=風の精霊ウィンディ=

白昼 3

 吹き荒れる魔力のなかで、あたしはそのときようやく浜辺を見た。水ばかり蹴って地面に届かなかった足下は、いまはゴッドが支えてくれてなんとか安定している。魔法のほうも落ち着いてくれていいころなのに、風だけは一向に収まる気配がない。
「あれ!」
 その風が吹き散らす水滴の向こう、砂浜にユールが立っている。ゴッドが首だけで振り返る。
「なんだ?」
「わかんない。なんか魔法陣?」
 ユールが剣先を地面に下ろす。動き出す青い光が見えて、やっぱり陣だったとわかる。そしてなにかが一直線に、あたしたち目がけて海の上を走った。
「うそ! なにあれ、逃げなきゃ!」
「いや違う、おまえ受けろ!」
「なんで!?」
 砂浜からまっすぐ伸びてくるのが、ユールの魔力による氷だと気づいたのは、その先端が肩をかすめた瞬間だった。あっと思ったのと同時に胸元に重い衝撃が飛び込んでくる。
 突き飛ばされるかと思った。そんなことはなかった。
 そこら中を暴れ回っていた魔力が急速に静まる。自分の輪郭の内側に風が収まったような錯覚。そして、それが今度はユールの魔力をたどるように引きずり出される。
 あたしはちからをこめていないのに、アルサにもらった呪文どころか声も出てないのに、驚くほどの力強さと正確さで魔力は風のかたちを取り、岸へと吹き抜けた。
 のしかかるようにあった水が風に追いやられ、ふっと体が軽くなる。と、思った次の瞬間には地面に倒れ込んでいた。地面。地面だ。水がない。
 倒れたまま顔を上げると、左右に水の壁がそびえていた。海が真っ二つに割れている。開けた空間を陸のほうへと激しい風が吹き抜けていく。
「これあたしがやったの?」
「そんなことはあとだ、あっちまで戻るぞ」
 からだの下から声がした。肩を押されてゴッドの上から飛び退く。
「戻るってどうやって?」
 手を取り合って立ち上がりながら聞くと、ゴッドは早口で答えた。
「魔法だよ。走ってちゃ間に合わない。アレの真似してここまで飛んできたんだろ」
「でも失敗して落ちちゃった」
「さっきはな。おまえは魔法使うのに体に力入れすぎなんだよ。動かすのは魔力だけだ、いまの魔法陣で感覚掴めなかったか」
「え。どうだろ」
 なにもしていないのに魔力が引き出される感覚。いまもそれはある。だからまだあたしたちの両脇では風にかき分けられた海が壁のかたちを保っている。
 別の魔法を使うことを考えたからかもしれない。その壁がぐらりと傾いだ。
「時間がねえ! 急げ!」
「おわっ」
 突然抱きかかえられて足の裏が空を蹴る。ゴッドは水をこぼし始めた壁の間を走り出す。
「離して! これじゃ飛べない!」
「やれる! 魔力だけに集中しろ! 脚の力意識すんな、精度が落ちる!」
「そんなこと言っても」
 海の壁が崩れ始めた。奥の方から波が迫ってくる。頭上からも水が散ってきて、思わず避けようとしたけど運ばれている身ではそれもままならない。
「うび、びず、みずかかった!」
「水やなんだろ! だったら早く出ろよ、飛ぶぞ」
 えっ、と声を上げる間もなくゴッドがカウントを取り始める。
「さんにーいち!」
 しかもはやっ――
「ぅええウィンディーーーーーーッ!」
 どこを支点に魔法を使えばとか、いろいろ考えたくてもそんな時間はなかった。とりあえず、集中といえば呪文。足を踏ん張れない代わりに声を張り上げる。
 海を支えていた風が丸ごとあたしたちに向かってきたみたいな圧力を感じて、波のぶつかる音が激しく立って、青いものが視界いっぱいに広がるけど、海だか空だかわからない。
 その果てに、どんっ! と肩の辺りに重い衝撃があって、背中からごろごろ砂の上を転がる。
「あうっ、いたっ、いたた……」
 ばさり、髪を振って立ち上がると濡れた砂がかたまりになってぼたぼた落ちた。肩から着地したつもりだったけど、時間差でおしりも痛くなる。腰を押さえつつ顔を上げ、
「ルビィ!」
 すぐそばから声がしてびっくりした。
「アクア、」
「大丈夫!? す、すごい音したけど……頭とか、どこか怪我してない?」
 膝を突いておろおろと見上げてくるアクアの周りには、きっとあたしがやったんだろう、めちゃくちゃにかき消された魔法陣の跡が残っている。
「たぶん大丈夫。陣ありがとね。あ、そうだ」
 一緒に飛んだはずのゴッドは? そう思って振り返ると、ゴッドは頭を低くして海水を吐いていた。
「……なんか、えっと、ごめん」
「っげほ、いいから。ユール! 待たせたな、替わる」
 苦しそうな背中が精霊服に覆われ、ゴッドは起き上がるとすぐにあたしたちの前に出る。
「おかえり~~」
 となぜかピュッセが空から挨拶をしてくる。ユールが大きく後ろに下がり、追うように降ってきた光輪を数個、細い剣が弾き飛ばした。
「あたしも行かなきゃ」
 呪文なしで精霊服を呼び出す。余計な魔力が風になって溢れて、砂粒も水滴も一緒になって飛び散った。
 空中で一回転したクイードが、着地するような動きでピュッセと人形のそばに並び立つ。隙を探すあたしたちの目を見回して、クイードはすうと大きく息を吸った。そして、
「ちょーっと待ちやがれ! えー、おほんおほん。……やっと揃ったな、精霊ども」
 妙に芝居がかった仕草で腕を組み、大げさに頭を動かしてあたしたちをぐるりと眺める。声は軽薄さを隠しきれていないながらも、いちおう低めているらしい。
 グロウが背にかばった椎羅と椎矢を下がらせる。
「あーっ! ちょっとそこー!」
 ピュッセがそれを見咎めるが、グロウは、
「行って!」
 腕を振って椎羅たちを急かした。ピュッセの人形が手のひらから光球を放つ。それは椎矢の背中へ向かって、なにかに弾かれて消えた。見たことがある、アクアの陣だ。
「ぴー助、やめろ。グダグダになんぞ」
「そっかあ。はーい、話の続きしよっ」
 ピュッセはそれ以上の追撃はせず、椎羅と椎矢は無事に別荘へ逃げ込んだ。クイードが再び咳払いをして声を張り上げる。
「精霊! てめーら、なんでここに集められたかわかってるか!?」
 ……誰も答えない。それもそうだ。あたしたちは集められてここにいるわけじゃない。むしろ、果たし状の送り主があたしたちを狙ってくることを想定して、ここで迎え撃っているのだ。
 そのへんどういう認識なのか、クイードはしびれを切らしたように、よりにもよってアクアを指差す。
「お前! 答えやがれ!」
「えっ!? お、おれ?」
 アクアは困り果てた表情で、いちばん近くにいたあたしを見る。そんなことされてもあたしだって困る。後ろの方にいたユールはクイードたちを見てもいない。前のゴッドは、
「俺はパス」
 とだけ言って、背中の剣に手を掛ける。残ったグロウが、仕方なくといったふうに答えた。
「集められたとは思うちゃあせんけんどね。果たし状出したがはあんたらやろ。用件は?」
「その用件を当ててみなさいって言ってるのよ」
 ちちち、とピュッセが指を振る。グロウはため息一つ、
「ハノルスの件。遺品を盗んで果たし状を置いた。どっちもあんたらの仕業やね」
 クイードとピュッセは顔を見合わせた。図星、としか言いようのない表情で。そのくせ、クイードは前髪を払ってわざとらしく額に指を当てる。
「なるほどなあ。どうしてそう思った?」
 グロウからの目配せを受け、ゴッドが淡々と答える。
「クイードットルセン、お前はルサ・イルの息子だと名乗った。ピュッセライン、お前もルサ・イルの名前を出し、ハノルスに近い魔法を使ってる。それと、ハノルスの姓はラインだ。お前たち、ハノルスの異母兄弟だろう」
「うっ!」
 クイードがのけぞって驚く。ピュッセがその背中を支えながら叫ぶ。
「い、いい気になるんじゃないわよ~! あのね! 答えは不正解よっ。わたしとハノ兄は、パパもママも一緒の一〇〇%天然純正兄妹なのよ~!」
 ルサ・イルにはいっぱい子供がいるけど、母親はみんな違うものかと思っていた。アルサはよっぽどあの人形が気に入ったんだろうか。
「それで復讐でもしに来たがかえ」
「ふん、わかってんなら話は早いぜ。兄貴を殺した恨み、ここで晴らす! 俺様とぴー助の前に平伏すがいい!」
 クイードが大きく手を振って光輪を放った。突然のことで魔法が間に合わない。その場を飛び退いて避けると、足の下で砂が弾けた。
「ちょっと! 話聞いてよ!?」
 飛んだ先で思い切りぶつかったアクアの肩を掴みつつ文句を言う。クイードは肩をすくめてフンと鼻を鳴らし、
「話? そんなにしたきゃさっさとくたばっちまえ! おめーらの死体と話してやるからよ!」
「そうよ~! わたしたちに逆らうやつはこう! なんだから!」
 ピュッセが腕を振り下ろすのに合わせて、どん、と人形が砂の上に降り立った。ユールがひらりと飛び出し、剣先が人形の首元に触れる。人形の手がユールの胸に向かって開かれる。
 氷が人形の半身を覆い固め、ユールが手の直線上を外れた瞬間に、強烈な光の束がまっすぐに走った。遠く、別荘の屋根をかすめて、木材の角が丸く消し飛ぶ。
 ちゅいん、と不思議な音を引いて収束した魔法は、殺傷力で言えばクイードの数倍をうかがわせる。本気だ。それは迎え撃つあたしたちだってそうなんだけど、クイードとピュッセの本気はまた意味が違う。
「なあ」
 アクアがあたしのマントを引っ張る。
「あの二人、もしかして」
「うん。あたしたちがハノルスを殺したと思ってるみたい」
 特段声を潜めるということをしていなかったせいか、ピュッセがそれを聞き咎めた。
「そこのキミ! みたいって、どういうことよ~」
「どうって、勘違いじゃないの? ハノルスは誰にも殺されてない。自殺だよ」
 そう言い返すと、あたしを指す指の先がへにょりと曲がった。ピュッセがまるく目を見開いて、同じくまるくくちを開けてオウム返しに言う。
「自殺? ハノ兄が?」
 グロウが堪えきれなかったかのようにため息をつく。
「そうよ。あんたらあ、日記盗んだに読んぢゃあせんが? ハノルスはあそこに死を選んだ理由を書き残しちょった。うちらあとは関係ない、自殺よね」
 ピュッセはあちこちまるい顔のままクイードを振り返り、両手をほっぺたに当てて叫んだ。
「きゅーたあ~ん! どうしよう~~~!?」
 同時に人形を拘束していた氷が弾け飛んだ。きんきんした声のせいではない、と思いたい。破片を避けてあたしのそばまで後退してきたユールは、視線の方向からして感覚を切っている。これもまさか声のせいではないよね?
 クイードは「ちょ、ちょい待て! たんま!」と腕を振り、両手でお尻のポケットを探って、
「ない! 兄貴の日記、アジトに置いてきちまった……つ、つまりだな精霊! おめーらの言ってることには証拠がねえ!」
 むちゃくちゃなことを言い出した。二人の目的が本当にハノルスの復讐なのだとしたら、あたしたちがハノルスを手にかけていない以上、この戦いは無意味だ。でもクイードたちがあくまでハノルスは精霊に殺されたと主張するなら、無意味な戦いを続けなくちゃいけないのか。
「証拠はあるで」
 ふたたび身構えるあたしたちの後ろから、グロウの鋭い声が飛んだ。
「女王家が盗難対策してないと思うた? 城に複製があるわね」
「ぐっ! くうううーっ! もう理由なんて知らねえ! 腹立つからのしてやる! 行くぜぴー助、ガンガンだ!」
「よいさっさー!」
「なにそれ!? そんなんでいいの!?」
 クイードたちは聞く耳を持たない。これではハノルスの敵討ちというのがどこまで本気なのかもわからなくなる。
「ハノルスの後ろにおった黒幕のこと、なんぞ知っちゅうやらしれん。捕まえて! 城へ突き出す!」
「できるもんならやってみやがれ!」
 グロウの指示にかぶせるように、いくつもの光輪が飛ぶ。仕方ない。
「いくよアクア!」
「えっ、おれ」
 呼びかけた途端にアクアが怯む。あたしはその前に出て剣を構えた。
「しばらくしのぐから魔法陣書いて。さっきのやつ、攻撃用にできるでしょ」
 注文しながら、飛んできた光輪を風で払う。ピュッセと人形のほうにはゴッドとユールがついた。またあたしとクイードの一対一。でも今度は、アクアも入れて一対二に持ち込んでやる。
「さっきのって、あれはユールの魔力を導火線にして、ルビィの魔力を同じルートで引っ張っただけだ! 岸まで投げた、あの魔法はおれじゃない!」
「それでいいの! その魔力引っ張るやつ。その感覚で、真似して飛んできたんだから。あたしの全力、引き出せるだけ引きずり出してよ。攻撃に変えるとこはこっちでやる!」
「でも!」
 じゃりん! とクイードの両手に光輪が回る。クイードは器用にもそれを小指から薬指へ、薬指から中指へ、軽く放っては受け直して、最後には両方の人差し指に一対の巨大な輪を回した。
「楽しそうにおしゃべりしてんじゃねーよ。俺様の相手をする気がないってんなら、こっちにも考えがあるぜ」
 ぎゅいんぎゅいんとやかましく鳴る光輪が頭上高く掲げられる。クイードの視線はあたしたちを飛び越していた。
「グロウ!」
 はっとして振り返る。次の瞬間、巨大な光が回転しながら頭の上を飛んでいった。

2018/1/10 (修正 2023/5/11)