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風は絶えず勢いよく渦巻いていた。魔力は一度強烈に吸い上げられただけで、あとはずっと風のかたちをとって留まっている。勢いがついてしまえば繊細なコントロールの必要もない。
「いい魔法陣だけど、これどうしよう」
足下でうずくまる頭に問いかけたけど、アクアはあたしに返事をする余裕もないようだった。
詰め寄ってこようとしたピュッセの人形が、弾かれるように吹き飛ぶ。たしかに強力だ。でもこれでは的を絞った攻撃はできない。加減も効かないから、打ち所によっては最悪の事態もありうる。グロウのお達しは捕まえて話を聞き出すことだ。
悩んでいるあいだに竜巻の外でなにかが光った。光輪とはまた色が違う、青か緑かの大きな光の塊だ。けれどすぐにかき消えてしまう。
「ルビィ、あれだ!」
ようやくアクアも顔を上げた。息苦しそうに、風に負けそうな声を張っている。あたしは呼吸に困るような感覚はないんだけど。
「あれ魔法? どうやってるのかわかんないんだけど」
「そうじゃなくて! あのふたりの魔法みたいに、もっと魔力を狭く絞って、狙ったとこだけに当てるんだよ!」
「でも、そしたらこの魔法陣は? 陣って一回しか使えないでしょ」
「もういい!」
アクアが精霊服の裾を掴んで体を起こす。
「もういいんだ、この陣は。ルビィの魔力をここまで引き出したんだから。それってひとりじゃできないだろ」
「……まあ、そうだね」
立ち上がったアクアは、風がうるさいのか顔を寄せて言い募る。腕を掴む手にちからが入りすぎて痛いんだけど、あんまり真剣な表情をしてるものだからなにも言えなかった。
それに、これだけの魔力を制御して別のかたちにするなんてわくわくする。笑ってる場合じゃなくても口角が勝手に上がってしまうくらい。
「よっし、そこまで言うならやってみよっか!」
いくよ、という合図のつもりで目配せすると、アクアはなにに驚いたのか目を見開いて飛び退こうとした。
「だめだよ危ないよ。ほらつかまってて」
「ご、ごめん」
その手を引き寄せて、あたしは剣を持った左腕を目の高さでまっすぐに伸ばす。
からだの外にある魔力。砂を吹き上げて渦巻く風。それに対して、からだのすみずみまで満ちる魔力と、剣を中心に湧き出す風。
これまでにないイメージをずっと使ってきたイメージに重ねていく。アクアの魔法陣とは違って、あたしの魔法はそんなおおざっぱなものだ。
竜巻の壁が緩む。ほどけて、幾条もの風になって、絡みつくように剣の周りに魔力が集う。
視界が急に明るく晴れた。真夏の海と空から光がいっぱいに降り注ぐ。そのなかに逆光のシルエットが三つ浮かんでいた。
「ぴー助!」
「きゅーたん!」
呼び合ったクイードとピュッセが手を取り合う。二人の前に人形がどっしりと浮き、作り直した両手を前に伸ばした。クイードたちはその肩に手を添え、
「いくぜ、俺たちの!」
「ハイパーウルトラミラクル!」
あたしはそれを聞き届けずに叫ぶ。
「伏せて!!」
ゴッドがユールの襟首を掴んだ。その先は見てないけど信用する。そうじゃないと間に合わない。引きつけた魔力に限界がくる。
「ウィンディーーーーーッ!」
呪文なしでは絞りきれない、爆発するように魔力が風のかたちをとって空を走る。踏ん張った右足に重い反動がかかる。その脚にしがみついて悲鳴を上げているアクアの手をぎゅっと握る。
「はぁああああーーー!」
出し切れ、出し切れ、やれ!
「っ、ああ!」
すっ、と急に腕が軽くなる。まとった魔力のすべてが手を離れたのだった。勢いで前のめりに倒れそうになるのをこらえ、顔を上げる。
やりすぎた。果たしてクイードとピュッセは――
「ひょえー、マジで死ぬかと思った。くわばらくわばら」
「精霊ってあんなことできちゃうのねー。こわ~い」
いた。あたしが風をぶつけたところの、半分くらいの高さに浮かんで手の甲で額の汗を拭っていた。
「な、なんで」
なんかよくわかんないけど、二人、三人? で防御態勢を取ってたように見えたのに。そしてあたしの風はそこを突き破ったはずだった。
「ふっははは! 聞いて驚きやがれ!」
クイードが半端な高さのまま胸を張る。それより先にゴッドが、
「さっきお前の竜巻に突っ込んだときの魔力の盾だ。あれを作って、そこに留まってると見せかけて自分たちだけ高度を下げたんだ。横からだと丸見えだった」
と種を明かしてくれた。
「ちょっと~! きゅーたんの台詞とっちゃダメじゃな~い!」
「まあいい。ごほん、精霊! おまえたちの実力は見定めた。攻略法もすでに俺様は閃いている!」
憤るピュッセの前に出て、クイードはもう一度胸を張りなおす。びし、びし、びし、とあたしたちを端から指差して、
「だが! 今日のところは見逃してやるから感謝するんだな! 次会うときはケチョンケチョンのメッタメタだ! 覚悟しておけ!」
「お風呂で首をよ~く洗っておいてね! それまではせいぜい枕を高くして眠るのよ~」
二人はぐんと高度を上げる。人形に横抱きに抱えられたピュッセがひらひらとハンカチを振る。
「あれ、に、逃げてない?」
アクアに言われてはっとした。本人は足下で両手と膝をついたまま立てそうにない。あたしは急いで駆け出した。
幸い、魔法陣を使ったときの感覚はまだ体に残っている。上から順ではなく、根元からごっそりと魔力を切り取って、使う。クイードたちの浮遊と同じとは言えないけど、足下から風で突き上げるように体を持ち上げた。
だん! とない地面を強く蹴る。風の塊とでも言うのだろうか、靴の裏にはたしかな感触があって、あたしは跳んだ。
「待て! まだハノルスの黒幕も、城に入った方法も聞いてない!」
「お前らの都合なんか知るかよ! 兄貴が死んだってのは他のきょうだいに教えてもらったんだ、黒幕なんつーいかがわしいもん関係ねー!」
「わたしたちはいつだって、正々堂々はいどうどうなんだから! お城なんて、きゅーたんの究極魔法にかかればちょちょいのちょいよ~!」
クイードは片手に光輪を回しながら、反対の手であっかんべをしてみせる。ピュッセも唇の端を両手で引っ張って舌を出している。
ばかにされてることに反応する余裕はなかった。捕まえるまでもなく、ふたりは答えだけ寄越したのだ。でも、
「それってほんとなの!? ほんとにそれだけ――おわっ!」
驚いたせいで魔力の集中が緩んだ。足下からなにかが抜けるような感覚と、落下。
とっさに風を起こして吹き上げ、広いマントで受けた。
「うっ、いた、っつううう……」
今日二度目の衝撃は、高さのわりに最初よりマシだった。振り切るように頭を振って空を見上げる。三つの影はすでにはるか高く、岬の向こうへと消え去りつつあった。
「ばっはは~~~い!」
ふたつ揃った声を最後に、その姿は完全に見えなくなった。