不安を通り越して泣きそうな目にそう叫び、あたしは剣を掲げて切るための魔力を防御へと変換する。勢いには自信があるが、正直速さには自信がない。ちらっとそんなことを思ったせいだろうか、手元の魔法は見事に遅れた。
感覚でそうわかった瞬間、あたしは捕まったままのアクアと人形の間に体で割り込んでいた。
「ッ!」
魔力そのものが立て膝の脚と腹部にぶつかって、やたら鋭利な痛みになる。痛い! と大声を出せば楽になるかと思ったけど、いまはすこし我慢する。弾けた一瞬で魔力は放出しつくされ、あたしは行動に移った。
剣の魔力を斬るちからに切り替え直し、まずはアクアを捕らえる手首を切断、むくりと起きあがったそいつの胸を一刺し、方向を定めた魔力を注いで、人のいない方へ爆発させる。
「……っはあ」
「ルビィ! それ、怪我……!」
立ち上がって息をついていると、アクアに心配そうな声を上げられた。言われて視線を下げれば、左の膝から太股にかけて、精霊服がほつれて皮膚は擦り傷のようになっている。お腹のところもちょっと汚れて、傷にはなってないようだけど痛い。
「このくらい大丈夫だよ」
「でも血とか……」
「それはあとで。アクアはあそこへ行かなきゃいけないし、ほら、次が来た」
後ろはユールがちゃんと任されてくれてるらしく、追ってくる影はない。ただ前からはもう数体の人形がゆったりと近づいてきていた。
◇
言われるがままに頭を抱えて地面にうずくまり、危害としての魔力をやりすごす。その中に小さくうめき声が聞こえた気がして、足首が解放されるなりアクアは急いで身を起こした。
そしてルビィの状態を目にして息をのむ。
「ルビィ! それ、怪我……!」
左脚に広く、地面に擦りつけたみたいな傷ができている。アクアにとっては大怪我だが、ルビィは帽子を押さえながら、
「このくらい大丈夫だよ」
と言ってのけた。せめて血が止まるまでは動かない方がと言い募ろうとするのもあっさりといなされる。そうして歩いてくる人形にまた視線を移してしまう。
「ほら、次が来た」
アクアはそれを止めることもできず、ルビィの後ろをマントを踏まない程度の距離でついていく。ルビィがそれを確かめるように振り返って、にっと笑った。魔力を映した赤い瞳はどこまでも鮮やかで、その輝きは強さ以外の意味でもアクアを惹きつける。
自分ひとりではフィーにたどりつけないもどかしさがあった。ルビィのちからは、それから意思は、そんな気持ちを文字通り吹き散らしていく。とても頼もしい。そして同時に、自分にもそうできたら、と思わせられるのだ。
小さいはずの背中はいま、見上げるほど大きく感じられていた。
コツが掴めてきたらしく、ルビィが人形を吹き飛ばす手際はどんどんよくなっていく。すべての犯人が、封印の魔法陣が、フィーが近くなる。
ルビィはフィーのもとへと直進していた。このまま行けばまず犯人に突き当たる。フィーはその真後ろだ。グロウとゴッドは犯人を捕まえると言っていたが、どこにいるのだろう。
おそるおそる辺りを見回すと、アクアから見て右手を大回りで犯人に接近しようとする二人の姿があった。
ゴッドが人形そのものではなく、光球を狙って破壊していく。ルビィとは違い魔力に物を言わせるのではなく、光球が弾けることによるエネルギーを相手に浴びせて動きを阻害しているようだった。
グロウがその隙をくぐり抜けて、ついでのようになにかを人形に触れさせていく。グロウに続いてゴッドも人形の一群を通り抜けると、魔法陣を仕掛けていたのだろう、追ってこようとする人形の動きは鈍い。やけくそのように放たれる光球も威力を失い、ほとんどは届きもせず、届いたところで易々と弾かれていた。
その鮮やかな手際に、アクアはつい目を奪われそうになる。もちろん現状への恐怖が先に立っていたが、左側への反応は遅れた。
「アクア!」
鋭く言われてやっと、すぐそこまで人形が迫っていることに気づいた。大きな白い影に見下ろされて足が竦む。逃げなきゃと頭が訴えるのに体がついていかない。
庇いにこようとするルビィの剣が正面の人形に阻まれる。ルビィが乱暴に舌打ちして叫ぶ。
「後ろ下がって! っ、この!」
指示した隙を狙ったように、数体の人形がルビィへと押し寄せた。アクアはそれも心配で、自分の置かれた状況も怖くて、声も出せない。涙だけがじわりと視界の縁を滲ませる。
人形の手が無造作にアクアへと伸ばされた。おそらく首をめがけたのだろう――その手に握らされたのは、ほっそりとした剣の刃だった。
「え?」
音もなく、その剣の持ち主がアクアと人形の間に滑り込む。黒い精霊服の背に真っ黒な髪が流れる。
「ユール!」
「…………」
ユールはアクアを見もしなかった。
人形は剣を握っても傷つくことなく、ユールをぐいと引きつけようとする。ユールはそれに抗わず、あっさりと剣を手放す。たたらを踏むまでは至らずとも、人形は大きく一歩後退することになり、ユールが吸い寄せられるようにその距離を詰めた。そして右手をそっと握って人形の胸元に寄せ――
「え、あれっ?」
ユールの手の中には精霊の剣があった。人形とユールの間に、剣が丸ごと入るほどの空間はない。剣は人形の胸に埋まった状態で現れたのだ。細い刃を中心に魔力が渦巻き、人形を内から破壊する。
いつの間にか、人形の手から剣は消えていた。そしてまたユールは剣を離し、元からなかったかのように剣は見えなくなる。人形を三体まとめて無理矢理押し退けたルビィが、肩で息をしながらその様子を目にし、
「だから鞘がないのか」
と納得する。ひとりごとに近い言葉に、ユールは答えないどころかなんの反応も示さない。ひらりと身を翻して、任された背後の守りに戻る。ルビィはその態度にむっと眉を寄せ、しかしこの場で追求することはしなかった。
見ればグロウとゴッドはかなり順調に犯人へ接近している。人形は多くがそちらへ割かれて、アクアたちのもたつきもあってかこちらは手薄になっているようだった。フィーのすぐ前にいた犯人も、グロウたちの方へ少し移動している。深くかぶった帽子のせいで顔は見えないが、追いつめられているのかもしれない。
いまなら、この白い人形さえ越えればフィーに届く。
「ルビィ、あれ」
緑色の輝きを見つめて、アクアの声に無意識に熱がこもる。
「うん。敵もそろそろ困ってるみたいだね。いまのうちにドカンといっちゃおう」
ルビィは帽子をぐっと押さえて、力強くそう応えた