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雪の精霊は、明日から学校で、ゴッドが足で探すことになった。ルビィとアクアは自分たちもなにかすると申し出たが、中学校の規模なんてたかが知れている、とゴッドはそれを断った。まとわってくる子供をあしらうようなやり取りを、グロウはちょっと離れて眺めていた。
ゴッドの部屋は、二階にふたつ残された空き部屋の、奥のほうに決まった。グロウの向かいだ。夜中、グロウはそのドアの前に立っていた。
ノックもせずにドアを開け、許可も求めず部屋に入る。椅子と机すらない、急遽用意されたことが丸わかりの部屋で、ゴッドはベッドの上に胡坐をかいていた。突然入ってきたグロウになにを言うこともない。これは、いままでどおりだ。いつもの通り。
「ご苦労様。さすがやね」
さっきまでなにか話していて、その続きを切り出すかのように、グロウは言葉数少なく言った。ゴッドはそれを正確に理解して返す。
「レンさん直伝ですから」
いたずらっぽく笑って父の名を出すゴッドに、グロウはルサ・イルの話をするルビィや、フィーのことを思い出すアクアを髣髴と見る。憧憬、信頼、いろいろな、一言では表しきれない好意。
しかしそれを見事に仕舞いこむところが、ゴッドとあの二人との違いだった。
ゴッドはまだ、二人のことを味方とは認めていない。現在協力すべき相手であるとは認識しているだろうが、それはゴッドの『味方』の枠とは違う。
初めて会った頃からそうだった。ゴッドは好意の対象を感情で選ばない。彼の世界は味方と他人に分かれている。味方の枠を外れた人間、ゴッドの言う『他人』に対して、彼は徹底的に冷たく、ともすれば敵意すら向ける。
封印を解かれてから見せた態度は、すべてそれを覆い隠す外面だ。人形による襲撃の直前に見せた反応こそが、ゴッドの本心を表している。
ゴッドにとってそのひとが味方か他人か、グロウは見ていれば分かる。だがその厳しい線引きの基準は、まだ掴めていなかった。
「じゃ、まず例の噂についてだけど――」
言葉の切れ目が沈黙になりかける瞬間を狙って、ゴッドが本題を切り出した。再会、ふたりきり、夜の沈黙。グロウが忌避する気まずさを、ゴッドは的確に消してくれた。あまりの都合のよさ――都合がよすぎて不愉快だ。未知の世界で未熟な精霊と過ごしてきた疲れと気の緩みが、グロウの内心を表情へと映し出す。
ゴッドが読み取らないはずがない。わざと見過ごすには露骨すぎた。
「……なんだよ、聞きにきたんじゃねーの」
「そうやけど」
あっそ、と努めて軽い相槌ですべては流された。本業に平行して行っている精霊狩り探しの、成果がなかったという報告を聞かされながら、グロウは静かに後悔する。
あんな顔をしたら、取り繕う機会をくれるのは目に見えていた。くちを閉ざしたら、沈黙にならないうちに二言目を継いでくれるのは分かっていた。
ゴッドは淡々とグロウの求めに応じる。言葉にしなくても、意図して訴えなくても。
昼間だってそうだ。あとひとり精霊を見つけて魔界に帰らなければならない。そのためにグロウはルビィやアクアと協力関係を築いておきたい。その邪魔にならないよう、また助力となるよう、ゴッドは本心を隠して人当りよく振る舞っていたのだ。
けれどグロウは、なによりそれが気に入らない。
うちに都合がえいことやったら、あんたはなんでもするがかえ。いっぺん、嫌なもんは嫌やと言うてみい。
肝心な期待には、気付かないふりをしているくせに。
いつからか抱くようになった不満は、しかしその都合の良さを利用しているグロウの主張できたものではなく、ただ胸の内で燻るばかりだった。
報告自体は完璧だった。記憶を封じられる直前のことだというのに、ゴッドはやりかけていた仕事の経過を詳細に覚えていた。成果はなくとも、方針としては間違っていないことが確認できた。だが、この数週間のブランクは痛手である。帰ったらまたやり直し。
精霊狩りに関する情報は慎重に扱う必要がある。まだ程度は測れないが、ルビィも母親を奪った人物には思うところがあるだろう。親を知らないアクアにとっては、精霊狩りがどんな意味を持つか、未知数だ。
「どうする?」
判断はグロウに委ねられた。そんな言葉で念を押さなくても、もともとグロウが決めるしかないことだが、頼られているという実感はそれだけでグロウを喜ばせる。こういう瞬間が好きだから、グロウの指示になんでも従うゴッドに、グロウは絶対文句を言えない。
「伏せちょこう。仕事のことも、できるだけ言わんとって。なおかつあのふたりと上手うやってよ」
「分かった」
あらかじめそう決めていたかのように、ゴッドは抽象的な要望を一言でのんだ。我の強そうな顔立ちに反して、こういうときゴッドは無用な意見はしない。きっとそれも父の教育によるものだろう。だが、全幅を任されているような感覚に、グロウはひそかに満たされる。
「なあ、あいつらのこと、他にどれくらい知ってる?」
これまでのやり方を踏襲するため、ゴッドは当然のようにグロウに事前知識を求める。けれどグロウは、いつものようには伝えなかった。
「知っちゅうけど、それは本人から聞き」
「なんで? 心配しなくても、知らないふりならちゃんとやるって。さっきだってうまくできてただろ?」
ゴッドは不満そうだ。言葉も声も、らしくなく幼い。それはたぶん、グロウが情報提供を拒む理由が大した理屈もなくて子供っぽいものだと、ばれているからだった。
なんとなく、本当に説明しようもなく、あの二人とはただの利害だけの関係で終わりたくなかった。だがそんなあやふやなものでゴッドを説得しきれないことは分かっている。グロウはごまかすように、そう思われることも承知の上で、微妙に話題を本筋からそらす。
「確かに、ルビィがルサ・イルの名前出したとき、ようこそ反応せんかったね」
万術師ルサ・イル。誰もが知っていて、そしてほとんどの人が接点を持つことのない存在。半ば伝説にも近いその名を、ルビィが友達のような気軽さで口にしたときは、グロウでさえ戸惑った。だがゴッドは平然と、
「だってあそこで素直に驚いてたら、どうしてもちょっと部外者っぽくなるだろ。せっかくお前の知り合いって有利な状況があんのに、そうなったらもったいない」
「それは分かっちゅうけど、普段はそういうとこ見れんき、上手いもんやなあと思うて」
「どうも。しかしまあ、ルサ・イルねえ。ルサ・イルって、神魔の中で死んだって噂だよな。あいつの周りも探ってみる価値あるかもな」
グロウが言わないことは、一応認められたようだった。ゴッドがルビィたちと話していた内容については、すでに全部伝えてもらっている。用件はもうなかった。
「無事帰ったら次はそっち方面も探いてみろうか。準備ばあしちょくわ。――」
「そういやさあ」
おやすみ、と切ってしまおうとした会話を、ゴッドがつないだ。振り返ると、目が合う。まっすぐグロウの目を見るオレンジ色の瞳には、確かな目的があった。
「ルビィとアクアに聞かれたんだよ。神魔の間グロウと一緒だったんだって? って。ルビィなんて、どういう関係なの? だってさ。意味分かってて言ってんの、って感じだよな」
軽口みたいな言葉を使うくせに、声も表情も笑うことはなく、まっすぐ。再会という絶好のタイミングを、ゴッドは逃さなかった。
「なあ。どういう関係ってことにしたい?」
その問い方はずるい。ほんとうのことなど言えるわけがない。だって、グロウの望みとゴッドの願いは食い違っている。そんな分かり切った、けれど一度も明言されたことのない事実を、こんなふうに確認することには耐えられない。だからグロウも、負けないくらい卑怯に聞き返す。
「あんたは、どう返事しちゅうが?」
「『ただの上司と部下だけど』」
ゴッドの返事は、ずるくて、でもその範囲では真っ向勝負だった。それが悔しくて、グロウは精いっぱいの意地で答える。
「じゃあ、そういうことにしちょって。おやすみ」
グロウにできるのは、こうして断ち切ることだけだった。おやすみと返したゴッドの声は、そんな切り方に何も傷ついてなんかいなかった。
◇
一階に降りると、電気はすべて消えていた。アクアは階段の明かりの切れ端を頼りにリビングのドアを開けて、暗さに目を慣らしながらテレビの前のテーブルまで歩く。
「あったあ」
目的の、国語のノートは思ったとおりの場所にあった。布団に入ってから置き忘れたことを思い出し、それから三十分ほど続いていた不安がふっと解ける。これで明日の忘れ物の心配はなくなった。
明るい階段へと戻り、最後の段で電気を消す。下が暗かったということは、グロウもゴッドももう寝たのだろうと思い、足音を立てないよう気を付けた。
「あれ?」
廊下にはグロウがいた。自室の前に、顔をうつむけて立っている。
「グロウ?」
声をかけるのとほぼ同時に、グロウが顔を上げる。
「まだ起きちょったが?」
「下にノート置き忘れてたの思い出して。朝取ろうと思ってたら忘れそうだったから」
グロウはどうしたんだろう、と思ったけれど、アクアは聞かなかった。代わりに、言おうと思っていたことを、グロウの顔を見て思いだした。
「会えて、よかったね」
グロウが驚いたみたいにちょっと目を見開く。まずいこと言ったかな、と不安になったのは一瞬、グロウは照れたように笑って、
「うん」
と答えた。それが自分のことのように嬉しくて、アクアは心からの笑みで返す。
「ゴッドも、グロウが無事で安心したって言ってた」
「……そう。もう寝えよ。おやすみ」
「うん」
グロウはすぐに部屋に入ってしまって、暗い廊下でその表情はほとんどうかがえなかった。笑ってたらいいな、と思った。