=風の精霊ウィンディ=

クルスとヒュナ 2

 六人分のご飯を、いつものテーブルじゃ狭いからとリビングに用意して、お兄ちゃんはまず自己紹介から始めた。
「クルス・ウィンディ、ルビィの兄です。五つ違いで、けっこう早くから仕事してます。城下にお店出して、繕い物メインに裁縫全般をやってるんだ。そう、あの地区。最近やっとお客さんがついてきたかなあ。まあ、そういうわけで以後よろしく」
 それに応えて、まずアクアを、本人はしどろもどろでほとんどあたしが紹介。グロウとゴッドがそれぞれ自分で話す。二人の自己紹介は驚くほど簡単だった。名前と、精霊ということと、親同士が友人で神魔中からの付き合いです、以上。あまりのシンプルさに、あたしはつい、
「グロウはゴッドと協力して、精霊狩りを探してるんだって」
 と付け足した。そこからちょっと、傷口に風が触れるような神魔の話があって、グロウは結局ざっくりとした生い立ちぐらいは語った。ゴッドはほとんどしゃべらなかったけど、七歳から一緒にいた二人のことだ、一人の話は二人の話でもある。
 お兄ちゃんは精霊狩り探しに役立つことがあれば協力する、と真摯に約束した。
 このあたりでお兄ちゃんは食器を下げ、グロウがそれを手伝う。
「洗いやけしましょうか?」
「いいよ。あとでゆっくりやるのが好きなんだ。それよりお茶でもどうぞ」
 全部お兄ちゃんの作ったペースでお茶の時間になる。ユールのお姉さんに会う話はどこかへ行ってしまったかのようだった。グロウなんかは焦っているんじゃないかと思ったけれど、よそいきの態度なのかそんな様子はうかがえない。
 いままでまったく出なかったユールの話に切り込んだのは、やっぱりというか、お兄ちゃんだった。
「じゃあ次は、いちおうユールからも聞いておこうか。自己紹介」
 妙な言い方だった。名前は最初にあたしが全員分教えたけど、そのほかのこともわかってるみたいな口振りだ。まあ、これだけの時間無言、無表情を貫いているところを見ると、変な奴だということだけは十分に伝わっただろうけど。
 言われたユールは、おじゃましますといただきますとごちそうさまですしか言っていない口を開いて、やたらと抑揚のない、だけど意外に聞きやすい声で名乗る。
「ユール・スノークス。雪の精霊だ」
 おしまい。グロウたちよりさらに短かった。そこへお兄ちゃんが、グロウやゴッドの時は聞かなかった、立ち入った質問をする。
「神魔の間はどうしてた?」
「なにもしていない」
 なんだそれは。緊張でずっと動きの小さかったアクアも、思わずというふうにユールを見る。お兄ちゃんは質問を重ねる。
「じゃあ、神魔の間になにがあった?」
「わからない」
「クルスさん」
 ユールの即答のあとに、ゴッドが待ったをかけるようにくちを挟んだ。お兄ちゃんはまだ続きがあるはずの言葉を待たず、
「知ってるのか」
「いえ。予想だけです」
「そうか。俺も、知ってるのは八割ぐらいかな」
 急激に空気が張りつめる。お兄ちゃんがユールのことを知ってる? ゴッドも、そしてなんてことないような顔をしてるグロウも、なにか感づいているようだし。置いてけぼりのあたしとアクアは、事態が動くのを待つしかない。
 お兄ちゃんは焦らすでもなく種を明かした。
「俺はヒュナ――ユールの姉を知ってるんだ。実はいま付き合ってて。彼女なんだよ」
「えええええええーっ!?」
 気づいたときには立ち上がって叫んでいた。ほとんど空だったコップが倒れて、テーブルがすこし濡れる。グロウがさっとそれを拭き取った。
 あたしはそれにも、ぎょっとしたように見上げてくるアクアにもかまう余裕がなく、テーブルの向かいへ身を乗り出す。
「なんでー!? なんで言ってくれなかったの!? 聞いてないよ! いつの間に!?」
「ルビィ、言葉がめちゃくちゃだぞ。お行儀も悪いから座りなさい」
 お兄ちゃんはそんな注意をしながらも照れくさそうに、この場で一人にこにこしている。あたしは驚くばかりだ。
「ほんとに、どうしたの? どこで? なんで?」
「ルビィが向こうに行ってから、お店にお客さんとして来たときに会ったんだ。綺麗な人でさあ。でもいつも浮かない顔で、あんまり会話も楽しそうじゃなかったんだけど、何度か話してるうちにきょうだいが精霊だって分かって、そしたら信用が増したみたいで」
 馴れ初めなのかノロケなのか、とにかくお兄ちゃんは嬉しそうだ。いつも笑顔のお兄ちゃんだけど、こんなふうにほっぺたを緩めているのはめずらしい。
「女王家とも連絡を絶ってるみたいで、俺がルビィの話したらほっとしてたなあ。心配だったんだろうね。で、まあなんやかんやでお付き合いを……」
 それを聞いたグロウが、ちょいちょいとあたしの袖を引く。
「あんた、人間界行ったがあ四月の頭ばあでね?」
「うん」
「ひと月未満……毎日会えるわけでもないに……話術……信用力? ゴッド、話聞いちょきよ」
「なんでだよ」
 グロウの言葉をなんとも言いがたい表情で拒んだゴッドは、一拍置いてお兄ちゃんに向きなおった。
「ユールについて、俺たちには分からないことがいろいろとあるんです。クルスさんから話してもらえますか?」
 お姉さんに会いにいかずとも、ここで聞いてしまえるならそっちのほうが楽だ。けれどお兄ちゃんは、
「それはごめん、本人に聞いてみないとどこまで言っていいものか分からないから。ヒュナはいまごろ市場だから……そうだなあ、二時間もすれば会えるんじゃないかな。会う?」
 問われたのはユールだった。すぐに出てきたのは意外な答え。
「会わない」
「そうか。じゃあやめておこう」
 お兄ちゃんの返事もまるで断りを予期していたみたいで、変な感じだ。グロウがそちらを見やってつぶやく。
「うちらあは会うて話聞きたいがやけんどなあ」
「ならまずは、ユール抜きで会ってくればいい。俺から話は通しておくよ。場所は、そうだなあ。俺の店、ヒュナが合い鍵を持ってるからそこにしよう。城下は詳しそうだから説明したら分かるよな?」
 通信鏡の隣からメモとペンを持ってきて、さらさらと城下の簡単な地図を書く。その中に店の場所を示し、
「二時間後にここで」
「はい。ありがとうございます」
 グロウは簡潔にお礼を言って受け取った。お店の合い鍵云々とか、あたしには気になるポイントがあるんだけど、お兄ちゃんがあまりにけろっとしているからどうも追求をかけにくい。まあこの家だって近くに人なんていないから、と鍵開けっ放しのことも多いし、気にすることじゃないのかも。
「二時間いうたら暇あるね。それまでフィル・ネイチャーのとこ行ってみるわ。いまどうなっちゅうやらわからんがやお?」
 聞かれてあたしはうなずく。
「ネイチャー様がそこに封印されてて、入れないよう魔法陣がかかってるってだけ。騎士団が動かないからそれ以上は女王家も手を出せてないし、あたしも見に行ったことないなあ」
「わかった。ゴッド」
「はいはい」
 やっぱり二人は一緒に行くこと前提だったようだ。そのまま慌ただしく腰を上げて、
「じゃあ約束に間に合わんかってもいかんし、うちらあはこれで。ごちそうさまでした」
「ネイチャー様の件はユールにも伝えなきゃなんないんで、お姉さんに会ったらまた来ます。おじゃましました」
「どういたしまして。いってらっしゃい」
 ばたばたと二人が出ていって、
「おい、この荷物どーすんだ?」
「家置きにく? 取りに行きたいもんあるし」
 などという声が遠ざかり、ドアの閉まる音を最後に消える。
 あとに残されたのは、だんまりのユールと、微笑むお兄ちゃんと、こちらもだんまりのアクアと、あたし。アサナギとユウナギはご飯を食べないから、家の中のどっか別の場所にいる。ううん、なんだこれは。

2014/4/17 (修正 2023/3/22)