=風の精霊ウィンディ=

ユール 2

 教室は中二の階がめちゃくちゃになっていたという話で持ちきりだった。警察が来たとか来ないとか、犯人を見たとか見ないとか、辻褄の合わない勝手な噂がいくつも飛び交った。その勢いはすさまじく、あたしと河音は自分たちが関わったとばれてはいないか、かなり心配したけれど、楓生が自信満々に大丈夫と言い切るのでそれを信じることにした。
 そんなこんなで雪の精霊探しについては頭から吹っ飛び、一日を終えて、下校後。
「冬山柊がユール・スノークスだ。間違いない」
 遅めに帰ってきたゴッドは、リビングの扉を開けるなりとんでもない報告をした。
 もはや江藤姉妹に疑われることもなく一緒に帰ってきたあたしとグロウは、アクアが女王家の用意した陣を書き換えるのを見守っているところだった。
「もう見つかったの!?」
 あたしは思わず椅子の上で膝立ちになり、アクアが手を止めて顔を上げる。
 良かったとか、結局手伝いはできなくて残念とか、冬山柊って誰だっけとか、いろんな気持ちが胸の内を駆けめぐる。そうだ、椎羅の言ってた三年生だ。
 グロウは冷静に、
「根拠は?」
 と問う。
「目だ。封印がだいぶ弱ってるみたいで、魔力の色がちらちらしてる」
 言いながら、ゴッドは自分の目元を指さす。強いオレンジの光がそこにはある。
 精霊は魔力が強いから、目の色にそれが表れる。魔力を封じられていれば色素による色が見え、こんな鮮やかな色にはならない。
 だけど、
「なんで? あたしたちも冬山柊は見たけど、そんなのわかんなかったよ」
「普通はぱっと見じゃわかんねえよ。俺は『精霊だってことを隠す魔法』に慣れてるからな」
「どういうこと?」
「おつかいに必要で」
 いたずらっぽく笑うゴッドを、グロウが「そのへんにしちょき」と妙な言い方で諫めた。
「はいはい。とにかく、雪の精霊は特定できた。あとはどうやって封印を解いて、敵に引っかからず魔界に帰るかだ」
「そんなの簡単でしょ。今日だって精霊ってわかったんなら、その場で封印解いちゃえばよかったのに」
 思ったことをそのまま口に出すと、グロウが盛大にため息をついた。
「あんたねえ。そんなことしたら敵がどう動くやらわからんろ。昨日の襲撃はどうにかできたけんど、あれがどこまで本気かもわからんがで?」
「こっちも本気でがんばれば勝てると思うんだけど」
「よいよ楽観的やねあんたは……」
 グロウは頭痛でもするみたいに額を押さえる。
「あたしなんか変なこと言った? ねえアクア」
「え、えーと」
「アクア、かまわんでえいき」
 あたしの疑問はグロウに流され、ゴッドが、
「そういや今日も邪魔しにくるかと思ってたけど、なんも仕掛けてこなかったな」
 と話を続ける。アクアがそれに「今日もって、どうして?」と首を傾げた。
 ゴッドは荷物を下ろしてあたしたちの向かいに座る。
「どうしてったって、こっちはもう四人もそろってんだぜ。相手としては足止めのためならなりふり構ってられないとこまできてるだろ。ま、四人もそろってる時点で敵の計画は崩壊したと見ていいだろうけど」
 現状についてはつい昨日知ったばかりのはずなのに、あたしなんかよりずっと物事がよく見えてる言い方だった。そんなこと考えてもみなかった、と言ったらまたグロウを呆れさせそうだ。
 だから代わりに、別の感想をくちにする。
「にしても、敵の計画って精霊の魔力も記憶も封じ込めて、人間界に飛ばして紛れ込ませて、最初にやったことってすごいじゃん。なのにいまじゃ、一度は封印してた精霊を四人も野放しにして、強いんだか弱いんだかわかんないよね」
「そうでね。最初から計画に不備があったか、途中で予想外の問題が起きたか……集団でやりよって内輪揉めになった可能性もあるろう」
 腕組みでいくつか仮説を並べて、グロウは振り切るように顔を上げた。
「とにかく、相手の思い通りにいきやあせん、いまがチャンスにかあらん。さっさと終わらいて帰るが一番よ」
 眼鏡の奥、黄色く魔力を映す瞳がアクアの手元を見る。あたしとゴッドもそちらに目をやる。
「え? ……これ?」
 アクアは紙の上から手をどけて、あたしたちと同じもの――ほとんど書き換えの済んだ、きっと五人目の精霊の、封印を解いてくれる陣を見た。細く真っ黒な線は白い紙の上に映えて、どことなく学校で見た細い背中を思い出させた。

 次の日の朝は、昨日と同じに四人で学校へ向かった。ただ、時間がかなり違う。昨日の時間だとホームルーム五分前に教室に着くけれど、今日はその一時間も前だ。通学路にも、玄関前にも、生徒の姿はほとんどない。校庭ではどこかの部が朝練をしてたけど、知ってるひとはいない。
 そして、昇降口からはあたし一人だ。
「苑美、ボロ出さんとってよ」
 楓生がそう言って高校棟へ消え、
「おれもがんばるから」
「じゃ、またあとで」
 河音と熱斗は校舎裏へと回る。
「ん、よし」
 一人になって、あたしは敵の本拠地へ乗り込むような意気込みで中一の下駄箱へ向かった。……本当は、あたしだけが日常の学校へ向かうのだけど。

 授業はいつも通り退屈だった。この先のことを思うと緊張するのに、先生の話を聞いているとそれがどんどん緩んでいく。気づけば机に突っ伏していて、
「こら天花!」
 と名指しの注意を何度もくらった。
 おかしい。寝てる頻度は毎日変わらないのに、どうして今日に限って注意されるんだろう。
 休み時間、そう悩んでいると、見覚えのある男子が机の前までやってきた。
「天花、ちょっといいか?」
「えっと」
 誰だっけ。河音の友達なのは覚えてる。明るい顔立ちで、性格もそのまんまなんだろうなという印象の男子だ。声も態度も朗らかで、クラスの中心グループに向いてそうなのに、なぜか河音みたいな地味っ子とつるんでいる。確か出席番号がとても遅かった。
「……よ、なんとかだよね」
「依川だよ!」
 素早くつっこまれた。素直に謝ると、依川は前の椅子を引いて後ろ向きに座りながら、
「いいって。それより早瀬は? 今日休み?」
 と聞いてくる。困る質問だ。本当のことを言うわけにもいかず、質問に質問で返す。
「なんであたしに聞くの?」
 我ながらうまい返しだと思う。あたしは河音と席が隣なだけで、欠席の理由なんて知るはずもないのだ。
 しかし依川はあっさりと答える。
「江藤に聞いたんだ。家、超近いんだろ」
「うぐっ」
 いつ聞いた!? と思ったけど言えない。言葉に詰まるあたしに、依川はなにを察したのか、
「ま、そんだけで休んでる理由とか知ってるわけじゃないか。どうせ風邪かなんかだよな」
 と勝手に結論を出し、
「じゃあ天花、ありがとな」
「はあ……」
 なーんにも感謝されるようなことしてないのに、お礼を言われてしまった。ちょっと複雑。だけど、
「河音、良い友達いるんだなあ」
 そう思うと、すこしはいい気分にならなくも、ない。

2014/1/16 (修正 2023/3/9)