=風の精霊ウィンディ=

夏休み 1

 明けて朝。台風も過ぎ、テストも終わり、生まれて初めての夏休みが始まる日。あたしたちは枝葉川の駅で電車を待っていた。
 いつも椎羅と椎矢が下校に使っているホームだ。あたしとグロウだけ、来るのは二回目になる。9時過ぎという時間のせいか、前に江藤家に行ったときからすると人出が少なかった。
 ホームには屋根があるけど、日が高いせいで辺り一面が熱を帯びて眩しい。その熱と光を避けて、壁際に一列に並ぶ。
「大丈夫かなあ」
 空の明るさとは対照的に、顔を曇らせてアクアが言う。朝から同じ言葉を何度も聞かされている。そのたびにあたしは、
「なんとかなるでしょ。グロウがあんなに自信満々なんだし」
 と、これまた同じことを返していた。
 グロウは昨夜、たぶん椎羅と椎矢になにか電話で話して、あたしたちを買い物に連れ出して、それから家の移動陣を閉鎖し、通信鏡も切った。簡単なことじゃないけど、魔法陣を目印に人や物や場所を探す方法はいくつかある。その対策としてだろう。
「それほど自信あるわけでもねーと思うけどな」
 アクアの向こうから、ゴッドが内緒話のように言って笑った。
「どういうこと?」
「言ったら怒られるから言わない」
 自分から謎を持ってきておいて、答えは明かしてくれない。えー、とむくれて見せると、ゴッドはアクアのリュックを軽く叩いた。
「ま、そんなの気にせず楽しくやろうぜ。そういうことだろ、これは」
 その手はあたしのビニールバッグにも触れる。中身はどっちも、昨日の夜みんなで買いに行ったもの。学校のじゃない、遊び用の水着だった。
 節約家のグロウが、何回着るかも分からない水着を全員分買ってくれたのだ。生活が落ち着くまでバタバタしてたというのもあるけど、うちは体操服も人数分揃っていない。そう思うとこれは奇跡に近い。水着だけじゃなく、アクアのリュックとか、ユールのキャップとか、あたしのサンダルとかも一緒に買った。あんなに一気に買い物したのは初めてだ。
「すごいよね。これもこれも新品だよ」
 赤いサンダルでくるりと回って、セーラー襟のワンピースを風に広げる。どちらもぴかぴかの新品だ。荷物は服とタオルだけだから、ビニールバッグに水着と一緒に入れてある。これも新品。首にかけた麦わら帽子と、その上のひまわりの造花だけは、少し前にお兄ちゃんからもらった物だ。
 アクアも、Tシャツとズボンはもっと前に買ったやつだけど、白いパーカーとグレーのリュックは昨日調達した。もしもの時に備えて筆記具を持ち歩いてほしいから、と、ウエストポーチも買い与えられている。
 アクアがちょっと目を細めてから、また心配そうな声を出した。
「でもいいのかな。お金、いままであんまり使わないようにしてたのに」
「俺が来月、気張って働くしかねーな」
 たぶん、いちばん持ち物の増えていないゴッドがそう言って空を仰ぐ。昨日買ってたのは、ユールの分とまとめて荷物を入れるカバンぐらいじゃないだろうか。あと、本人はいらないって言ってたけど、グロウが「ないと不自然」って水着買ってた。
「昨日のってあたしたち全員の生活費じゃないの?」
「そりゃざっくりは分けるけど。あいつの作戦にかかった経費つーことで、7割ぐらいは俺たちで持つかな」
 ショッピングモールのレジでもらった、長ーいレシートを思い出す。うちはお金ないからありがたいけど、いいのかなあ。ていうか、グロウとゴッドってほんとに生計一緒なんだ。
 アクアも、いまは収入とか全然ないから出世払いが増えるとしんどいだろうけど、気にはなるみたいだ。お伺いを立てるようにゴッドの顔を覗き込んで尋ねる。
「熱斗は賛成してなかったのに……?」
「決まったもんはしゃーない。それにお前らは楽しみなんだろ?」
 あたしは大きく、アクアはおずおずと頷く。ゴッドはそれを見て「そういうことだよ」と話を終わらせた。
 どういうこと? と聞けないまま、大きな音を立てて列車がホームに滑り込み、見事、目の前にドアが来るよう停まる。
 なにやらユールの世話を焼いていたグロウが、自動で開いたドアのかたわらに立つ。
「行くで!」
 駅のアナウンスと張り合うような声。そこにもなんとなく、楽しそうな響きがある。そういうことってこういうこと、かな?
 グロウに急かされて、アクアとゴッドが列車に乗り込む。あたしは最後尾のユールを呼ぼうとして、
「そ、の、み」
 グロウ、じゃなくて楓生に、そんな呼び方をされた。
「あーそうだ。気をつけまーす」
 五人でいると、どうしてもそこんとこ緩んじゃうなあ、と思いながら、あたしは柊の手を引っ張った。
「行くよ、柊」
「分かった」
 そうして、がらがらの電車にみんなで乗る。初めてのお泊まりが始まった。

 椎羅と椎矢は、香島駅の改札を出たところであたしたちを待っていた。おそらくあたしと楓生を見つけて、椎羅がぶんぶん手を振る。
「楓生ー、苑美ー、おはよーっ!」
 椎羅は青いチェックのワンピースに、リボンのついた麦わら帽子をかぶって、白いサンダルを履いている。隣の椎矢は、薄いピンクのシャツに暗めの緑の短パン姿だった。サンダルは椎羅とお揃いで黒。二人とも、手には水泳の時のバッグを提げ、部活で使うエナメルバッグを足下に置いている。
「おはよー!」
 電車内で熱斗にバッグを預けて、いちばん身軽になったあたしが真っ先に駆け寄った。
「待たせてないよね。時間、約束ぴったりでしょ?」
「うん! バスはあと5分くらいよ。それで、その」
 ごくり、と椎羅が唾を飲む。興奮気味の視線があたしの背後へと向かう。
 そこには改札を出たばかりの楓生がいて、その後ろから河音と、柊と、熱斗が続いて出てくるところだった。
「椎羅!」
 楓生が、意味ありげに親指を立てる。椎羅の顔がぱあっと輝いて、
「ちょっと楓生!? これっ、どういうことよ!」
 ビニールバッグを取り落とした椎矢が、駅の建物いっぱいに響く叫びを上げた。
 うまく説明できないけど、これはやばい。とっさになにか言おうと口を開くけどなにも出てこなくて、やむなく振り返る。楓生は覚悟を決めたように、いっそ穏やかなくらい緩く、唇に笑みを乗せていた。河音は気まずそうにその真後ろに引っ込んで、柊は平然と棒立ち。椎羅がそこへぱたぱたと駆けつける。熱斗はひとり、改札のすぐ前に立ち止まって距離を置いていた。
 あたしは曖昧に笑うしかない。椎矢はそんなあたしじゃだめだと踏んだのか、混乱と迷惑が半々みたいな顔で楓生を見る。楓生はあくまで軽く、
「まあまあ。詳しい話はバスでしょうや。時間あんまりないがやお?」
 なんて言っちゃって。
「バス停どっちやっけ?」
「あ、あっち、だけど……ちょっと待ってよ!」
「みんな行くでー」
 バス停の場所を聞き出し、さっさと先導に立ってしまう。一本逃すと次は一時間待ちのバスだからか、楓生があまりに強引だからか、椎矢も返す言葉を失って、一行はなんとなくバラバラと、バス停へ足を向けさせられた。

2015/10/29 (修正 2023/3/25)