=風の精霊ウィンディ=

夜、明けて朝 3

 目を覚ますと知らない部屋だった。電気はついていなくて、カーテンの開け放された窓からさんさんと光が降り注いでいる。外は真っ青な晴天だ。あたしはゆっくり頭を上げて、両手をついて起き上がる。
「……ん?」
 部屋を見回して思い出した。椎羅と椎矢に誘われて、海辺の別荘に泊まってたんだ。
 隣で寝ていたはずのグロウはもういない。たぶん台所だ、とあたりをつけて、寝間着のまま部屋を出る。廊下のほうが涼しい。
 階段を下りると、グロウはテーブルについてのんびりお茶を飲んでいた。
「あれ、めずらしい。グ――」
 しまった、と思ってくちをふさぐ。楓生の向かいに座る椎羅と椎矢が、同じタイミングで顔を上げた。
「おはよー、苑美」
「おはよ。わたしたちもう朝ご飯食べちゃったわよ」
 楓生は意味深すぎて読みとれない目配せをくれたけど、怒ってはないみたいだ。ぎりぎりセーフ。三人とも、もう寝間着も着替えているし、食器も下げられている。カレーのにおいが部屋に残っていた。昨日の残りが今日の朝ご飯だと思い出す。
「早いねー」
「うちらあ、普段から朝早いも」
「そっか。……いまって何時なの?」
 部屋に時計はなかった気がする。外はじゅうぶん明るいけれど、夏だし、海はあんなに眩しいし、光の強さだけじゃ時間まではわからない。
「そろそろ七時ね。男子起こす?」
 椎矢が壁にかかったデジタルの時計を見る。あたしがそんな時間に自然と起きるなんてめずらしかった。熱斗や柊より早いなんて、たぶん数えられるぐらいしかない。
「あたし起こしてくる!」
 いつも起こされてばっかりだけど、今日は立場逆転だ。
「はいはい、いってらっしゃい」
「わ、わたしはさすがにやめとく~」
「……え? 苑美が行くのはありなの?」
 楓生たちがいろいろ言ってるのは聞き流した。二階へ上がり、いちばん手前のドアを開ける。
 ベッドから離れたところの窓だけが開いて、部屋はうす明るい。扇風機が機械の音をさせながら首を回している。ふたつくっつけたベッドは以外と広く、タオルケットもちゃんと人数分あるみたいだ。マットレスの隙間を避けたせいか、左端の河音と、真ん中の熱斗の間が空いている。
「ふふ」
 あたしは足音をしのばせて助走をつけると、そこへどーん! と飛び込んだ。
「朝だよ起き――てっ」
「ぜってーやると思った」
 横から頭を掴まれた。あたしの髪を適当に乱してから身を起こした熱斗は、もう完全に目が覚めてた顔だ。
「ちぇー。気づいてたの?」
「階段走ってくんの聞こえた。七時前か。アクア起こしてやって。ユール、起きろ」
 熱斗が声をかけると、それだけで柊はぱちりと目を開け、煙がのぼるように起きあがる。
 河音はタオルケットを抱き枕みたいに両手足で抱えている。肩を揺さぶると目元が嫌そうに力んだ。
「おーきて、朝だよ。今日も海だよ。朝ご飯はカレーだよーっ」
 何度もゆさゆさやっていると、やがて目が開いて、
「……なに? ここどこ?」
 寝起きがあたしとまるきりおんなじで笑ってしまう。河音はタオルケットを手放しつつ、また「ここどこ?」と聞き、なにやら熱斗に促された柊が答える。
「江藤椎羅と椎矢の、祖父の別荘だ」
 ああ、と納得したみたいな声を出して河音はまた眠りそうになり、次の瞬間ハッと目を開けた。
「なんでルビィいるの?」

「それはびっくりするでしょ。起きていきなり女子いたら」
 椎矢はそうあきれたけど、それがそこまでびっくりしなくていいはずなんだよねー、とは言えず、あたしは曖昧に笑ってごまかした。
 とっくにご飯を済ませてた椎羅と椎矢は、一足先に部屋に戻った。昨夜はふたりが最後の片づけをしてくれたから、朝ご飯の洗い物はあたしたちで引き受けようというわけだ。でも、ご飯を終えると、
「うちがやるががいちばん早いき」
「上のふたりは遊び相手のお前ら待ってんだろ」
 と、グロウとゴッドに追い払われ、あたしとアクアは先に着替えることになった。ユールはなにも言われなかったから、という風情でただゴッドの隣にじっと座っていた。
 あたしは海はもう別にいいんだけど。でも、並んで階段をのぼるアクアは、
「砂の山、残ってるかな」
 楽しみ、なんだろうか。椎羅も椎矢も部屋に戻るときうれしそうだったし。
「残ってたらいいね」
 そう言うと、アクアはそれだけでうれしそうにうなずいた。

 着替えはすぐ済んだ。着てたもの全部脱いで、水着を一枚着るだけ。あたしもみんなみたいに、上着とか着たほうがいいのかな。でも、日焼けして痛いとかもないし、濡れると体にまとわりついて邪魔だし。
 着てみて、脱いで、着てみて。やっぱり邪魔だな、とTシャツを脱いで丸めたときだった。
 あ、へんだ。思った瞬間、建物がぐらりと揺れた。ガラスの割れる音。なにか大きなものが叩きつけられたみたいに、家は一方向へと激しく揺れて激しく戻る。
「きゃああーーーーッ!」
 部屋の外から悲鳴が響く。余韻のような揺れが弱まりながら続くなか、あたしは部屋を飛び出した。同じように水着で部屋を出てきた河音と出くわす。
「苑美!」
「河音、これなに? 大丈夫だった?」
「おれは大丈夫、それよりさっきの声って」
 河音じゃないなら椎羅と椎矢だ。ふたりの部屋のドアは開いていない。
「椎羅! 椎矢! 大丈夫!?」
 呼びかけながらノブを握る。けど、ドアが開かない。
「苑美!? 窓が割れてて、ドアが開かないの!」
「それと、外に誰かいる!」
 必死な声と、なかからドアを叩く音がする。
「待って、そこどいて! こっちから開ける!」
「わ、わかった!」
 ふたりをドアの前からどかせて、ノブを下へ押し込んで、全身でぶつかる。どん、どん、と二回。開かない。
「アクアも手伝って!」
「えっ、あっ」
「せーのっ! っ……だめか」
 ふたりがかりでも無理。ならあとはこれしかない。
「下がって。ドアから離れて! 家具の後ろとかに隠れて! アクアも!」
 アクアが廊下のすみに逃げ、椎羅と椎矢からも「離れたわ!」と返事がくる。外ではまたなにか大きな音がしている。
「ウィンディ!」
 呪文は省略形にした。布一枚の水着がフル装備の精霊服に入れ替わる。魔力が溢れて風になり、それが廊下を吹き抜けると同時に、あたしは右腰の剣を引き抜いた。
 次は的を絞らなきゃいけない。
「風よ、その偉大なるちからを我に。風の精霊、ルビィ・ウィンディが命じる――ウィンディ!」
 一点だけに、というのは難しい。だからドアの範囲をはみ出さないぐらいに、魔力を集中して、剣を振り上げ、下ろす。
 ばんっ! とものすごい音がしてドアが室内へ吹っ飛んだ。
「きゃあっ!」
 ベッドの裏から悲鳴が上がる。のぞき込むと、姉妹は手を取り合って震えていた。水着に着替えたばかりだったみたいで、日焼け止めで濡れた肩に鳥肌が立っている。
「無事? ケガはない? なにがあったの?」
 思わず立て続けにしてしまった質問には、おなじく立て続けの質問が返ってきた。
「これ地震? 下のみんなは!?」
「その服なに? なにがどうなってるの!?」
 たぶん地震じゃないしグロウたちなら無事だと思うしこれは精霊服だけど、なにがどうなってるのか説明できる言葉が見つからなくて「あー、」と濁してしまう。
「苑美! ルビィ! 外見て!」
 答えられないうちにアクアに大声で呼ばれて、あたしは割れた窓を振り返った。海に面した広い窓。その向こうに太陽を浴びて浮かぶ人影。校舎から見たマネキンのシルエットを思い出す。
 来たんだ。果たし状の送り主だ。
「アクア、椎羅と椎矢と逃げて! あとはグロウの言うこと聞いといて!」
 思いつく限りでいちばん的確な指示を飛ばして、あたしはアクアの背中を追い越し、尖ったガラスの残る窓枠を蹴って真夏の空の下へ飛び出した。

2016/10/19 (修正 2023/5/11)