=風の精霊ウィンディ=

クルスとヒュナ 3

 妙に静かな空気を破ったのは、今日この場をずっと回しているお兄ちゃんだった。
「ルビィとアクアはどうする? このあとどういう予定なんだ?」
「うーんと」
 あたしはここへ帰ってきたことで満足してしまって、その先については考えていなかった。最終的に、そしてできるだけ早く、ネイチャー様の封印を解ければそれでいい。
「おれは、フィーのところへ帰りたくて、でも場所が……」
 違った。それだ。
 アクアの言葉を聞いてはっと思い出す。なんのためにそろってうちへやってきたのか、すっかり忘れてしまっていた。
「そう、お兄ちゃん! アクアが一緒にいたっていう、フィーって女のひと知らない?」
「フィー? 聞いたことないなあ」
「なんかね、魔法陣に詳しくて、花とか野菜とか作ってて、えーと。アクアほかにない?」
「え、えっと」
 うろたえるアクアに、お兄ちゃんが優しく聞く。
「その花や野菜は、市場に出品してたのか?」
「たぶん違います。直接、畑へ取りに来てくれる人がいて」
「そうか……そしたら城下まで来てても生産者の名前は出てなさそうだな。残念だけど、俺には分からないみたいだ」
「そうです、か……」
 見るからに落ち込んだ様子でアクアがうつむく。わからないものは仕方がないけど、これを見せられてるとなんだか可哀想になってくる。
 気づけばあたしは立ち上がって、
「そうだ! アクアのほんとの家行ってみよう!」
 と提案していた。
「ほんとの家……?」
 アクアがほうけたように聞き返す。
「そう。アクアのうちも、ここみたいに精霊が始まったときにもらった土地があるはずなんだよ。そこにある家って、やっぱり自分が生まれた家なんじゃないかなーって。そういうとこ行けばなにか思い出すことあるかも」
 アクアはぴんときていないようで、とりあえずといった風にうなずいているだけだが、お兄ちゃんが「それはいいかもな」と相槌を打った。
「魔界で出歩くってことにも慣れた方がいいだろう。ルビィがいればだいたいのことは安心だし、行ってきたら?」
「じゃあ、そうします。ユールは?」
 二人から言われて決めたアクアは、座っているだけのユールを気遣う。どうしよう。あたしとしては、どう接していいかわかんないから別行動のがありがたいというのが本音だけど。
 その不安はお兄ちゃんが払拭してくれる。
「ユールには、俺からちょっと用事あるから。二人で行っておいで」
 同意も求められなかったユールはそれについても無反応だ。聞いたところで同じことだったようにも思える。
 ともかく、あたしとアクアはアクアの家へ行くことになった。場所はもちろん砂漠の外、足は当然移動陣だ。

 せっかくだから、今度の移動陣はアクアに使わせてみた。
 うちから城地下の移動陣部屋へと戻り、管理人に水の精霊の土地へつながるものを教えてもらう。ふたりで踏んだ魔法陣が魔力を吸うと、一瞬で景色が塗り変わった。方角的にどのへんだろう、とかいうことはわからない。
 そこは森の小道だった。
 空気はみずみずしく澄んで、色濃く茂った葉に日差しが透ける。柔らかい足下に移動陣がちゃんと残っていることが不思議だった。太い木の根っこは陣を避けるようにうねって、背中にびっしり苔を乗せている。うちの砂避け、風避けみたいな効果をつけているのだろうか。
 しっとりとした風が足下から吹く。綺麗なところだ。けれど昼間にしては光が少なく、左右に伸びた道も、木々の間を曲がっていって先が見えない。
「どっち行けばいいのかなあ」
「これ見て」
 きょろきょろするあたしに、アクアがすぐそばにある木の幹を示した。そこには矢印がひとつ、深々と切りつけられている。方向は風上。
 その指示に従って歩くと、カーブの先で視界が開けた。
 空の青、水の青。注ぐ光、反射する光。小さな湖が、森の中に横たわっていた。風が湖面を渡って、草をなぜて、あたしたちまで届く。
「……きれー。きれいだねえ、アクア。……アクア?」
 振り返るとアクアは、湖の向こうを見つめていた。半分くらい湖を回ったあたりに一軒の家がある。古そうで大きな家だ。
「おれ、ここ知らない……」
 アクアが不安そうに呟く。あたしはその手を引いた。
「行ってみよう」
 その家に人の気配がないことはわかっている。大きな窓の奥はどれも暗い。それも絵画みたいで綺麗だけれど、とても寂しくもあった。
 近付いてみるとその感はますます強くなった。外からは壁のあちこちを植物が這い上がろうとしていて、内側からは窓枠に埃がたまっている。ドアノブに手を伸ばすと、ざらりとした感触があった。
「開けるの?」
 アクアはあたしの後ろで渋っていた。手を引っ張られて振り返る。
「なに怖がってるの? 大丈夫だよ、あたしがいるよ」
「でも……やっぱりやめよう。ふたりは怖いよ」
 左右に首を振ってじわりと後ずさり。もう、これ以上は進めないようだった。あたしは無理に踏み込むことはせず、アクアが下がった分の距離を戻る。
「じゃあ、今度みんなで来よう」
 つい口にしたみんなというのが誰のことなのか、自分でもわからなかったけど、アクアは「うん」とすこし軽くなった声で答えた。

2014/5/17 (修正 2023/3/23)