=風の精霊ウィンディ=

白昼 6

 どん、という衝撃を残して人形の手から光球が撃ち出された。あたしはそれを追いかけて飛び出す。でもとうてい間に合わない。
 焦りでぎゅっと狭くなった視界に、ふいに黒い影が飛び込んできた。
 ユールだ。細い剣が信じられないほど冷静に構えられ、光球を正面から受ける。接触したそばから魔力の凝集した氷が広がって、光の塊を包み込む。
 よかった、と立ち止まりそうになったとき、
「止まんな!」
 言葉と手に強く背中を押されてあたしは走った。人形を迎え撃つユールを追い越して振り返ると、クイードが降らせる光の輪をゴッドがしのいでくれていた。そのままアクアのところへ駆けつける。
「これもう使える!?」
「うん、早く! 後ろなんか来てる!」
「後ろ?」
 アクアがほっとした表情をすぐに仕舞って声を上擦らせる。見れば人形がすぐそこへ迫っていた。
「ユールは!? 引き受けてくれたんじゃ……」
 剣を構えつつユールの姿を探す。すこし離れた場所で、砂の上に倒れた黒づくめが起き上がるのが見えた。ああもう!
「アクア下がって!」
 払った右手をアクアが掴んだ。
「なにして――」
「こっち! 魔法陣! 入って、もう使って!」
「入って、って、うわっ!」
 アクアに引き倒されるのと人形にのしかかられるのと同時だった。尻餅をつきながら、自由な左手の剣で人形の腕を受け止める。右手はアクアの両手とともに地面について、
「っ」
 砂に引かれた線が魔力を得て赤く光る。
 ぞく、と、気持ち悪いような、どきどきするような、不思議な痺れが全身を、剣を握る手へ向かって駆け抜けた。
 かっと全身が熱くなるような、頭のなか全部が冷たくなるような、すべての音が消え去ったみたいな、自分のなかを血の流れる音が大音響で聞こえるみたいな――それは究極の集中だった。いつも上から順に取って使っている魔力を、そうじゃないと取り扱えないめちゃくちゃなエネルギーを、ごっそりと持ち上げていかれる感覚。
 次の瞬間、
「はあああああああああッ!」
 息と、声と一緒に、その魔力が全部風になる。
 剣を掴むように伸ばされた人形の両腕が、風の奔流にぶつかって瞬時に砕け散った。
「いや~ん! わたしのハーモニアちゃんが~!」
 ごうごうとざわめく風の向こうからピュッセの悲鳴が聞こえる。その間にも風は力強さを増し、渦を形作り始めた。砂が巻き上げられ、視界が暗く閉ざされていく。
「アクア、立てる!?」
「うっ、む、むり……!」
 腕を失った人形は、反動で起き上がったものの、またこちらへ迫ってこようとしている。押し返さなくちゃいけないけど、アクアはあたしの腕にしがみついているのが精一杯のようだった。このままじゃ立ち上がることもできない。
「じゃあ脚に掴まってて」
 アクアの手を脚の方へ誘導し、その脚を踏ん張って風のなかに立つ。剣を前へと構えると、巨大な魔力が張り詰めるのがわかった。
 狙いは一撃ノックアウトだ。

 光の輪が雨のように降る。広く撃ち出されたそれを、ゴッドは薙いだ剣の軌跡に魔力の炎を広げて受けた。
 クイードの魔法は鋭く研ぎ澄まされて攻撃力を高めているが、魔力そのものは非常に小さい。グロウのように一発ずつを弾き返さなくとも、より大きな魔力で包み込めば威力を殺すことができた。
 その魔力の余りを凝縮させ、次弾装填に励むクイードへと差し向ける。ごう、と魔力が空気をかき分ける音がして、炎がクイードを包む。だが、
「ふははははーッ! 俺様にそんなものは……効かねーぜ!」
 溌剌とした声とともに、魔力がなにかにぶつかった。ゴッドは攻撃の手を緩めて魔力を霧散させる。その向こうにあったのは、緑色に透き通るガラス板――のような形状に実体化させた魔力であろう。ここまで隠していた、クイードの防御技のようだった。板を支えるように掲げた両手が下げられると、光は板の中心へ水平な線となって吸い込まれるように消えた。
「見たか、これが俺様のパーフェクトバリアだ! こいつを使わせるとは、てめえなかなかやるじゃねーか。だがしかし! これがある限りおまえの攻撃は俺様にかすりもしない! つまり俺様の勝利は約束されているのさ……パーフェクトにな!」
 クイードが機嫌よく御託を述べ始めた隙に、ゴッドは先を行かせたルビィの様子をうかがった。どうやらアクアと魔法陣のもとへはたどり着けたようだ。
 けれど安心している暇はない。人形が膂力に任せてユールを弾き飛ばし、ルビィたちに迫っていた。援護して間に合うか、クイードはまだ動かないか。逡巡の時間はなかった。
 空中でポーズを決めているクイードに背を向け、低い姿勢で駆ける。人形の異常な脚力には追いつかない。剣を振り抜いて魔力を込める。
 その瞬間に巨大なものが視界を塞いだ。
「っ!」
 一瞬にして魔力の集中がかき乱される。迫ってくるなにかを避けて転がったのはただの反射だった。三転目で肩が地面を滑る勢いがようやく止まり、顔を上げる。
「なんだあれ……」
 顔に浴びた砂を吐いて、ゴッドは思わずそうこぼした。
 灰色の砂を巻き込んで立つ風の柱。それが魔法陣のあった場所を丸く囲んでそびえている。ルビィだ。信じがたい思いと、それ以上にルビィの他にあんなことできるやつはいないという確信があった。
 竜巻に飲まれて両腕を失った人形が弾き出される。
「クリスティーヌちゃああああん!」
 動きを止めた人形のもとへピュッセが舞い降りた。それを見ていたクイードが、
「おのれっ! よくもぴー助を……!」
 的外れな怒りの言葉を吐いて風の渦へ突撃を仕掛ける。体の前に先ほどのバリアを作りだし、すでに見慣れてしまった不自然なまでに直線的な動きで空を滑る。
「うおりゃーーーーあ?」
 竜巻に突っ込む直前、クイードのバリアが砕けた。まだ攻撃としての魔法が触れる位置ではない。
 ゴッドはその現象に思い当たるところがあった。あの竜巻が現れた瞬間、魔法のかたちへとほとんど整えてあった魔力があっけなく散り散りになったのだ。魔力量も集中力も、クイードよりは上だと読んでいる。それでもあの風を受けては魔力の集中を保てなかった。
 一体どれだけのちからなのか。もはや呆れるほかないゴッドと、距離を置いて警戒するクイードの前で、竜巻は急激に収束した。

2018/3/12 (修正 2023/5/11)