ここまでずっと集団から距離を置いて黙っていた熱斗が、
「かまわねーよ。荷物運ぶから場所だけ教えてくれ。あとこいつに水かお茶か、冷たいもんやって」
とバス酔いの河音を置いて階段に向かった。
「えっと、階段上がってつきあたりの部屋ですー」
椎羅がその背に部屋の位置を伝え、食器棚からグラスを取り出す。
「みんなも何か飲む?」
「それもいいけど、まず軽く掃除したほうがいいでしょ。前におばさんたちが来てたから、そんなに汚れてはないけど」
床がそうだったように、テーブルの天板も、触れてみるとざらりとした感触がある。あたしは気にならないけど、拭いておくに越したことはなさそうだ。
「じゃあ、掃除して、ご飯食べて、それから遊ぶの?」
「そうなるわねえ」
意外と遊ぶ以前のお仕事があると気づいて、椎羅の声がちょっぴり沈む。視線は玄関口で置物になってる柊にちらちらと向かっていた。
「まあみんなあでやったらすっと済むろう。道具は――」
「上よ。椎羅は早瀬くんをお願い。……あー、掃除する人は来て」
椎矢は柊をどう呼ぶか悩んだみたいだった。けど柊がそんな曖昧な呼び方に反応するはずもなく。
階段へ向かう椎矢を追いながら、楓生がちらりと目線をくれる。あたしは立像状態の柊のそばへこそっと寄っていって、
「来てって」
と目を見て呼んだ。そしてぞろぞろ階段を上がり、
「あ」
途中で先頭の椎矢が立ち止まった。楓生の背中にぶつかりかけ、何事かと階段の先を仰ぐ。男子三名の荷物を置いてきた熱斗が、お掃除行列を見下ろしていた。視線は明らかに椎矢を飛び越している。
「なに? 荷物なら運ぶけど」
いつもより素っ気ない感じに言われ、楓生はあたしにも聞こえるため息をついた。なにかしらの目でのやり取りがあったのか、それについてはお互いなにも言わない。
「最初に掃除しょうってなって。道具取りに来たがよ」
椎矢の代わりに楓生が答え、熱斗はふーんと気のない返事。でも続く言葉はその態度とは裏腹だった。
「やっとくから遊んでくれば?」
「えっ」
急な提案に驚いたのは椎矢だ。
「で、でも」
「道具ってそこの物置? 掃除機と雑巾ぐらいあるよな。床とテーブルとかの上だけでいいか?」
「はい……じゃなくて、えと、いいんですか?」
「別に俺おつきで来ただけだし。早く遊びたいんだろ」
椎矢はぽかんとしてしまって答えない。ので、あたしが答えた。
「うん!」
◇
苑美たちが連れ立って二階に上がってしまうと、河音と椎羅の間には不思議な沈黙が漂った。
コップに入れてもらった麦茶を飲みながら、河音はそっとテーブルの傍らに立つ椎羅を窺った。考えてみれば、同じ教室で数ヶ月を過ごしたものの、言葉を交わしたことは数えるほどしかない。それも苑美や楓生や定を間に挟んでのものがほとんどだ。柊のこともあり、家でもよく話題にのぼるためによく知った相手のように錯覚していたが、実際のところ、河音との関係はただのクラスメイト、それ以上でも以下でもない。
椎羅はそんな微妙な距離感を感じているのかいないのか、
「麦茶おいしい?」
なんて唐突にも思えることを聞く。
「普通、だけど……」
「早瀬くんてさあ、楓生たちとどういう関係?」
思わずむせそうになった。麦茶がどうとかをはるかに超える唐突さだ。そして河音はそれに答えられない。
本当のことは言えないから、ではなく、単純に河音には分からなかった。精霊だとか一緒に暮らしているだとか、そんなことを除くと、途端にあの四人との関係はぼんやりとしたものになる。それぞれの都合だけではないなにかがあるつもりではいたけれど、それはなんなのか。本当にそんなものあるのか。
「早瀬くん?」
不安を隠せず黙り込む河音に、椎羅が心配そうに呼びかける。そのとき、階段をいくつもの足音がばたばたと降りてきた。
「椎羅ー、着替えて遊びにいこっ」
先頭は二段飛ばしの苑美、
「なんか掃除は先輩方がしてくれるみたいよ」
困惑気味ながらも、ちょっと嬉しそうな椎矢が続き、
「…………」
最後に雑巾を手にした柊が現れる。ごー、と、上の階から掃除機の稼働音が響く。
椎羅が大きな動きで振り返って叫んだ。
「えー! 柊さんも掃除なんですか!? わ、わたしもっ」
手を挙げて掃除に加わろうとする椎羅を、苑美と椎矢が、
「いいじゃん、やってくれるんなら。それよりほら、早く行こう」
「大掃除じゃないんだからすぐ合流できるわよ。着替えて荷物持って、倉庫の鍵も開けなきゃ」
と引きずっていく。女子たちはそれぞれのバッグを回収し、あっけにとられる河音を残して、とっとと二階へ上がってしまった。
流しで濡らした雑巾を絞りながら、柊が言った。
「熱斗から伝言だ。具合が悪くないなら苑美たちと遊んでこいよ、と」
麦茶のグラスを洗って階段を上っていくと、正面のドアから出てくる熱斗と遭遇した。肩でドアを支えつつ掃除機を運び出そうとしていたため、河音は駆け寄ってドアを開けた。
「さんきゅ」
どういたしまして、と瞬時には言えなくて半端に頷いた。熱斗は学校にいるときのような、家で話すときよりほんの少しだけ硬い声で言う。
「男子部屋ここだってさ。寝るときちょい狭いかもしんねーけど、まあ二晩くらい平気だろ。次、楓生たちの部屋掃除してくる」
掃除機の本体が戸口を完全に出て、河音はドアから手を離した。
「楓生たちは?」
「そこ。椎羅と椎矢の部屋。あいつら出てから掃除するから。男子部屋はもう済んでるから、荷物も適当に散らかしてていーぜ」
熱斗は親指ではす向かいの部屋を示して、その対面の部屋へがらがらと掃除機を引いていく。
どういう気分になったらいいのか分からないまま、とにかく河音はあてがわれた部屋へ引っ込み、遊びの支度をすることにした。
支度と言っても、なんということはない。水着を穿いて、ずっと海で泳いでいるつもりもないのでTシャツも着て、外したウエストポーチが目に入る。楓生が、もしものために、と買ってくれたものだ。そう思うとそれも持っておく必要がある気がしてきて装着すると、結局パーカーと靴下を脱いだだけみたいなスタイルになった。
部屋を出てみると、掃除機の音は階下へ移っている。だが女子部屋からはまだ声と物音がしていた。ドアの前に立ち、ノックしてみようかと手を持ち上げたが、やめた。まだ出てこないということは着替え中だろうし、目的地は一緒だ。先に行って待っていることにした。