っている。
「グロウより、いまの椎羅と椎矢のほうがよっぽど楽しそうだよ」
「当たり前でしょ。恋バナが楽しくない女子なんている?」
「友達の恋バナなんて最高じゃない。苑美はなんかないの?」
 椎羅が差しだしてきた手に、そのへんにあった砂糖菓子を乗っけながら、あたしは首を横に振る。
「ないない。椎羅がずーっとユールの話してるのだってわかんないし。ていうか、いつから恋バナ? になったの? グロウとゴッドのことでしょ?」
 椎羅はお菓子を握りしめてくちをあんぐり開けて、
「うそでしょ。苑美ったらちゃんと話聞いてた? どう考えても」
「そこまで!」
 びし! とあたしのくちもとにフォークが突きつけられた。グロウはその切っ先を引っ込めながら、
「ルビィこそルサ・イルのことはどうなが? 好きやったがやない?」
 ターゲットをあたしに変えてきた。
「苑美に好きなひといるの!?」
 椎矢がさっきの椎羅以上に驚いた顔をする。
「そりゃアルサは好きだけどさあ」
「誰? 誰? どういう人?」
 椎羅が隣まで移動してきて、肩をぴったり寄せられる。あんまり期待されると困るんだけど。
「どういうって、育ての親? っていうの? 陣書き……魔法陣書くひとで、そういえば本名知らないけど、魔法陣が天才的に上手いからルサ・イルって呼ばれてた」
「ルサ・イルっていうがは――」
 グロウが補足をしてくれようとするのを、椎羅が遮って聞く。
「待って、育ての親? 好きなひとが? ある意味楓生よりすごくない?」
「魔界ってそういうのアリなの?」
 椎矢が怪訝な顔をして、グロウが手を振って否定する。
「養子やったわけでもないし、結婚せられんとかの決まりはないけど、普通アリではないで。何歳から大人って法もないけんど、さすがにルサ・イルばあの完全な大人が、うちらあばあの年の子供に手え出したらあんまりやお」
「なんか、苑美たちの人生ってけっこうハードよね……」
 握りっぱなしだったお菓子をやっとくちへ入れて、椎羅が途方に暮れたような声を出した。
「精霊だからねー。それに神魔があったし。魔界でも、こういうのは普通じゃないよ。十一歳ってだけならだいたい子供だもん。親もいるし、仕事もしてないし、学校は……行ってるほうが珍しいけど。グロウは全部逆だよね。あと眼鏡も珍しい!」
 グロウは笑いながらうなずいて、
「そうやね。あと、人間界行ったことあるひとも珍しいがで。その上、うちらあ住みゆうし」
「それも! しかも精霊でってなると、史上初かも!」
「どうやおね。そもそもの歴史がちゃんと残ってないきねえ」
 ついあたしたちだけで盛り上がってしまってから、置いてけぼりにしてしまった椎羅たちに視線を戻すと、なぜかふたりも笑っていた。
 頬杖の椎矢が微笑んだまま言う。
「楓生の言ってたとおりね。楽しくやってるから、過ぎたことは気にしてないって。そりゃあたまに思い出したりもするんでしょうけど。最初に精霊とか、魔界を守るとか聞いたとき、楓生たちにとってはそっちの生活が本当で、わたしたちと学校でおしゃべりしてるのとか、楽しんでるフリだったのかもって思っちゃって。でもそうじゃなくて、よかった」
 そういう心配もあったのか。グロウが最初に、ユールも柊もどっちも本名だ、ってへんなことを言っていた意味がいまさらわかってくる。
 椎羅があたしとグロウのあいだにやってきて腕を取る。
「これからも、いままでどおり友達でいてね」
「うん!」
 とあたしは元気よく返事をした。けど、グロウは意味ありげにニヤリと笑って、
「友達は友達やけど、いままでどおり、とはいかんで」
 と不穏なことを言う。椎羅と椎矢の表情が曇る。
「ど、どういうこと?」
「ふたりはもう、うちらあの関係者になってしもうたということよ……」

2019/2/26 (修正 2023/5/11)