=風の精霊ウィンディ=

七月 3

 翌日のテストは数学と歴史だった。勉強会のおかげか、なんとなく手ごたえはある。前のテストの時はそんな感覚すらなかったんだから、大きな成長だ。
 いつもより長い放課後、あたしたちは教室に残って二度目の勉強会をすることにしていた。
「数学、とりあえず答えは一通り出せたのよね?」
 明日の科目を広げながら、椎矢が聞く。
「最後の一問以外は」
「なら、補習にはならないと思うわ。あとは英語ね。他は補習ないから」
 これやって、とテスト範囲の単語を赤ペンでまとめたルーズリーフを渡された。続けて赤シートも。
「椎矢のじゃないの?」
「わたしもう何周かしたし、今夜家でもできるからいいわよ」
「そっか、ありがとう」
 英語の先生は穴埋めプリントをくれなくて困ってたけど、こうすればいいのか。暗記をするということ自体、あたしにはまだ慣れない。暗記のやり方なんて、全部椎矢たちから習ったようなものだ。
 あたしと椎矢のやり取りを聞いていた楓生が、自分のノートから顔を上げた。
「椎矢、妙に苑美の補習にこだわるね。なんかあるが?」
 もともとあたしが補習に引っかからないようにって勉強会じゃなかったの? と思ったけど、どうもそういう意味じゃないらしい。楓生の隣に座る椎羅が、実はね、と切り出した。
「お泊まりなんだけど、夏休み入ってすぐの土曜日からじゃないと行けないみたいなの。補習って土日なしで五日間ぶっ続けじゃない? だから、補習かかっちゃうと一緒に行けないのよ!」
「えー! なんでそんなことになったの?」
 思わず身を乗り出して聞いてしまう。楓生の横目が飛んできて、
「あんたが補習かからんかったらえいばあの話やん」
 と言われたけど、肩をすくめて聞き流した。
「それがね、おじいちゃんちの別荘、裏がすぐ山なんだけど、そこで工事があるんだって。地滑りとか防ぐ工事らしいんだけど、台風シーズンに入る前に終わらせたいからって週明けの月曜から始めるらしいの。だから金曜に終業式して、土曜日から行って二泊して、工事の人と入れ替わりで帰ってこなくちゃいけないのよ」
 椎羅はノートの隅にスケジュール表を書き込んでため息をつく。
「ん? 台風っていま来てなかったっけ」
 シャーペンで書かれた台風のイラストは、スケジュールの端っこにかかっていた。けど、昨夜の天気予報では何日かでこのへんに到着することになってたはずだ。
「それは、テスト中に来ていなくなるのよ」
 と、椎矢が手を伸ばして、終業式の前のところにぐるぐる、台風を書いていく。
「てことは、テストの最後のほう雨? やだなあ」
「えいやん、もう水泳もないし」
「あたしはプールの日は雨でもいいんだけどー」
 登校するには靴が濡れたり傘を差したり、雨だと面倒が多い。でも、雨の日はたいてい気温が下がって、プールに重なると体育館でバスケとかバレーになる。
「苑美は水泳嫌いだもんねー」
「泳げないわけじゃないのにイヤなの?」
 椎羅が笑って、椎矢が首を傾げる。あたしは大きく頷いた。
「水がいっぱいたまってるのがイヤ」
「あんたねえ、椎羅と椎矢は海に誘うてくれちゅうがで」
「遊びに行くんだもん、絶対泳がなきゃいけない授業とは違うじゃん。それに深いとこ行かなきゃいいし。プールは浅いとこないし」
「苑美の言うこと分かるかも。やっぱり授業と遊びじゃ違うわよね」
 椎矢はそう納得し、ふと思いついたように言う。
「それじゃ、八月は一緒にプール行かない? 流れるプールとか滑り台とかあるとこ。お父さんがよくチケットもらってくるのよ」
「いいわね! そうだ、そこなら柊さんとも……!」
 椎羅が勝手に希望を膨らませて頬を赤くする。椎矢は呆れ顔だ。
「椎羅はそればっかりなんだから」
「だって、夏休みよ? 初デートにはぴったり……! この間、楓生にもそろそろデート誘ってみたら? って言われたし」
「そういえばそんなこと言ってたわね。特になにも言ってきてないってことは、あれから変わったことはないの?」
 テストの発表があってからも、三日に一度くらいのペースで、椎羅と柊は会っていた。事細かにあった報告も、今では椎矢が「もういいわよ」と言うからなくなっている。椎羅基準で、ちょっと進展があったときは報告されるけど。
 椎羅は妹の問いに、ため息混じりに答える。
「残念ながら。別荘にも誘ってみたんだけどね」
「はあ!?」
 声は二人分、だった。あたしと椎矢。楓生は声こそ上げなかったけれど、視線が素早く椎羅に向かった。
 椎矢は机の上に身を乗り出して姉に迫る。
「姉さん、大胆にもほどがあるわよ!? ていうかわたし、よく知らない上級生が一緒なんてイヤよ!」
「だって、いま一番行きたいところって思ったら、それが出てきたんだもん! 夏祭りとかプールとか、まだ行けるかどうか分かんないんだし。それに、結局断られちゃったんだからいいじゃない!」
「そういう問題じゃないわよ! 姉さんのその思考回路、ほんっと理解できない」
 軽いきょうだいげんかが勃発していた。あたしはその隙に、楓生と顔を寄せあって、
「椎羅のお誘い、知ってたの?」
「まあね」
「じゃあ、あたしたちが誘われるのも前もって分かってたってこと?」
「いちおう?」
「なんで教えてくれないのさ」
「あんたに知らん振りさせるがはリスキー」
 あたしがばっさり切られたのと同じくらいに、江藤姉妹のほうも落ち着いたらしい。お互い元のように身を引き、不満の残る鼻息を漏らす。
 楓生がシャーペンを取って、場を取りなすように言った。
「勉強しょうか」
 そうしてやっと、勉強会は本番に入る。

 テストは順調に進んでいた。補習のある数学と英語は頭の二日で終わっていたが、その後も勉強会は続いた。どの科目も、前回とは見違えるほどの点数が取れたに違いない。たぶん。
 だけどそれとは裏腹に、魔界の方では雲行きが怪しくなってきた。
 冥界の移動陣周辺で不審な人物の目撃情報が出ている、とか。城近くでも声をかけると逃げて行った不審者がいる、とか。
 そしてついに今日、あたしたちは終業式のあとに城へ呼び出されることとなった。
 理由は、
「こちらです」
 女王様が神妙な顔つきで――いつもそうだけど――差し出したのは、三つ折りになった紙。その衝撃の正体は、先ほど聞かされて盛大に驚いたばかりだ。というか真ん中に書いてある。
「これが……果たし状」

2015/9/8 (修正 2023/3/25)