=風の精霊ウィンディ=

フィル・ネイチャー 2

 家を囲う庭を過ぎると、最後の魔法陣に到達する。これが一つ目のように壊せないことは二本目の強度から想像できた。そしてあたしの予測が正しければ、二つ目よりも丈夫なはず。
 さっきのように陣から線を伸ばすアクアを、あたしは「待って」と止める。
「なに?」
「さっきより早く書けて簡単な陣ってないの?」
「封印の解除で? あるけど、このレベルのを解くにはそれ相応の……」
「魔法陣だけじゃなかったら? 魔法陣だけじゃなくて、あたしが魔力で内側から壊す力も入れたら、もっと早くできない?」
 しまっていた剣を掲げて立ちふさがる魔力の壁に向ける。その先ではまだじわじわと白い人形が数を増していた。この無茶な数からして、人間界で推測したとおりあれは魔法陣によるものだ。ということは、ひとつひとつに与えられた魔力はたかがしれている。いまくらいの数ならちょうどいい。
 中腰で考え込んでいたアクアが視線を上げた。
「わかった、強度に関わるとこだけ破る。本体はルビィが壊して」
 そう言うと地に伏すようにして草の上に指を滑らせ始める。本体がなにかいまいちわからなかったけど、最初の陣だってそれで壊したんだから問題ない。
 あたしは見えない障壁に剣を押しあて、一切の遠慮なく魔力を流し込んだ。今度は身構えていたから反動に押し負けることもない。剣そのものを押し込むつもりで魔力を流していく。その足下でアクアがざくざくと手を動かし、
「っ、でき、うわあっ!」
 顔を上げた瞬間、封印の陣が弾け飛ぶ。あたしは勢いのままつんのめって、剣を地に突くことでなんとか立ち止まる。
「ルビィ、大丈夫!?」
「ぜんぜんへーき!」
 これで敵への道は開かれた。同時に敵の大群に身一つをさらすことにもなる。
 両手と両膝をついたまま、アクアは立ち上がれないようだった。水色の瞳にはやはり、恐怖がゆらゆら揺れている。その手を取って立たせる。封じ込められた緑の輝きは、もうすぐそこだ。
 背後から大声で名前を呼ばれていたけれど、それには答えず歩き出す。ほんのすこしだけ上り坂だ。その一面に白い人形がうごめいて、手に手に白く発光する球をたくわえている。のぼっていく小川は人形たちにまぎれてほとんど見えない。
 左手の剣を軽く払って真っ直ぐに、前へ、白い人形のどれかじゃなく、それを操る男へ向けて――息を大きく吸い込んだ。
「ウィンディ――!」
 呪文の一部を口にすると、再びアルサの顔が浮かんだ。それも剣を中心に巻き起こる風に圧倒される。風は渦のかたちでぐんぐん速度を上げ、
「い、っけえ!」
 どん、とさらに強い風に押されて撃ち出される。アクアがぎゅっと右腕にしがみつく。草や土を巻き込み、空気を歪ませて、魔力の風が人形の群にぶち当たった。

「あんた話聞きよったがやないが!?」
「聞いた! 決めた!」
 叫んで走り出したルビィを、グロウは追いかけようとはしなかった。ルビィの魔力もアクアの魔法陣も、膨大であること、高度であることはわかるがその程度までは把握しきっていない。本人に勝てる算段があるのなら、それに任せても取り返しがつかないほどにはならないだろう。
 それに白いマネキンの前線は、グロウだけなら容易に追いつける距離だ。
「ったく、どうなってんだよ」
 ゴッドとユールも花畑を越えて来たようだった。ルビィたちが遠いせいで、ゴッドの声には不満が強く滲んでいる。
「フィル・ネイチャーがアクアの育ての親のフィーやったちゅうことやお」
「それはわかる。なんであいつが引っ張ってくんだ? あと、あいつの陣速すぎねーか」
 外面が剥がれると名前も呼ばない。だがグロウにとっては慣れたものだ。前半は疑問ではなく不平だと読みとって、答えることは一方に絞る。
「確かに速いね。やったら使わいてもらおうやか」
 どうやって、とは聞かれなかった。ルビィとアクアは三つ目の陣に取りかかっている。その後ろ姿を見ながら考える。
 ルビィの勢いにつられてはいるが、アクアが本当に前線にい続けられるとは思えない。けれどフィル・ネイチャーの解放に魔法陣の技術は必須だ。人形の波を割ってアクアをフィル・ネイチャーのもとまで届け、封印を解かせる。その間に犯人も捕まえなくてはならない。ユールがどの程度の戦力になるか……。
 横目に見た無表情からは、さすがのグロウもその思惑を読みとれない。そもそも思惑などあるのかも怪しい。ただ、貧弱そうな体格には似つかわしくないほど、冴え冴えと青い瞳の魔力は強くあった。
 最後の壁が砕けた。ゆっくりと数を増しながら、人形たちの目のない視線がルビィたちに向かっている。
「……よし。決まった」
「それ聞くのあとでいいか。あのバカ学校でのこと忘れてやがる」
 グロウの言葉を遮るようにして、ゴッドが何かを察知して走り出す。一瞬遅れてグロウも気づいた。ルビィが風にした魔力を周囲に蓄えている。人形を破壊するつもりだろう。だがその規模は――。
「ユール、あっち見られん!」
 そう叫び、グロウも庭の向こうへと駆けだした。

 剣にまとわせていた魔力が一気に離れ、ふっと体が軽くなる。暴れていた風はすべて人形へと突き進んで、ふらつかなくなったアクアがあたしの手を離した。その時、
「伏せろバカ!」
 ぐい、と後ろからマントを掴まれ引き倒された。体を反転させられ、頬が冷たい草に押しつけられる。反射的に抵抗しようとするが後ろ頭を思い切り掴まれて、
「目えつぶれ見んな!」
 あまりの剣幕にぎゅっと目を閉じた瞬間だった。
 きつく目をつぶり、地面に顔を押しつけられているはずなのに、視界の縁が猛烈な光に白く焼ける。見えない背後から唸り声のような風がとどろいてマントを巻き上げ、ずあっ、とそこら中の草がこすれあって鳴いた。小石や砂粒が飛んできて頬に当たる。思わずよりしっかりと目をつぶろうとするが、暗闇を裂くような光は瞼を越えて目に刺さった。
 何秒たったんだろう。そのうちに隣で人が起き上がる気配がした。同時に背中と頭を押さえていた手も離れる。体を起こして目を開けると、世界中がちかちかして目が回りそうだった。
「なに、いまの」
「白い人形が壊れる時、与えられた魔力がすべて光として発散される。お前、学校で見ただろ」
 ほとんど口走ったかたちの問いに、ゴッドが光の名残を振り払うように頭を振って答える。
「忘れてた」
「だと思った。おい、そっち大丈夫か?」
「うう、はい……」
 ゴッドに声をかけられて、アクアもそうっと身を起こす。あたしとは違い言われたことに素直に従ったようで、顔は汚れていない。だけどやっぱり眩しかったのか何度も目を瞬いていた。

2014/6/19 (修正 2023/3/23)