=風の精霊ウィンディ=

夜、明けて朝 4

 行ってしまった。
 そういうつもりで呼びかけたわけではなかったのに。アクアは何者かの攻撃とルビィの突風で荒れ果てた部屋を振り返った。
 椎羅と椎矢は支え合うようにして立っていた。
「早瀬くん……? 苑美は、逃げてってどういうこと? なにかいたわよね、地震じゃないのよね?」
 震える声で椎矢が尋ねる。けれどアクアに答えの持ち合わせはなく、途方に暮れるしかない。
「……とりあえず、外に出よう。ガラスとか危ないし」
 そういうことじゃないとわかっていても、そんなことしか言えなかった。ルビィがためらいなく出した精霊服を自分も出すべきか迷いつつ、せめて二人を先に部屋から出す。
 廊下にはユールがいた。
「柊さん!」
 無事を確認して安堵したのか、助けが来たようでうれしかったのか、椎羅が泣きそうな声を出す。アクアも少なからずほっとした。
「柊、よかった、楓生たちは?」
「楓生は一階にいる。熱斗は外にいる」
 ユールはそう答えるなり、着ていた紺のTシャツを脱いだ。そして誰かがなにかを言うより先に、目の前にいた椎羅にそれを手渡す。
「着ていろ」
「えっ、は、はい! ありがとうございますっ」
 襲撃は突然のことで、椎羅は水着の上にあわせるスカートも穿けていなかった。その意図に気づき、アクアは慌てて開けっ放しの男子部屋に飛び込む。パーカーと、それからグロウに頼まれた有事のためのウエストポーチも持って戻り、上着は椎矢に渡す。半袖で、腕はやっぱり丸だしだけど、肩になにもないよりはマシだろう。
「ありがと、早瀬くん。……早瀬くん、よね?」
 この異様な事態と、ルビィに呼ばれた聞き慣れない名前とになにか関係があると、椎矢はもう感じ取っているようだ。アクアはなにも説明できず、
「うん。早く行こう」
 と二人を急かした。精霊服はまだ出せなかった。

 窓から外へ飛び出すと、強烈な太陽光が目を焼いた。浮き上がろうとする帽子を押さえる手で目元を庇いつつ、舗道を越えて砂浜に着地する。
「ゴッド! いまどうなってんの?」
 外にはゴッドが出ていて、すでに精霊服をまとっていた。間違いなく、警戒していた事態が起きてる。
「まだわかんねー。でも、あれ見ろ」
 示されたのは、襲撃者が浮かぶ上空。波打ち際、別荘の二階を見下ろすくらいの高さに、三つの影が浮かんでいる。逆光ではっきりとはしないけど、男が一人、女が二人。男は肩くらいまでの長髪で、女の一方はなにやらでっかい帽子をかぶっている。
「誰? 浮いてるのなに? 全部人形なわけないし、魔法陣じゃないよね」
「よくぞ聞いた!」
 急に男のシルエットがそう叫んだ。あんたに聞いたわけじゃないんだけど、とも言えず、あたしはとっさに剣を抜いて構える。隣のゴッドにも緊張が走る。
 迎え撃つべき瞬間を見極めようとする視線を浴びて、男はすたっ、と砂の上に降り立った。
 好戦的な深緑の瞳、にんまりと弧を描くくちびる。肩にかかる赤紫みたいな微妙な色の髪はめずらしいけど、半袖シャツと濃いグレーのスラックス姿に際だって怪しいところはない。黒マントのハノルスとは大違いだ。
 男は突如前髪をバッと払いあげ、頭上へ手を伸ばした。そして、
「俺様の名はクイードットルセン! 万術師ルサ・イルの……さん、よん? 三男にして! 変幻自在の究極魔法使い! クイードットルセンとは俺のことだ!」
「ん?」
 二回名乗った。じゃなくて、アルサの息子? また? 究極魔法ってなに? 浮いてたのそれ?
 次々沸き上がる疑問を言葉にする間もなく、離れて浮かんでいた帽子の女がクイードットルセン――どこで区切るんだろう。クイード?――のかたわらに降りてくる。ちょっと斜めに体をひねって、両手を胸の前に差し出す。
「わたしは~、ルサ・イル印の天才美少女人形遣い! 花も恥じらうピュッセラインよ~。ぴーちゃんって呼んでね~!」
 手の形は両方ともぴーす。にっこり笑う顔はまるくて幼い印象だけど、あたしたちよりは年上のようだ。ひらひらした水色のワンピースを着て、左右に角みたいに張り出した帽子の先から、金と銀の飾りをぶら下げている。長い赤毛が腰あたりまでふわふわと波打つ。
 ぴーちゃんことピュッセラインの名乗りが終わった、らしい。あたしとゴッドは返すべき言葉が出てこない。
「あれあれ~? きゅーたん、お返事ないよお?」
「ふっ、俺様のパワーに圧倒されたか……まあいい。ぴー助、おまえのとっとき、紹介してやれよ!」
「あいさー、まいどありー!」
 決めポーズを解除して、よくわからないテンションのやりとりのあと、ピュッセがバッ! と両手を天に掲げた。
「わが愛しのお人形! おいで、メアリー!」
 ず、っどん。と、ものすごい重みのある音を立てて、最後の人影が降ってきた。ピュッセとはまた違うワンピースと、赤いリボンで結んだ金髪のウェーブが舞い上がる。その足下にたった砂煙が収まらないうちから、ゴッドが低く、あたしにだけ聞こえるようささやいた。
「ルビィ、あれは俺が引き受ける。悪いが後ろのバカは頼んだ」
「え」
「来るぞ」
 そう言った瞬間にはもう動き出していた。がつん、と硬い音がして、人形の振りおろした腕とゴッドの剣が噛み合う。
「アンナちゃんとわたしの相手はキミね?」
 さっきと違う名前で人形を呼びつつ、ピュッセが両手を広げると、人形は剣を手放して斜めに跳びすさり、追ったゴッドの攻撃を白い腕で受けた。
 ということは、任されたバカって。
「やるか? いいぜ、受けて立つ! ってかその前に、名を名乗りやがれっ!」
 びし、とクイードに指を差された。離れた場所から、
「あっ、そうだ! キミも名乗りなさ~い!」
 と聞こえてくるけど、それに対する返事はない。
 あたしはどうしよう。クイードはどう見ても返事待ちの顔をしている。ばかばかしいけど、黙ってるうちはなにも仕掛けてこなさそうだ。
 いつでも動き出せるよう、構えた剣に魔力を注ぐ。足下に漏れ出た魔力が風を立たせる。マントの裾が浮き上がるのを感じつつ、あたしはくちを開いた。
「あたしは風の精霊、ルビィ・ウィンディ。あんたは――」
「精霊! やっぱりな!」
 最後まで聞かず、クイードが両手を大きく広げた。その指先がグリンと宙に円を書き、その軌跡は光の輪になる。なんの魔法か。クイードは両手の人差し指に引っかけた輪をくるくると回している。そうして、
「てめーら全員ぶっつぶす!」
 光のわっかが手を離れて飛んでくる。右と左から飛んでくるそれは、あたしの立ってる場所で交差する。
 その直前に大きく前へ出れば、光輪は背後でぶつかりあって弾けた。こめられた魔力は小さく、その余波もさほどのものではない。一気にクイードの目前へ迫り――
「うおっと」
 斜めから振り上げた剣は空を切った。クイードは釣り上げられたみたいな動きでひょいと宙へ浮かび上がった。そうして海の方へ、これも引っ張り上げられているみたいな安定感でバック宙をしながら下がる。
 さっきもやってたけど、この浮かぶのどうやってるんだろう。
「ふっふん、なかなかやるな。じゃあこれはどうだっ!?」
 じゃりん、と今度は両手ぜんぶの指に光の輪が回る。クイードが右、左、と手を振り、光輪はそれぞれ横一列の光の帯になって飛んでくる。
 右手の分をしゃがんで避け、その反動を思い切り乗せて、跳んだ。左手の分が足下をすり抜けていく。それだけで終わらせずに、魔力で足の裏を支えるイメージで、風になる以前のちからを集める。
「はあっ!」
 なにかを蹴ったような感触はあった。が、地面のようにそこを踏みしめることはできず、弾かれたあたしは砂の上に落下した。
「いったたた……」
「ハッ、ざまーねえな精霊! そこに寝転んで俺様の勇姿を見てるんだな」
 あおり文句がすいと頭上を滑っていく。慌てて起き上がって振り返ると、クイードは空中に仁王立ちしてふたたび魔力を込めた輪を回していた。濃緑の目はまっすぐに別荘を捉えている。しかも、さっき避けたものが到達したのか、木の壁にはすでに焼け焦げたような傷ができていた。一階の窓の向こうに、人影は見えない。
「あんなしょぼい魔力で、なんで……?」
「しょぼいっつったか? ふん、まあ見てろよ」
 止める間もなく右手から光輪が放たれた。三つが一度に窓を直撃して、ガシャン! とガラスを弾けさせる。
「きゃーッ!」
 椎羅か椎矢か、わからないけど悲鳴が上がった。あたしは次を撃とうとしているクイードへと剣先を向けて、
「ウィンディ!」
「ちぃっ!」
 叩きつけた風はすんでのところでかわされ、左手の光輪も止めきれない。四つくらい飛んでいった輪の行方を振り返ると、割れた窓の向こうに黒づくめの人影が立っていた。ユールだ。その後ろではグロウとアクアがダイニングテーブルを動かそうとしている。
「あん中に何人いるんだ? ひーふーみー……」
 数えながら指先に魔力の輪が点されていく。暗い緑色の瞳がいびつに眇められて凶悪な表情を作る。
 今度こそ光輪が放たれる前に撃ち落としてやるべく、あたしも剣に魔力を集める。
「あんたはなにが目的なの?」
 いつあの手を振り上げるか、相手の呼吸を読むつもりで問いかけると、クイードはこっちを見ずに答えた。
「目的? あー、それは……さっき言った通りだ、おまえたち全員をぶちのめしてやることだよ」
「……それうそでしょ」
「はあ!? そっ、んなわけねーだろ!」
 明らかに嘘だった。声が裏返ってるし、答えの途中から目が泳いでた。
「ほんとの目的はなに? あの果たし状はどういう意味だったの? 答えろ!」
「だっれがてめーなんかに!」
 クイードが両手を高く振り上げる。あたしは剣を中心にぎゅっと風を集めて、放った。

2017/2/1 (修正 2023/5/11)