「いつまでもぼーっとしよれんで」
ついほっと一息ついてしまいそうだったところを、グロウがそう戒めた。立ち上がって声のほうを振り返れば、アクアを背に庇うように、人形たちが散った野を厳しく見つめている。
「グロウ! 大丈夫だったの?」
まだ立てないでいるアクアが心配そうに言う。グロウはふっと笑うと眼鏡を軽く指で叩いて、
「こんなが持っちょって、うちが小細工せんわけないろ。視界取られんように魔法陣入れちょらあ」
そんな使い方もあるのか。感心するとともに、なんにもわかってなくて助けられたのがちょっと恥ずかしくなって、ほっぺたの土を袖で拭う。ここからはあたしも! とグロウに並ぼうと
「おっとと」
した途端にくらり、目がくらんだ。
「すぐには無理だ」
そうは言うが、背中を支えてくれたゴッドは別にふらついてない。アクアのことも手を引いて立たせてやっている。
「納得いかない……じゃなくて、無理って言ったって、あれどうにかしなきゃ!」
あたしが一掃したはずの草っ原に、またいくつもの人形が広がり始めている。グロウの表情も険しい。
「分担伝えたいけんどあれも押し留めたい……誰か……」
きつく細めた黄色い目が、あたし、ゴッド、アクアとたどって、さらにその後ろで止まる。
「ユール?」
グロウが驚くのも無理はない。ぜんっぜん気づかなかった。あの光は見たのか見てないのか、ていうかいまどこ見てるのか、まったくわからないただ突っ立ってるだけの姿に気が抜けそうになる。
グロウはそこになにを見いだしたのか、すぐに戸惑いを収めて聞く。
「さっきのが見た? 動ける?」
どちらにも大丈夫と答えるかと思った。だけど返事は、
「見た。動ける」
ダメじゃん、とか意味わかんない、とか、言いそうになった言葉はいくつもあった。けどそのうち一つも口にできないまま、
――ばちん、!
と、音がした。弾力のあるものが断ち切られるような、どこか不穏な音。どこからかもわからない、なんの音かもわからない。なにかの魔法かとも思ったけれど、それらしいことが起こったようには見えない。
ユールがやったということだけが確かだった。
誰もがその不可解に気を取られる。ユールはそれを説明もせず、あたしたちの誰かを見ることさえしない。
「ユール、いまのなんだ」
お手上げにしか聞こえないゴッドの問いかけが、いまの場面ではいちばん冷静な対応だった。ユールはそれに一言、
「魔力感覚に切り替えた」
抑揚のない声でそう答える。魔力感覚というのは、五感ではなく魔力で知覚するってことだ。なんで? どうやって? とさらなる疑問が湧いてくるが、グロウはそれで納得したらしい。
「しばらく人形止めて。減らせとは言わん、いまより増えんばあに」
「わかった」
端的な指示に、もっとシンプルに答えて、ユールはすたすたと川沿いを歩いていく。その手に剣はなく、腰に鞘もないが、いまはそちらに気を取られているわけにはいかなかった。
「で、お前の作戦は?」
「言うたろ、分担する。アクアがフィル・ネイチャーの封印解く。ルビィはアクアをそこまで連れて行って、その先の護衛もして。犯人はうちとゴッドで押さえる。ユールは最初ルビィらあ手伝うてもうて、あとからうちらあと合流させる。とにかく魔力で人形退けて、アクアを魔法陣とこへ届けないかん。ほいだら敵の攻撃の方向も定まるきうちらあが対処。かあんね?」
やだとは言わせない口調だった。反対する要素もない。ユールの手を借りるというのがどうすればいいか悩むところだけど、まあやればできるだろう。
「わかった! ユールのとこ行けばいい?」
「気をつけてよ」
「あったり前! ――アクア」
手を引かなくても、名前を呼ぶだけでアクアはしっかり「行こう」と言ってくれる。あたしはそれに無言のうなずきで応じて、十数残る人形たちの方へと踏み出した。
アクアを後ろにつかせて、人形の前線、ユールの隣へと並ぶ。残る人形は十数。それが何十メートルか先の男が本に手をかざすたび、ひとつふたつと増えていく。
あたしたちを囲おうと横に広がる人形を、あたしは剣を払い、その軌道に風を走らせて吹き飛ばす。さっき大群を崩壊させたほどの魔力ではなく、相手もまだ消耗していないため破壊には至らない。
これじゃアクアを背中に庇って進むのは無理だ。さっきみたいな大爆発を起こせばまた目が回ることになるし、一体ずつ崩していってるうちに左右や背後を取られてしまう。
仕方ない。
「ユール! 後ろ任せていい!?」
「わかった」
こちらを一瞥もせず答えられ、本当に? と確認したくなるがいまはそんな余裕はない。どこから出したのか右手に細い剣が見えたので、まあよしとしよう。
「アクアはついてきて。大丈夫、あたしが絶対守るよ」
あたしが先頭に立ったせいで、人形のひとつと正面から向き合うことになる。それに叩き込むための風の音で、アクアの返事は聞こえなかった。
魔力の塊としての風を受けて正面の人形が吹っ飛ぶ。右手にいた人形はそれに動じることなく、手の中に光球をふくらませる。そこへわざと魔力をぶつけてやると、光の球は一瞬で倍ほどに大きくなり、爆発。寸前に壁のように風を立たせて巻き込まれることは防いだ。
再起不能になったのを横目に確認して先へ進む。今度は左寄りから二体が迫ってきて、
「っ」
目のない顔はアクアの方を向いていた。すかさず体をずらしてアクアの前に立ち、慌てたように放たれた小さな光球を二つ、剣の腹で受ける。至近で弾けた光は眩しく、空気中に残る魔力は熱に似た痛みを呼び起こすが、その中へ敢えて突っ込む。
「ルビィ!」
「ついてきて!」
剣で塞がっているため手は引けない。力強く唸る風が声も気配もかき消した。次の光球を用意している人形を、その風で右へと払う。壊せるつもりはない、ただ、どっかへ行ってくれればいいのだ。
学校で切りかかったときと同様に手応えは重い。けれどそれをわかっていたから後押しの用意がある。
「たあーっ!」
注ぐ魔力をぐんと増やすと、人形はもつれ合うようにして倒れた。それを素早く乗り越えたと、思ったときだった。
「あっ」
小さな声がして振り返る。目に映ったのは、転んだアクアとその足首を握る人形の手。さらにその下敷きになった一体が光球を拡大させている。
――アクアを引っ張っても無駄だ、という判断はちゃんとできた。でもつい、最初に人形の指を引き剥がしにかかってしまう。
剣も足下に放り出して数秒、固い指をなんとか引っ張ろうとした。当然そんなことで離れるわけもなく、やっと剣を取り上げてその手を切り落とそうと決断できたときには、光球は十分に魔力を得ていた。
「アクア伏せて!」