=風の精霊ウィンディ=

七月 2

 あたしたちが帰り着いたとき、お兄ちゃんはユールを置いて魔界へ戻る寸前だった。移動陣を設置した部屋に入ろうとするのをぎりぎりで止めて、リビングのソファに座らせる。
「どうしたんだよ、そんなに慌てて」
「慌ててるわけじゃないけど……お兄ちゃんに話があって」
 ぴったり並んで座るのはなんだか久しぶりだ。どこよりも落ち着く場所で、あたしは今日聞いてきたことを話す。
「椎羅と椎矢に、夏休み泊まりで遊びに行こうって誘われてるの。行きたいけど、お城のほうってどうなってる? なにかあったら、あたしたちが行かなきゃいけないでしょ」
 お兄ちゃんは、仕事場が城下にあることもあって、ちょくちょくお城へ近況を聞きに行っているらしい。自分から言い出さないってことは、大したことは起きてないんだろうけど。
 そう思っていたら、意外にも、
「ああ、そのことだけど」
 となにかありそうなことを言われた。お兄ちゃんはソファの背もたれ越しにダイニングを振り返って、降りてきていたアクアやゴッドにまで呼びかける。
「全員揃ってるし、いま言っておくけど、どうも冥界で変な動きがあったらしい」
 さらりと出てきたのは、とんでもない報告だった。
「冥界で?」
 真っ先にゴッドの視線が険しくなる。台所に立つグロウも、水を止めて耳を澄ませている。
「ああ。これまでほとんど使用されてない人間界行きの移動陣を、誰かが使用した形跡があったそうだ」
「それって変な動きなの? 一般人は使えない陣とか」
 魔界では人間界と繋がる陣は完全管理下に置かれてるけど、よそもそうとは限らない。冥界は、そのへんいろいろと緩いという噂だ。
「まあ公共のもので使用禁止だったりはしないそうだけど、人間界にしか繋がってないからなあ。滅多に動かされないのに突然っていうと。それに、いまはお前たちがこっちにいるし」
 はっきりと答えられず、腕組みをするお兄ちゃんに、ゴッドが鋭く聞いた。
「それ、いつのことです?」
「分かったのはつい先日だけど、使われたのはもっと前だ。前回みんなが帰ってくるよりも前」
「城に侵入者があった頃ですか?」
「たぶんなあ。どっちが先かまでは、冥界側が正確な日時を伝えてくれなくて分からないらしい」
 そこまで聞いて、ゴッドは、
「そうか……。城の侵入者との関係はまだ不明ですよね」
「やっぱり関係あると思うか?」
「まあ、時期が時期ですしね。もしそうなら、知らせてもらえないだけで天界でも同じ動きがあった可能性もある。他の世界まで足を運んでるとなると、なかなか厄介な相手かもしれませんよ」
 うーん、とお兄ちゃんは目までつむってうなる。そこへ、口を挟めずに聞いていたアクアが小さく手を挙げた。
「ルビィたちが遊びに行きたいって言ってたのはどうなるの?」
 ゴッドがすぐには断言せず、グロウに視線をやる。
「現時点では無理ってこともねーだろうけど……どう思う?」
「そうやねえ。うちはむしろ、えいタイミングやと思うけど」
 コンロに火を入れながら、グロウの声はどこか楽しそうだった。
「最悪のタイミングじゃないの?」
「最悪にするかどうかはうちらあ次第ちや。せっかくのお誘い、戦略的に使えたら最高やお?」
 あたしとアクアはきょとん、ゴッドはなにかを分かった様子。またこれだ。今日はお兄ちゃんがきょとんのほうに加わっている。
「どういうこと? 説明してよー」
 換気扇のスイッチを押し、包丁を取り、料理はやめないままグロウが一度だけ振り向いた。
「うちは、城は狙われやあせんと思う」
「……なんで? お城に侵入者が出たって言ってたじゃん」
「そのとき聞いたろ。ハノルスの遺品が盗まれた、って。それ以外なかったやん。城に入れるに女王にも職員にも女王家の所有物にも手え出してないがで」
 当たり前のように言ってキャベツを割るグロウの言葉を、ゴッドが引き継ぐ。
「要するに、今回の件もハノルス絡みの可能性が高いってことか。あいつにはバックがいたみたいだしな。そしてそっちの手がかりはゼロ。普通なら、また手駒を変えて仕掛けてくる。目的は分かんねーけど、狙いは、」
 ぴ、と指を差されて息をのむ。
「あ、あたし?」
「なわけないろ!」
 グロウがあきれて、ふん、と鼻を鳴らす。
「狙いは、精霊……?」
 正解したのはアクアだった。
「また精霊が標的になっちゅうやったら、所在のばれやすい魔界より人間界が安全やお。移動陣がないぶん、相手に不利やし。そん中でもずっとこの家におるがとどこぞ出かけるがやったら、普段行かんくへ出てったほうが見つかりぬくい」
 たしかに、その通りではある。人間界はとにかく広い。ハノルスは自分の手で精霊を人間界に追いやったから学校まで来られたけど、普通に人探しするとなったら魔界でやる何十倍も難しいだろう。
「じゃあ夏休み、お泊まり行くってこと?」
「行くって返事するってこと。まだこの先城のほうがどうなるやら分からんし、行くがが不適切となったら断る」
 ついしてしまった期待を、グロウはすっぱり切って捨てた。まな板の上では、ざくざくざく、とキャベツが千切りになっていく。
「まあ、またなにかあったら聞いておくよ」
 お兄ちゃんがそう言って帰り支度にかかる。今日のところは、お兄ちゃんに連絡係を任せておくしかないようだった。

2015/8/31 (修正 2023/3/25)