「さてと。なにから話そうかね」
折りたたみの小さな椅子に腰掛けて、グロウが足を組み、腕を組む。すでに精霊服ではなく、ここへ来たときの服装だ。あたしとアクアと椎矢は、レジャーシートの上からグロウを見上げた。
バーベキューはほとんど終わりかけだった。冷蔵庫にあった調理されてないものを、台所から持ってきたまな板と包丁でグロウがどんどん切って、とにかく全部網に並べて焼いた。半分も焼いたら、ひとまず溺れてもがいて消耗した分は戻ってきた。
あたしは途中までグリルのそばで風上を探して煙を避けながらひたすら食べてたけど、おなかが落ち着くと今度はあまりの暑さに耐えかねて日陰へ引っ込んだ。いまはゴッドが火元の世話をしているだけだ。もうみんなご飯は済んでるけど、グロウ曰く、残り物も全部火を通しておけば二日ぐらいは保つのだという。
ユールは手当てのために座らされた木箱をずっと椅子代わりにして、椎羅がその手元の皿に親鳥のように運んできた肉や野菜は、まだ小さな山になって残っていた。
そのユールの膝元から、椎羅が椎矢と視線を交わす。いつもグロウとゴッドがやってるような、でもそれよりはもっと曖昧な感じの、姉妹のやり取り。
意を決したようにくちを開いたのは、姉の椎羅のほうだった。
「……柊さんって、偽名だったってこと?」
「姉さん! それが最初に聞くこと!?」
椎矢が紙コップを手にしたまま立ち上がる。
「だって! わからなすぎて、なに聞けばいいのかもわからないんだもの!」
「それはそうだけど! でもいちばんに聞くのがそこじゃないのはわかるでしょ!」
椎矢の指に力がこもって紙コップがへこみ、お茶の飛沫が散るのをあたしとアクアははらはらと見上げる。それを見ていたグロウが、ふいに気の抜けた声で笑った。
「っふふ、そうやね、なに聞いたらえいからあて分からんでね」
「笑い事じゃないわよ! ほんとになんなの!? なにがどうなってて、さっきまではなにが起きてたの? 楓生は、楓生たちは……っ」
地団駄を踏む勢いでまくしたてる椎矢が、声を詰まらせる。
「楓生たちは、わたしたちの友達、なの?」
すごく気持ちのこもった言葉だった。けれど友達ができたのもこれが初めてのあたしには、椎矢がどういう意味でそんな言い方をしたのかなんてわからない。
椎羅とアクアが同じような不安を顔いっぱいに浮かべて見守るなか、グロウは最初の椎羅の質問にこそ答えた。
「偽名やないよ。偽名って、嘘の名前ってことやお。柊は冬山柊って名前。でもこれの他にも名前がある。ユール・スノークス、これも本名やし、冬山柊も本名。使いゆう場所が違うだけ」
「ゆー、る……さん」
椎羅がかたわらのユールを見つめる。ユールは呼ばれたという意識がないのか、なにも反応しなかった。
「場所が違うってどういうこと?」
椎矢の問いに、グロウの返答は迷いがない。
「うちらあは違う世界から来た。ここでは冬山柊が本名やけど、そこではユール・スノークスが本名。うちはグロウ。ルビィ、アクア、ゴッド、」
グロウの指がひとりずつ示す先を、椎矢と椎羅は律儀に目で追っていく。あたしは手を挙げて、アクアは会釈するみたいに顎を引いて、ゴッドは手元から目線だけを上げて間もなく戻した。
「違う世界、っていうがは、バスとか電車では行けんとこ。名前は魔界。うちらあはそこで精霊っていう……役目を持っちゅう。人間界、この世界まで来たがは、まあいろいろと事情があってのことながやけど」
さすがのグロウも神魔戦争に始まる一連のごたごたを簡潔に説明するのは難しいみたいだった。一呼吸置いたあいだに、椎羅と椎矢からとりとめのない順序で質問が上がる。
「さっきの飛んでった人たちは?」
「あの飛ぶやつとか、楓生たちがしてたのとか、なに? 苑美は魔法とかって言ってたけど」
そういえば、人間界って魔法はないのに魔法って言葉はあるんだよね。架空の不思議な力のことらしいけど、そのことのほうがよっぽど不思議だ。
「えーと、飛んでった二人のことはうちらあも調べ中やったがやけど、まあそうやね。今日椎羅と椎矢が見て、ありえんと思うたような不思議な現象はだいたい魔法やね」
「一瞬で着替えられる暑そうな服とか?」
椎羅がなんのことを言っているのかはあたしでもすぐわかった。なので、すぐ訂正する。
「精霊服ね」
「名前あるのね」
感心するとこ、そこ? 魔法を知らないひとの感覚ってわからない。
グロウはもっと想像力があるのか、ぽんぽんと例を追加する。
「他にも、さっきの二人組が撃ってきた光の輪とか、動かしよった人形とか」
「あれやっぱりヒトじゃなかったんだ」
椎矢は疑問が解消されてすこしほっとしているようだった。すこし明るくなった表情で、遠慮がちに言う。
「じゃあ、早瀬くんのお守りも?」
急に名前を出されて、アクアが戸惑いがちにうなずく。
「うん、魔法陣……ん? お守り?」
「楓生がくれたの。おかげで助かったわ。どういう仕組みかわからないけど」
「仕組みは――」
「その話はあとにしい」
思わずといった様子で魔法陣を解説しようとするアクアを、グロウが遮った。そして真剣な表情で、椎羅、椎矢、と名前を呼ぶ。組んだ脚と手を解いて、二人をまっすぐ見つめる。
「黙っちょってごめん。いろいろ嘘もついた。その上危険な目に遭わせて、怖い思いさせたね。ほんまにごめんよ」
言い切ったあと、グロウは深く頭を下げた。驚いた。あたしは正直、みんな無事だしよかった、ぐらいにしか考えてなかった。けどそうだ、グロウはこうやって椎羅たちを巻き込むことも踏まえて、ここに来ることを選んだんだった。
椎矢が慌てたように紙コップを置く。
「そんな……わたしたち、別に怪我もしてないし、こんなことにでもなってなきゃ、ほんとのこと言ってくれてたって信じてなかっただろうし」
ねえ、と椎羅に目配せすると、椎羅も大きくうなずいた。
「そうよ。それに、わたし知りたかったんだもの。柊さんのこと」
「椎羅」
椎矢がたしなめるような声を出す。けど、椎羅の目は真剣だった。
「こうやって巻き込まれなかったら、わたしには知るチャンスもなかったことがあるんでしょう」
グロウを見て、それからゴッドを振り返る。ゴッドはすでに網の上のものを紙皿に引き上げ終えていて、椎羅ではなくグロウに向かって言う。
「これ、仕舞いしていいか?」
「かまんで。……じゃあ椎羅の話は帰ってからね。柊の怪我を診てもらわんといかんし」
そこであたしはふと疑問に思った。
「家に帰って、ヒュナさん呼ぶの?」
通信鏡も、移動陣も、出てくるときに切ってしまっている。あれを両方使える状態に戻すには、それなりに時間がかかるはずだ。
グロウは再び腕と脚を組んで答えた。
「帰るがはあの家までやない。魔界よ」