=風の精霊ウィンディ=

夏休み 2

 バスは電車以上にガラガラだった。駅でほとんどの人が降りてしまい、前の方におじいさんとおばあさんが乗ってるだけだ。いちばん後ろの五人席へ誰からともなく向かう。
「ごめんやけど、椎羅こっち来て」
「えー、でも、柊さんと」
「あとで替わっちゃおき。あ、河音そこおってえいで」
 その席に、楓生の指示で河音、あたし、椎羅、楓生、椎矢の順に収まる。熱斗と柊はあたしの前の二人席だ。
「で、どんな話をしてくれるわけ?」
 窓の外の太陽のようにぎらぎらと、視線を鋭くして椎矢が問いただす。楓生は咳払いを一つ、詳しい話とやらを始めた。
「昨日の晩、椎羅には電話したがよ。そこで男子三人も呼ぶということになって」
「なんで椎羅だけなの? わたし、椎羅からも何にも聞いてないんだけど。姉さんどういうつもり?」
 初っぱなでつまづいた。矛先を向けられた椎羅が、えーと、と迷ってから答える。
「わたしはー、そのー、前に言ったでしょ、柊さんにお誘い断られたって。それでちょっと、楓生に頼んでみたりしてたのよね。あっ! 別に今回のお泊まりに呼んでって頼んだんじゃないわよ? 夏休みの予定とか連絡先聞けないかなーとか、そんな感じよ」
 まさに言い訳の口調でまくしたて、椎羅は楓生へと視線を振った。あたしと河音は、すべての主犯をはらはらと見守る。
 楓生はひりつく空気を物ともせず、四人の視線を堂々受け止めた。
「……もとは、河音を呼んじゃろうと思いよったがよ」
「えっ?」
 いきなり名前を出されて、河音が声をひっくり返した。その反応はまずいのでは、と思うも、時すでに遅し。椎矢がじっとりと河音を見やる。それも無視して楓生は続きを話した。
「うちらあこれまでも夏休み一緒におりよったきよ。うちと苑美だけおらんかったら暇やろうし、椎矢らあがよかったら、と思うて」
「それはまあ、まだいいわよ。椎羅は早瀬くんとクラス一緒だし、わたしも多少はしゃべったことあるし。問題はあっちよ!」
 椎矢は声を潜めながら怒鳴る、という器用なことをやってのけた。座席が邪魔で控えめになりつつ、柊と熱斗の席を指さす。
「早瀬くんが来るのも内緒にしてたの、わたしが反対すると思ったからでしょ。そしたらあの二人のことも隠し通せなくなるから、それで全部黙ってたんでしょ」
 椎矢の指摘は、たぶん正解なんだろう。椎羅が見る間に、叱られたみたいに肩を落とす。
「それは……」
「椎矢、まあ聞き。椎羅は責められん。二人ともうちが呼んだがよ。河音を呼ぶ言うたち、男子ひっとりでは居心地悪いしつまらんろう。ほんで熱斗に来てもらいたかったが。でも、椎矢はよう知らん上級生がおるがは嫌って言いよったやん。やき、冬山柊を呼んじゃおき、河音と熱斗と呼ぶがを椎矢に黙っちょって、って椎羅に頼んだが。全部うちのわがまま。悪いがはうち」
 真剣に、楓生はそんなことを言った。これには、あたしも河音も、目を丸くするしかない。楓生が、悪いのは自分って言うなんて。非を認めないタイプだとは言わないけど、こんな状況は作らないものだと思っていた。
 椎羅がしゅんとなって、
「そんなことないわ。わたしもわがまま言ったもの……柊さんに来てほしいって最後まで言ってたもの……」
 と呟く。椎矢は見事に怒りを削がれて、しばらく複雑そうに並ぶ顔を眺め回していたが、
「えっと、せっかくだし仲良くしよう……?」
「そうだよ。人数多い方が楽しいじゃん! ねっ!」
 取りなすように河音が、それにのっかってあたしが言うと、
「……それは、まあ、そうよね」
 とようやく攻撃の矛を引っ込めた。
「でも、早瀬くんてあの、楓生の知り合いの先輩? と仲良いの?」

 結局、楓生の機転で熱斗は楓生の親戚ということになった。のようなもの、とつけるとほとんど事実だから、あたしたちもやりやすい。椎羅はなんで言ってくれなかったのー? と騒いだけど、前で柊と話したら? と勧めるとさっさと席を離れていった。椎羅に誘われた柊は、熱斗の隣からその前の席へ移った。
 最後列には四人だけが残されて、なんとなく沈黙がおりる。バスは町らしい町を出たようだった。流れていく景色からマンションやビルが消えて、緑色の割合が増えてくる。海の方向に向かってるはずだけど、まだ見えてこない。窓の方へ身を寄せ、あたしはあることに気づいた。
「河音、だいじょぶ? 顔色悪いよ」
 窓枠に頭を押しつけるようにして、河音が座席の端っこにもたれていた。そういえばバスに乗ってからまともにしゃべってるのを聞いてない。
「なんか、気分悪くて……」
「えっ、うそ、どうしたの?」
「分かんない……」
 弱々しく言ってそのまま腕に顔を埋めてしまう。あたしは振り返って楓生に助けを求めた。
「ねえ、河音が気分悪いって」
 それに答えたのは、楓生じゃなく椎矢だった。
「早瀬くん車酔い? これいる?」
 そう言ってカラフルな紙の箱を差し出す。薬のパッケージ、みたいだった。乗り物酔いに、と書いてある。
「これ……」
「水なしで飲めるやつだから。あ、アレルギーとか?」
 よく知らない言葉が出てきた。そういうんじゃなくて、人間界の薬ってどうなの? ってことなんだけど。
 返事に戸惑っていると、楓生が横から箱をさらって、
「ああ、これやったらかまんわ」
 あっさりと判断して箱を開けた。
「一回1錠?」
「うん。味がやだったら、水もあるから」
「どうも。はい河音、これでマシになると」
 言われるがまま、河音は手のひらに錠剤を受け取って、水のペットボトルをもらって薬を飲む。
「大丈夫?」
「すぐに効くわけないでしょ。30分ぐらいはかかるわよ。眠くなるだろうし、それまで寝てたらいいわ」
 顔をのぞき込んで聞こうとすると、椎矢に呆れられた。河音はそのアドバイスにうなずいて、
「ありがと」
 とペットボトルを返す。
「……くちつけたやつでしょ。自分のにしていいから」
 一瞬言葉に詰まりながらも、椎矢はそれを受け取らなかった。そういうものか、と、新鮮な気持ちになる。普段あまりに近く接しているから、飲みさしとか食べさしとか気にしてこなかった。いや、河音は気にしてたかも? どうやらそっちのが、ここでは普通の感覚らしい。
 窓辺で丸まった河音に配慮して、あたしは椎矢のほうへ席を詰めた。
「今日ってさ、着いてからはなにするの?」
 いろいろとややこしい話ばっかりしてたせいで、肝心の楽しみの話はなにもできてない。最初の想像とはだいぶ違う状況になっちゃったかもしれないけど、椎矢にもなにかプランはあったはず。楓生は聞いてるのかもしれないけど、結局教えてはくれなかった。

2015/11/30 (修正 2023/3/25)