声に出してみるとなんとも嘘くさい。だけど実際、これはあたしたち精霊に対する果たし状なのだ。
正面にいたグロウがまず手を伸ばした。危険な魔法陣などがないことはお城の職員が確認してある。無遠慮な手つきでがさがさと開き、中の文章を音読する。
「精霊へ。もう許さない。首を洗って待っていろ。後悔させてやる」
……紙を覗きつつ真横で聞いていても、読み間違えたのかと思ってしまう。読み上げた本人もそうなのか、ぐっ、とグロウの眉間に皺が寄った。二、三度指でそれをほぐす仕草をして、
「確認してくれん?」
左隣のアクアに渡す。
「精霊へ、もう許さない、首を洗って……うん、合ってる……」
「ゴッドにも回いて」
果たし状は別のソファのゴッドの手に渡り、
「なんだこの字」
内容以前の感想を言わせた。その気持ちはよく分かる。筆で書かれたらしい字は、なにかのロゴみたいにまるまるして可愛い仕上がりなのだ。表書きは正反対に荒っぽく、でかでかと書かれている。
いちおう、あたしの右手で一人掛けに座っているユールにも見せ、グロウのところへ戻した。
こんなへんてこな果たし状だけど、中身が本気なら一大事、ということで、あたしたちには呼び出しまでかかっている。なのに間の抜けた形式と字体のせいで、どこまで警戒すべきかよく分からない。冥界や城周辺での不審者情報のほうがよっぽどリアルで身に迫るものがある。
「これ、どうしたらいいんですか?」
たぶん事態を重く見ているであろう女王様に聞いてみる。精霊を呼び出したということは、それなりに真剣に受け取っているのだろう。
「たしかに、一見いたずらのようにも思えます。ですが内容は捨て置けるものではありません。あなた方を、精霊を、名指ししているのです」
グロウが開いたままテーブルに返した手紙の、一行目を爪先がなぞる。精霊へ。いたずらでもこの宛名はそうそう使われないだろう。神魔戦争を経た今の精霊なんて知っている人のほうが少ない。女王家との協力関係ともなると、知ってるのはお兄ちゃんとヒュナさんくらい。精霊宛の果たし状を城に置いていく時点でただ者ではないというわけだ。
「ハノルスの関係者……」
ぼそりとグロウが呟いた。ちらりと視線を上げて、一瞬だけ女王様と目を見交わす。再び果たし状に目を移し、グロウはひとつの推測を語った。
「この文章、精霊に恨みがあってそれを晴らしたい、ちゅうことですよね。前の精霊はまとまって活動しやあせんかった。うちらあは、精霊として動いたがはハノルスの一件だけです。過程はどうあれ、最終的にハノルスは死んだ。恨まれるとしたらその点でしょう」
それを聞いた女王様も静かに首肯する。
「城でもそのような見解です。そして、この手紙の差出人と先日の侵入者が同一人物である、という可能性も検討しています」
一拍、女王様はみんなの顔を順に見て、説明を続けた。
「侵入者はハノルスの日記を持ち出しています。あれを読めば、彼が自殺する前に精霊と対立関係にあったことが分かります。ハノルスは冥界に籍があったため、逮捕記録はそちらで調べることができます。ですがその先のことは通常の手段では知り得ません。そして、ハノルスの個人的な関係者がこの事件の顛末を知れば、あなた方が彼の死の原因だと思い込み、恨みを抱いてこのような手紙を書くことも考えられるのです」
一気に聞かされた話をなんとか頭の中で整理する。えーと、ハノルスの関係者が、ハノルスが逮捕されて魔界にいることを知って、お城で日記を盗んで読んで、ハノルスは精霊のせいで死んだ! と思って果たし状を出した……ということだろうか。
「冥界か。人間界直通の移動陣が使われたのも冥界だったな」
とゴッドがたしかめるように言う。
「あれって、人間界のどこに通じてるんです? 少なくともどこかひとつは、俺たちがいる近辺に繋がってるはずなんですけど」
あたしたちの向こうでの家にある陣は、魔界の城地下としか繋がらない。ハノルスは別の陣から来てたはずだから、あれとは別の移動陣がどこかにあることになる。それが今回使われた陣で、もし使ったのが果たし状を出すようなやつだったら……追っ手はすぐそこまで迫っているのかもしれない。
けど、女王様が答えた場所はもっと遠くで、そんな心配は必要ないようだった。ハノルスが使ってた陣とは別物らしい。
「ですが、何者かが通常行く必要のない人間界を目指したことは事実です。侵入者やこの手紙とも関連している恐れがある以上、現在あの家は危険だと考えたほうが良いでしょう」
険しい顔で女王様が言い切る。そこへアクアが、遠慮がちに言った。
「でも、あの家が危険だとしたら、おれたちどこへ行ったらいいんですか……?」
人間界で暮らすことになった理由のひとつは、アクアに行き場がないことだった。唯一の居場所であるあの家も安全でないなら、次はどうすべきか。
「もといた場所はダメだな。ハノルスが知ってたんだから、相手がその関係者だったら筒抜けだ。俺とグロウで冥界になら一時的に避難場所を確保できるけど、向こうの本拠も冥界みたいだしな」
ゴッドが素早く候補を並べて、どちらもすぐ否定される。グロウがはっと思いついたように顔を上げた。
「あんたんくは?」
「……本気で言ってんのか?」
「冗談よえ。でも、よその家に一時避難はアリやと思うで」
そう言って、すっと背筋を伸ばし、女王様と向き合う。本題だ、と直感させられた。ゴッドは怪訝そうに、アクアは不安そうに、そしてユールはまったくの無表情に、グロウの言葉を待つ。
女王様は真っ直ぐに迎える。放たれたのは衝撃の一言。
「みんなで江藤家の別荘に行きます」
「えーっ!」
「はあ?」
声を上げられたのはあたしとゴッドだけだった。アクアはぽかん、と丸く口を開けてしまい、ユールは、まあいつもの状態。女王様はかすかに目を眇めて、
「どういうことでしょうか」
と説明を求める。
「ふざけんなよ、お前なに考えてんだ」
「こっちは冗談やないで。まあ聞いてや」
ゴッドの抗議を押さえて、グロウはにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「江藤椎羅と江藤椎矢は人間界での友達です。うちとルビィはもともと、明日から二泊三日で、その子らあのおじいさんが持っちゅう別荘へ遊びに行く予定でした。やき、最初に人間界の家が危険やと言われた時から、うちとルビィは予定通りに遊びに行ったらえいろうと思いよったがです。でも、行くくに困るがはむしろこの三人ですよね」
真横と右と左と、てんでばらばらに座る男三人を雑に指さして、
「やったらもう、連れて行ったらえいがやないですか?」
以上、だった。堂々とした突拍子のない提案に、女王様は思慮深げな目をあたしたちに巡らせた。
「その別荘はどこにあるのですか?」
「うちもまだ聞いてないがです。バスで一時間半ばあとは言いよりました」
「同行予定はその、シーラさんとシーヤさんのみですか?」
「はい。向こうの家族もおりません」
「精霊五人ともが参加することについて、彼女らには理解を得られると?」
「そこはどうとでも」
滑らかな回答を聞いて、女王様はあっさりと頷いた。
「いいでしょう」
「待てよ!」