=風の精霊ウィンディ=

五月 2

 理由は四月の末にさかのぼる。
 ルサ・イルの息子、ハノルス・ラインによるフィル・ネイチャー封印事件が、犯人の自害で幕を閉じた直後のこと。城の応接室に集められたあたしたちは、女王様のとんでもない宣告を聞いた。
「みなさんにはこれから、人間界で学生生活をしていただきます」
 冗談、かと思ったのはあたしだけみたいだった。アクアの肩がびくりと揺れて、グロウが思わずといったふうに身を乗り出す。ゴッドもさすがに目を丸くしていて、ユールだけが無反応だった。
「どういうことですか」
 グロウがすかさず発言の意図を問う。驚きよりも納得いかなさが前に出た声だった。女王様はそれも見越していたのか、きりりとした顔に一切の動揺を見せず、きびきびと答える。
「勝手ながら、あなた方が人間界から戻るまでの間、私はこちらのクルス・ウィンディとあなた方の今後について協議を重ねてきました」
 女王様が別れて座るお兄ちゃんを示した。関係ないはずのお兄ちゃんがどうして同席することになったのかと思ったら、そういうことか。
「こちらが把握していない精霊もおり、フィル・ネイチャーの封印についても、事件の犯人や終息についても、分からないことばかりでした。そんな中ではありますが、私たちはいくつか、あなた方を支援し、指針を与える方法を考えました。そして、すべてが終わったいま、選び得た選択肢が先ほどお伝えしたことです」
 女王様の硬い言葉遣いのせいか、どうにもよく分からない。あたしが首をひねっていると、
「それは説明になっていない」
 切り込むような低めた声で、ゴッドがそう指摘した。それを聞いてやっと、さっきの説明には圧倒的に情報が足りなかったと気づく。
 女王様に向けるにはあんまりな物言いだと思ったのか、グロウが眉をひそめる。けれど女王様はすべて分かってやっていたかのような落ち着きで、言われたのは自分ではないかのようにお兄ちゃんに視線を振った。あたしたちもそれに倣う。そうするしかない雰囲気だった。
「どうしてこの選択をしたのか。それだけじゃ納得いかないだろうな。どうして俺たちが精霊に指針を用意して、しかもそれを押しつけるのか、それも含めて、この選択の理由を説明しよう」
 不満に近い驚きを抱えたままのあたしたちに、お兄ちゃんは穏やかに語った。
「まず、俺は女王様とお話させてもらう以前から、それこそ神魔戦争の間から、ルビィが戻ってきたら秘塔へ入れたいと思っていた。もともと両親は六歳からは秘塔へ、って計画をしてたんだ。俺も中退したけれど何年か通っていた。行く価値のあるところだよ、学校というところは」
 これがいちばんの、根っこの理由、とお兄ちゃんは言葉を区切って、赤茶の瞳を次にアクアへと向ける。
「いちばん大きな理由は、ふたつある。いまここで、俺にこんなこと言われたくないかもしれないけれど許してほしい。ごめんね、アクア」
 名前を呼ばれてアクアが跳ねるように姿勢を正した。けど謝られる心当たりはないようで、表情はなんだか落ち着かない。お兄ちゃんは優しく優しく、引っかかりのないようさらりと、ふたつめの理由を口にした。
「アクアには帰る家が必要だ」
 それでも何かに引っかかれたかのように、アクアがぎゅっと膝の上で手を握った。
「俺も、昨日ほんの少しアクアと話しただけだけど、今までの家に帰るのより、精霊の持ち物の家に帰るのより、もっといい方法があると思うんだ」
 たしかに、フィーがいなくなって新しいネイチャー様がいる家も、誰もいない家も、アクアにとってはどちらも厳しい。けれど、人間界に行くことがどうしてもっといい方法なのか。そう聞きたかったけれど、お兄ちゃんは口を挟ませてはくれなかった。
「それからもうひとつ。ユールにも自分の家以外の居場所が必要なんだ」
 ……こちらは、ちょっと考えてもよく分からなかった。ユールは実のお姉さんのヒュナさんと、親が精霊として持っていた家で、神魔戦争中も含めてずっと生活していたはずだ。なのに、別の居場所?
 お兄ちゃんは疑問符を渦巻かせるあたしや、当のユールではなく、グロウに声をかけた。
「昨日、ヒュナに会って話を聞きたいって言っていただろう? 俺からは本人に許可を得ないと話せないって。今日は許可をもらってきたよ。あれをいまから全部話そう」
 グロウはちらと、誰宛だか分からない視線をあたしたちの並ぶ椅子に向け、正面のお兄ちゃんに向き直って「お願いします」と表情を硬くした。お兄ちゃんはほんの少しためらうように息を吸って、言う。
「ヒュナはユールを虐待していた。過去形だけれど、まだ完全に解決した問題じゃない。二人がただ今までの生活に戻るのは、だめだ」
 いきなり持ち出された重たい言葉に、あたしは昨日の夕方のことを思い出した。
 ヒュナさんに傷の手当てをしてもらったとき。ヒュナさん自身はとても優しそうで、頼れるお姉さんだった。たしかにユールにはちょっときつい声を出していたけど、あれはきょうだいだから遠慮がいらないというだけのことだと思っていた。
「ヒュナさん、ユールと仲悪かったんだ……」
「そうではないよ。ヒュナは優しい人だし、家族思いだ。ユールも聞き分けがよくてお姉さん思いのいい子だった。ご両親が亡くなって、二人は一生懸命助け合っていた。これは本当だ」
 あたしがついこぼした言葉を、お兄ちゃんはしっかりと訂正する。
「順番に説明するから。精霊狩りがあったとき、ヒュナは11歳、ユールは7歳だ。そしてスノークス家の精霊はまだ決まっていなかった。あの家には大人がいなかったんだ。そこでご両親の勤めていた騎士団から、生活を手助けする人員が派遣された」
 この話は聞いたことがある。ユールを探そうというときにゴッドから聞いたのだ。当事者から直接聞いてきたお兄ちゃんの話と、ゴッドの話にずれはほとんどない。そのことにあたしは驚いた。
「だけど当時の騎士団は、いや、いまもそうか。女王家との連携もできてなくて、組織の中も崩れかけていて、いまと変わらない状態だった。違うのはそれが外にはまだ知られていなかったってことだ。二人の支援に派遣されてきたのも、あんまりいい人たちじゃなかったらしい。だからヒュナは、自分がしっかりしてユールを守らなきゃと思っていた」
「騎士団はじゃあ、もともと腐敗していた、ってことですか」
 ゴッドがなぜかそんなことを尋ねる。
「もともとっていうのは?」
 お兄ちゃんは無碍にすることなく聞き返し、それにグロウが答える。
「スノークス姉弟との間で不祥事を起こす以前、ちゅうことです」
「……想像はつく、とは言ってたけど、けっこう知ってるみたいだな」
 質問の答えではなかったが、グロウは素直に、はい、と返し、事情を明かした。
「精霊狩りを探すことと平行して、新しい精霊についても調べよりました。その過程でゴッドが聞いてきたがです。騎士団は腐敗しちゅう、発端はスノークスとの不祥事もみ消しやないかという話でした」
「そうか。うん、それ以前から騎士団は様子がおかしかったらしい。不祥事も、進行のきっかけではあったかもしれないね」
「二人にとっても、きっかけやったと?」
「ああ」
 ゆっくりとうなずいて、お兄ちゃんは話を元の流れに戻す。しかし、穏やかな声は流れ出すまで数秒の沈黙を待った。
「……あるとき、騎士団の人間がヒュナに危害を加えようとした。ユールがとっさにヒュナを守った」
 そこで、言葉は切られる。誰もが続きを待つが、お兄ちゃんは態度で続きなどないことを表していた。あたしは思わず言ってしまう。
「そ、それだけ?」
「それだけだよ。――それだけで精霊が決まったんだ」
「!」

2014/12/4