=風の精霊ウィンディ=

ハノルス 5

 城下の空は晴れ渡っていた。日差しは暖かく、風は涼しい。知らず知らずのうちに張りつめていたものを全部緩めて、あたしはいっぱいに伸びをした。
「んんーーーっ」
「あんた、はやから全部終わったと思うちゃあせん?」
 まだ表情の硬いグロウがあきれ声で言う。
「そんなことないよ。これからどうしなきゃいけないか、話しに行くんでしょ。わかってるってー」
 神魔戦争といえばあたしたち精霊は当事者だし、騎士団がいないとなると精霊が必要な場面も広がるかもしれない。そのくらいはいちおう考えていた。
「グロウは? これからどうするとか、決めてる?」
「決めるもなにも、いままでどおりよ。うちんく自営業やき仕事」
「そういえば昨日も家業がなんとか言ってたよね。なんの仕事なの?」
 城下にいるほうが都合が良くて、お父さんから引き継いでやってて、あとはなにか聞いてたっけ。具体的な紹介はなかったように思う。
 グロウはちょっと迷う素振りを見せたあと、
「んー、まあえいか。精霊狩りだけやのうて、うちらあは死神も探しゆうがよ。父さんのもっとずっと昔から、サンダー家はこの仕事」
「死神を探す? って、あの人たち呼べばすぐ来るでしょ」
「死神に仕事頼むわけやないが。主に天冥大戦の遺族から依頼受けて、戦死者の死後処理した死神を探すがよ」
「なんで?」
「大戦遺族保険があるろ、その請求に必要なが。天冥の方から教えてもらえることは少ないがよ。保険の手続きらあも代行したりね。魔界は中立やし、死神の数も多いし、競合する相手もほとんどおらんえい仕事で」
 そう言うグロウはちょっぴり自慢げだった。あたしは思った以上にハードそうな話に驚きを隠せない。でも、グロウが大人っぽくてしっかりしてることにはとても納得がいった。精霊狩り以降、家業を切り盛りしてきたのはもちろん、お父さんがいた頃も早くから手伝いをしていたんだろう。
「ゴッドも一緒の仕事?」
「俺は下っ端だよ」
 一歩後ろからゴッドが答える。
「へえー。ユールのこともグロウに頼まれて調べたの?」
「あれは調べたっつーか――」
「その辺にしちょきよ」
 なぜかグロウに止められた。ゴッドは「はいはい」とあっさりあたしへの回答を取りやめる。グロウがゴッドにいろいろ頼んだり指示を出したりしてたのは、二人で仕事してるときの上下関係があるから、なのかな? 気安いやり取りはきょうだいみたいでもあるけど、本人たちとしてはきっちり上司と部下らしい。
 そんなことを言っているうちに、城の大きな玄関が近づく。守衛を二人つけて扉は開かれていた。黙々と先頭を歩いていただけのユールが、守衛の会釈にはきちんと会釈を返した。
 あたしはその背中にも話しかけてみる。
「ユールは実家だよね」
 ……返事はない。
「ねえ、」
「おいユール。お前これから、家で姉貴と生活すんのか?」
 いらっとして同じ言葉を繰り返そうとしたあたしに代わって、ゴッドが聞き方を変えて問う。するとユールは、前を向いたまま、
「わからない」
 と答えた。
「はあ?」
 思わずちょっときつい声が出る。
「お姉さんいるし、もともと家族で住んでたんでしょ。なんでわかんないなんてことになるの?」
「なにが適切か考える必要がある、と言われたからだ」
 やけにすっきりとした口調は、まるで他人事を話しているみたいに落ち着いていた。なんだか、妙に気に入らない。
「言われたって誰に?」
「クルスさんに」
「お兄ちゃん? なんで?」
「わからない」
「なんでわかんないの!?」
 しばらくいろいろ聞いていたけれど、三つ聞いたらうち二つは「わからない」が返ってくるありさまで、結局知りたい答えはほとんど得られなかった。
 むなしい疲れに肩を落として、女王様に指定された部屋へと入る。
 壁紙には魔法陣が張り巡らされ、テーブルは重々しく、ソファは寝てしまいそうなほどふかふかだ。グロウがテーブルの短い辺に向かった一人掛けのソファを取り、残る四人で三人掛けと思われる長椅子におさまる。ゴッド以外みんな小柄なせいもあり、定員オーバーでも窮屈にはならない。あたしは真ん中で、左にユールとゴッド、右にアクアが座った。
 グロウが、やっと近くへ来たアクアに心配そうな目を向ける。アクアは牢棟を出てから、ここまで一言も口を利いていない。
 みんなにしてきた質問を、あたしはアクアにも投げかけてみた。
「アクアはこれからどうする?」
 びくり、と薄い肩が震える。
 このことで、いちばん悩むのはアクアだろう。いつまでもネイチャー様のところにはいられないし、かといっていきなりひとりで暮らしていくこともできない。あたしたちの中でアクアだけが、どこにも寄る辺なく、自分で立つこともできないのだ。
 そんなアクアは、不安の色濃い瞳をそっとこちらに向けて、
「ルビィは?」
 と聞いた。その声は甘えたように子供っぽく、けれど芯はぴんと冷たい。涼しげ、とまでいかない緊張感がなんともアクアらしかった。
「あたしは……どうしよう」
 考えてみれば、あたしにとってはアルサと一緒にいることが長く当たり前のことになっていた。神魔戦争が終わってから、お兄ちゃんと暮らせたのはほんの数ヶ月。それはずっと失われていた兄妹の時間を取り戻そうとする期間で、だからきっと、人間界へ行くまでのような日々をずっとは続けていられない。
 あたしにも、戻るべきいままで通りなんてものはなかった。
「どうしよっかな。お兄ちゃんは秘塔に通わせたいみたいだけど、いまからで大丈夫かなあ」
「秘塔って?」
「学校だよ。城の隣に高いおっきい建物あったでしょ、あれ」
「学校、かあ……」
 人間界を思い出しているのか、アクアはすこし遠い目になる。学校、行きたいのかな。そう思って聞いてみようとしたときだった。
「そのことだけど」
 部屋の扉が音もなく開いて、なぜかお兄ちゃんが顔を出した。
「お兄ちゃん?」
 なんで? と尋ねる間もなく、微笑を浮かべたお兄ちゃんは扉の前を空け、そこへ女王様が姿を現した。グロウが静かに立ち上がる。あたしはソファから身を乗り出してぽかんとするばかりだ。
 女王様はあたしの正面に一人で座り、お兄ちゃんは残っていた一人掛けの椅子に腰を下ろす。グロウもそれを待って座り直し、部屋のなかはしんと静まり返った。
 その中で女王様が、とんでもない言葉で口火を切る。
「みなさんにはこれから、人間界で学生生活をしていただきます」

2014/10/29 (修正 2023/3/23)