重厚な扉がぴたりと閉じて、だだっ広い廊下と応接室は完全に遮断された。それを確かめるや否や、グロウが扉に向かって言う。
「事件解決が最優先やないがかえ!」
音量は絞られているが、口調は荒い。グロウの焦りも女王様の心配も、あたしにはどちらも半分ずつ共感できる。そのせいでどうにもくちを挟みがたくて黙っていると、アクアがまったく別の方向から異論を唱えた。
「でも、わからないことだらけのままも可哀想だし……聞きに行ってみない?」
相変わらずなんの反応もなくそこにいるだけのユールを見やる。この様子から可哀想という気持ちは、あたしには浮かばなかったものだ。面倒見の良いグロウはその様になにか思うところあったようで、すこし勢いがしぼむ。
そこへゴッドが、
「ま、実際問題、なんも知らないで一緒に行動すんのは俺らにとってもリスクだしな。すぐ分かりそうならさっさと突き止めた方が、あとあと困らなくて済むんじゃねえの」
と事実の面からもう一押しを加えた。グロウはまだ不服の色を消しきったわけではなかったけれど、
「アクアが言うやったら、そうしょう」
と女王様の頼みを受け入れた。
その我慢をわかっているんだかいないんだか、アクアは「よかった」と素直に笑って歩き出す。
どこへ行くにしても、まずは移動陣部屋に戻らなきゃならない。魔界での交通手段というと、だいたいあれか、そうじゃなきゃ徒歩だ。
陣がある地下までを、あたしたちは歩く。今度は案内はいない。
「そういえば、ネイチャー様ってどこに封印されてるの? そっちは探さなくてもいいの?」
隣を行くアクアがふとそんなことを尋ねた。
「言ってなかったっけ。北の谷だよ。そこに家建てて一人暮らししてたらしいよ。場所はわかるけど魔法陣で入れなくなってるから、一回様子見に行ってー、作戦立てて魔法陣解除の準備してー、ってしなきゃ」
「大変だなあ」
「魔法陣解くときはアクア、出番かもよ」
「う……」
軽口のつもりだったのに、アクアは深刻そうに下を向いてしまった。ゴッドが前から、そんなかげりを払拭するように言う。
「お前らこれからどうする? ユールの姉さんとこ、全員で行くこともねえと思うんだけど」
「ゴッドはどうすんの?」
なんとなく、グロウと一緒かなと思いつつ聞くと、案の定答えたのはグロウだった。
「うちらあはユールのお姉さんに会わないかんけんど、家におるがやろうか。一人で暮らしゆうやったらいまの時間仕事やろうし」
「夜まで待つか。その間にフィル・ネイチャーのほう見に行って。ユール、先に家帰っとくか?」
ゴッドに問われ、無言だったユールがやっと言葉を発する。はっきり、簡潔に、
「帰らない」
……なんで? とあたしの頭には疑問符が渦を巻いた。けれどゴッドはなにも動じず、そうかと相槌を打ってあたしとアクアに質問の先を向ける。
「で、そっちは?」
行きたいとこねーなら一緒でいいけど、と付け加えてくれるが、あたしの答えは決まっていた。
「あたしは家帰るよ。お兄ちゃん待ってるし」
反対にアクアは迷っているようだ。
「おれは……フィーに会いたいけど、場所がわからなくて」
「ずっと同じ場所にいたんじゃ、行き方も分かんねえか」
「でもフィーって人、けっこう変わった暮らしだよね。案外知ってるひとは知ってるかもよ。うちのお兄ちゃん、噂話には強いから一緒に来る?」
「いいの?」
まだフィーを見つけたわけでもないのに、アクアはほっとした顔になる。なぜかグロウまで、
「それやったらうちらあも会いに行っちょこうかな」
と声を明るくしていた。
そこへ――
ごーん、ごーん、ごーん、と遠く高く、鐘の音が響く。なんの音だろう、と思っていると、ゴッドが答えをくれた。
「秘塔の鐘だな。昼休み終わりの合図だ」
「昼休み……そういえばお昼ご飯食べてないね」
くちに出してみると急におなかがすいた気がした。そして、ぱっと名案が浮かぶ。
「そうだ! みんな、うちにおいでよ。お兄ちゃんにご飯作ってもらおう!」
それは悪いって。まあまあまあ、いいでしょー。と、ありきたりなやりとりの末に、あたしたちは五人揃ってあたしの家へと向かうことになった。
移動陣部屋の管理人室で通信鏡を借りて、家へつなぐ。それこそ仕事中の可能性もあったけど、幸いクルス兄ちゃんは家にいた。
再会――といっても鏡越しだけど――を喜ぶのもそこそこに用件を伝えて、お兄ちゃんの快諾を得、名残惜しく通信を切る。
「よし、じゃあ、いざ!」
飛び込んだ移動陣に魔力を流し、瞬きひとつのうちに到着した先は――
「砂漠だ……」
雲ひとつない空からさんさんと日差しが降り注ぎ、その光のなかに、強い風が白けた砂を巻き上げていく。なだらかに波打つ地平線は、一面の乾いた砂だった。
遙か昔に最初の風の精霊が女王家にもらった、広大な土地。そのすべては不毛の砂漠で、ようするにいらない場所だったわけだ。あたしの家はその、真ん中であり端っこでもある場所に立っている。
東西に広がる砂漠の、ちょうど真ん中辺り、だけど家の北側には崖がそびえ、その上はもううちの所有ではない。あたしたちが移動してきた陣は、その家から南へ数メートルに位置していた。この陣を起点に、家全体に風と砂避けの魔法がかかっている。
家はちんまりとした平屋、足元が砂だからすこし高いところに玄関があって、三段だけの階段が出っ張っている。開けないことを前提に作られた窓から、お兄ちゃんお手製のカーテンとキッチンの片隅が見えた。
家族と手料理の気配に胸を高鳴らせ、あたしは古びた木のドアを三度叩く。返事は待たずに引き開けて、
「ただいま! おにいちゃ……ん?」
広げた両腕に応じたのはエプロン姿のクルス兄ちゃん、ではなく、
「ルビィおかえりー」
「おかえりー」
肩ほどの背丈の子供二人。それが間延びした声で迎えつつ、あたしの両手を取る。瞬間、指先だけの触れ合いで力移しが起きた。その一秒であたしの内側を覗いたのだろう、二人は紫と青の目をくるりと上向けて、
「おつかれさまー」
「ルビィおつかれさまー」
と笑った。
「えへへ、ありがと。ただいま、アサナギ、ユウナギ」
……この一連のやり取りを、後ろの三人が不思議そうに見ていた。ユールも見てたけど、不思議そうかどうかはわからない。いちばん近くにいたグロウが、三人の疑問を代表するように耳打ちする。
「誰で?」
「言ってなかったっけ」
「聞いちゃあせん」
「あれ? じゃあアクアに言ったんだ」
振り返ると、アクアはしばし黙ってみんなの視線を受け、ややあって「あ」と声を上げた。
「ルサ・イルに頼まれて、探してたっていう?」
「そう!」
言ってあたしは、アサナギとユウナギの後ろに回る。
二人は判子で押したようにそっくり同じ顔、同じ身長をしている。瞳が紫の方がアサナギで、青い方がユウナギだ。体格的に八歳くらいだろうか。でも顔や態度はもっと幼い気がする。なんにしろ、本当の年齢はわからない。性別もわからない。ていうか、どうも性別はないらしい。見た目では、アサナギの方がちょーっと女の子っぽくて、ユウナギの方がなんとなーく男の子みたいにも思えるけど。
何か月か前に増えたばかりの、家族というのはなんか違うから、あたしの友達だ。
というような紹介をすると、アクアは興味深そうに、ユールはまったく反応なく聞いていたが、グロウとゴッドはぎょっとしたように顔を見合わせた。
「年齢がわからん? 性別がない? どういうことで?」
「だってそうなんだもん。ていうか、触ったらわかるけど体のほとんど魔力みたいなんだよね。ご飯も食べないし、訳もなくあたしの言うこと全部聞くし、生き物じゃないのかも」
「ルサ・イルの作品……か?」
「うん。その可能性もあるかもと思って、ここにいてもらってる」
二人はまだなにか聞きたそうにしていたけれど、ふとその表情をしまって家の奥を見た。あたしもつられて振り返り、そこに立つ人を見た。
「いつまで玄関にいるんだ? 上がっておいで」
紺のエプロンが似合う穏やかな笑み。瞳の赤茶はあたしより魔力が弱いことを示しているけれど、その包容力は桁違いだ。あったかくて、優しくて、いつでも帰りを待っていてくれる。
その胸に、あたしはジャンプで抱きついた。
「ただいま! クルス兄ちゃん!」
「おかえりルビィ、よくがんばったな。――それからみんなも、おつかれさま、いらっしゃい。ご飯できてるからどうぞ入って。ルビィ降りないの?」
「えー、だっこー」
「ははっ、仕方ないなあ」
お兄ちゃんはあたしを抱えなおして歩き出す。ついてくるアサナギとユウナギの後ろから、
「末っ子や」
「末っ子だな」
という声が、聞こえたような聞こえなかったような。