=風の精霊ウィンディ=

台風 5

 ちょうどそのとき、廊下へ続くドアが開いて、精霊服姿のグロウがゴッドを伴って入ってきた。
「遅うなってすみません」
 ゴッドがドアを閉めるより早く、グロウはさっとカーペットに膝を突いてヒュナさんに挨拶する。
「いいのよ。今回の件、お城絡みなんでしょう。クルスから聞いてたわ。それで、片は付いたのかしら?」
 ヒュナさんも、お兄ちゃんに話した程度のことは知っているらしい。城への侵入者と戦ったことはグロウが伝えたんだろうか。あたしたちが着いたときには薬の準備もできてたし。
 グロウはヒュナさんの問いに、どこか歯切れ悪く答える。
「一応は、というところです。犯人には逃げられたがですけど、わざわざうちらあが追わえて捕まえる必要もないろうと。ハノルスのきょうだいやったがですよ。城へ侵入したと言うても、身内が遺品を取りに来たばあといえばそうですき」
「じゃあ、前の件の黒幕が出てきたってことじゃなかったのね。ユール、おまえそれでこんな怪我してたら世話ないわよ。しっかりなさい」
 ヒュナさんが先ほど丁寧に塞いだ傷の上をぱしんと叩いた。ユールはまだ感覚を切りっぱなしなのか、はい、と静かな返事をするだけだ。
「そういえばグロウちゃん、あなたに聞いておきたいことがあるんだけど……その前に、人間界のお友達にはどこまで説明したの?」
「ほんの概要ばあですよ。魔界のこと、魔法のこと、精霊のこと、そっぱあです。でも別に、聞かれて困ることはないですよ。何でも言うてください」
 精霊狩りとか、あたしたちに親がいないことは、グロウはあえて除いて説明していた。いまはどこに行っても精霊扱いだから話は別だけど、小さい頃、ルサ・イルに連れられているときは、あたしの正体を知らない大人たちから「まだ子供なのにお母さんがいなくて可哀想」と言われたものだ。たぶんそんな感じで、ややこしくなるから伏せたのだろう。
 ヒュナさんはそんなグロウの意図をくみ取ってか、冗談を言うような笑みをふくめて言った。
「あなたたちのお客さんになるには、未亡人じゃなきゃダメ?」
「天界か冥界の政府から遺族年金が出るやったら請け負いますよ。騎士団は調査書がのうても、届だけで給付が下りたでしょう」
「……そうね」
 そう言うヒュナさんはとても残念そうに見えた。ヒュナさんはハノルスの黒幕が精霊狩りだと考えていたんだろうか。
 あたしのなかでお母さんの記憶はもうだいぶ遠くなっている。だから、精霊狩りについてもアルサがそのことを知ってた理由とか、アルサがいなくなったことに関係あるのかとか、そういうことのほうが気になる。けど、ヒュナさんは精霊狩りの当時で十一歳だ。両親のこともよく覚えていて、精霊狩りに対しても思うところが多くあるのかもしれない。
 そう思うとなんだか可哀想で、あたしはつい身を乗り出して言っていた。
「でもヒュナさん、グロウとゴッドは仕事じゃなく精霊狩りを探し――むっ!」
 後ろからグロウにくちを塞がれた。
「なにすんのさ!」
 その手を引っぺがすと、グロウは困ったような怒ったような険しい顔で、
「くっ、遅れた」
 と低く呟く。
「あんたねえ、勝手なこと言わんとってくれる?」
「言っちゃダメなやつだったの? だったら先に言っといてよ」
「言っちゃダメってことないだろ」
 否定を挟んだのはゴッドだった。グロウの目が数段険を増してゴッドを睨む。その向こうからグロウの表情を見ているアクアが、睨まれている本人の何倍もびびって仲裁をためらっている。椎羅と椎矢は珍しいものでも見物しているみたいに事態を見守っていた。
「俺とグロウはずっと精霊狩りを探してます。ハノルスの件と関連があるかはまだ分かりませんが、その方向も含めて当たってみる予定です。城や魔界に関わることであれば、精霊としても動きますし」
 ゴッドは平然とヒュナさんの期待に応え、ユールとそっくりの顔がほっと緩むのを認めると、
「さっきも言ったとおり、『別に、聞かれて困ることはないですよ』。逐一報告は難しいですけど、進捗を知りたかったら聞いてもらって大丈夫です」
 グロウの、あの独特な真似しがたい抑揚をそのままなぞってみせた。これはあたしでもわかる、ヒュナさんじゃなくてグロウに言ってる。うわー、絶対怒らせた!
 思えばゴッドは、あたしたちが椎羅と椎矢と遊びたいだけの夏休みに同行させられるのを結構本気で嫌がっていた。これはその仕返しなのかもしれない。
 さあグロウはどう出るか!? あたしはちょっとわくわくしながらグロウを見てしまう。
 グロウはまばたきひとつで険しい表情を引っ込めた。そうして、やけに穏やかな笑みを浮かべて、まずはヒュナさんに、
「うちの従業員の言うとおりです。お客さんとしてやのうて、関係者同士ということで、情報提供はできますき」
 従業員のところを強めに言っていた気がする。でもヒュナさんは「あ、グロウちゃんが雇ってるの? そういう感じなのね。今度またお仕事のことちゃんと聞かせてね」と、ぴりぴりした空気は一切気にしていない。
 グロウは次いで、あたしたちみんなを相手に、「さて」と切り出した。
「椎羅と椎矢のご両親には、うちらあは今晩別荘へもう一泊して明日の昼以降に帰ると伝わっちゅうわけながやけど、椎羅と椎矢をそれに合わせて帰さないかんがよね」
 そういえばそうだった。でもいまからあの別荘に戻るわけにもいかない。あの荒れっぷりでは寝泊まりには厳しいし、そうだ、その言い訳も用意しなきゃいけないのかも。
 あたしはそんなもの考えるのはまったく得意じゃないので、素直にグロウの提案を待つ。
「うちから椎羅と椎矢へ、お詫びというほどにもならんけど、お泊まりのやり直しで今晩はうちんくへ泊まってくれん? ルビィも来てもうて、女子だけで。いろいろ聞きたいことも残っちゅうろうし、どう?」
 椎羅と椎矢はちらっと顔を見合わせて、すぐにおずおずと頷いた。
「楓生がいいんなら、むしろこっちからお願いしたいくらい」
「わたしは、最初は四人でお泊まりのつもりだったし……でも」
 口ごもる椎矢は、ある方向だけは見ないようにしている。ゴッドだ。
「俺らはどうしろって?」
「あんたは家あるやん。実家帰ったら?」
「えっ」
 なぜかアクアがグロウの発言に反応した。ゴッドはなにも言い返さず、グロウもすぐに打ち消す。
「冗談よ。アクアと人間界へ帰っちゃって。ほんで通信鏡のほうも復旧しちょってや。ユールはここへ残るろ?」
「ええ。……クルスも呼ぶわね。ルビィちゃんが帰らないんじゃ、ひとりで寂しいでしょうから」
 ヒュナさんがそう受けて、今夜の宿はなんとか落ち着いた。

2019/2/26 (修正 2023/5/11)