周囲にとどまる人形の数が着実に増している。ゴッドはグロウを追う人形を引き留めながら、辺りに視線をめぐらせた。
近くは行く手を阻む自動人形から、その隙間をくぐり抜けていくグロウ。遠くは背中に白い人形をぴったりとつけたすべての犯人、その指示により動く黒い人形、入れ替わり立ち替わりそれに弾き飛ばされているルビィとユール、濃緑をまき散らす魔法陣、そこで眠るフィル・ネイチャー、そしてべそをかきながら陣をなぞるアクア。
これはだめだな、と容赦なくゴッドは思った。精霊だから、と五人で揃ってはみたが、それは体面上の話でしかない。結局は魔法で戦うことについて、経験も能力もまちまちの、出会っていくらも経たない人間の寄せ集めだ。
ルビィの魔力量にも、ユールの魔力感覚にも、ゴッドは期待していなかった。いくら魔力が強かろうが多かろうが、いつかは尽きるしあの使い方ではそれはかなり近い。ユールも機械的に黒い人形を押し留めているだけでは同じ事だ。いまのやり方であれが倒せるとは思えない。
同様に、アクアがフィル・ネイチャーの封印を解除できるとも考えていない。魔法陣は技術と才能と、それから知識だ。アクアは三つの封印を尋常でないスピードで解いた。それがこれだけ躓いているということは、知らないということだろう。グロウもあてが外れたことには気づいているはずである。ならばアクアのために時間を稼ぐのは無駄というものだ。
かといって、いまの調子でグロウが犯人にたどりつけるかというとそれも怪しい。先にルビィが音を上げて、ユール一人では黒い人形がさばけず、総崩れ。そうなったら手に負えない。
白い人形たちをかわしていなしてあしらって、ゴッドはただ、任されたことをこなしながら考える。
どうするか、ではない。グロウはどうしたいと言うかを。
転機はない。ほしければ作らなくてはならない。グロウはどんな転機をほしがるか。どうしようもない状態をどうすることもなく維持しながら、ゴッドは淡々と考えていた。いつものことだった。
◇
転機を作る決意ができた。
迫ってくる人形を後ろへ下がってかわし、グロウはゴッドを振り返った。
「ちょっと」
声は聞こえなかったろうが、目は合った。待っている目だ。グロウが後退し、ゴッドが前に出て背を向けあう。
「このままやと――」
「前振りはいい。俺にどうしろって?」
「急かしなや。犯人まで一帯、人形全部いっぺんに壊いて」
会話のセオリーを蹴飛ばして、グロウは無茶苦茶を言う。ゴッドはそれに了解とも無理とも答えず、
「効くか?」
「一気に、全部で。そうやないと効かん」
グロウたちを阻んでいる白い人形。それを全部失えば、犯人は焦って人形を増やすだろう。壁にするには数がいる。数を作るには魔力がいる。それが、黒い人形の隙になる。
ゴッドはそこまで分かってくれた。だから詳細は尋ねずに、別の心配をする。
「それ、あいつらにわかんのかよ」
「……そこよねえ」
グロウは進路左手で拮抗する、黒い人形と、何度も弾き飛ばされては挑みかかっていくルビィとユールを見やった。ルビィには通じそうにない。バカだし。ユールにも分かってもらえそうにない。理解力が足りない。
そう判断すると同時に、丘を埋め尽くす人形を消し去った、ルビィの風を思い出した。どこも見ていないのに真っ直ぐな、ユールの瞳の青を思った。
そして決める。
「わからせちゃってや」
「俺がかよ……」
いちいち肩など落としながら、ゴッドはそれでも周囲を見渡した。犯人を守る人形まで、およそ十五メートル。追いすがってくるやつらの最後尾まで八メートル。その間に人形は、二十と少し。
「魔法陣いくつ仕掛けたっけ」
「残っちゅう中では五体やね。後ろに三、前へ二」
「あれか。だいぶ減ってるけど、位置は、まあいいな」
グロウが人形に仕掛けて回っていたのは、魔力と魔力を結ぶ魔法陣だ。
通常、魔法陣は触れたそのひとつしか起動できない。この陣は、起動を司る魔法陣と実際に効力を発揮する魔法陣を分割し、移動陣や通信鏡に使われるような魔法陣同士を接続する技術によって接続したものだ。
「本体くれ。あとタイミング」
ゴッドの求めに応じて、グロウは冊子状にした魔法陣の、最後のページを破り取った。後ろ手にそれを掴ませて、束のほうはベルトにねじ込む。
そして、
「いま!」
「おう」
グロウが真っ直ぐ犯人へと駆け出し、魔法陣がオレンジ色の光を得て、熱のない炎が吹き荒れた。
◇
ルビィが十回目の尻餅をつかされたときだった。
その目映さを、ルビィは最初、人形が大量に弾けたせいだと思った。それは半分正しくて、半分は間違っていた。
「うわ」
思わず膝立ちで止まって、そんな声。
炎が人形を焼いていた。いや、違う。人形の群の中に点々と、炎が立ち上って広がっていく。それは熱も持たず酸素も砕かず、濡れた草の上を濡らしたまま走り、白い人形を白いまま包んだ。それを繰るのは鋭い目つきで火の手を見やる長身。
ルビィの風が本当の風ではないように、ゴッドの炎もまた魔力の発露であって燃焼ではなかった。ただ、密であればあるほど体感できる強さも高まるルビィの魔法とは異なり、ぼうと広がる火は明るいオレンジ色に揺らめいて、その威力をうかがわせない。
炎が犯人の背を守る人形にまで行き着いた。ゆらり。さざ波のような揺らぎが一瞬静まって、その中心でゴッドが剣先を持ち上げる。射抜かれたのは帽子の男。
そしてその瞬間に、今度こそ破壊力が吹き荒れた。
夕陽のような輝きがぎゅっと収束し、火の粉を吹いて人形にまとわる。いくつもの白いシルエットが握りつぶされるように砕けた。
ルビィが引き起こしたものには及ばないが、それでも強烈な光が目を焼く。ゴッドはその中でしっかりと目を開け、ルビィたちの方を見ていた。
「ユール! そいつ止めろ!」
黒い人形の腕に払われて、同じく真っ黒の痩身が草の上に投げ出される。はっとして人形へ向かおうとするルビィを、ユールはなんの衝撃も受けなかったかのように追い越し、右手の剣を水平に払った。
銀のきらめきの先に、薄青を吸い込む氷が立ち上がる。それは黒い人形の臑までを這い上がって歩みを阻んだ。
おかしい。ルビィはとっさに思う。雪の精霊の使う魔法として、これはおかしい。どくんと胸を打った疑問は、しかし強い声にかき消された。
「いまだ、ルビィ!」
ゴッドの声に打たれて、ルビィは反射的に意識を切り替える。
いま、この時なら目の前の黒い壁を打ち破れる。理屈は知らない。けれどなぜとは思わない。ぶつけられた声には確信が満ちて、視界の奥で帽子の男がひきつった表情で振り返っている。失った分を取り戻すように増える白い人形を、そっと意識から締め出した。
肩幅に足を開いて立ち、左手の剣を構え、右手を添え、息を吸って、
「――、」
止める。
木靴の底で草を蹴り、ユールに道を譲られ、剣を高く振り上げる。ぶわ、と砂色のマントが魔力にあおられて広がる。
すこし左に傾いた刃は魔力を乗せられて、まず人形の頬を傷つけ、首筋に沈み、胸を貫いて腹を断ち切った。
そして風が立つ。爆発的な魔力が溢れて黒い輪郭を粉々に引き裂く。元へ戻ろうとあがく人形のちからに、ルビィは全力で抗った。
腹に突き立つ剣を黒い手が握る。その中へも風を起こして、鮮やかな赤の瞳で目のない顔面を睨みつける。帽子に押さえられた髪がばたばたと耳朶を打つ。自ら発したちからだというのに、ともすれば脚が震えそうな圧だった。
それだけ消耗しているということであり、いままで出したことのない全力を振り絞っているということだった。だがルビィにはそれしかない。策も魔法陣も何もない、ただ持てる魔力をかき集められるだけ集めて圧倒する、それだけ。
人形の手がぼろぼろと割れて、手でもなんでもなくなってゆく。斬られた半身が崩れ、凹凸の乱れた顔が仰け反って――風の音と、肌にしみるほどの魔力と、青く立つ草の香。
なにも残さず人形は消え去り、風の渦はするりと、ルビィの胸元に舞い込んで止まった。