大慌てで荷物を回収し、早足の帰路のあと。家に着くなり、グロウはさっさとキッチンへ入ってしまった。あたしとアクアはソファに鞄を置いて、静かにアイコンタクトを取る。帰り道、あたしたちのすこし後ろを歩くグロウとゴッドは、驚いたことにずーっと無言だった。たしかに外では迂闊な話はできないけど、それにしたってだんまりすぎだ。帰って来てもこんな感じだし。
ゴッドはリビングの中ほどで立ち止まっている。二階の空き部屋を案内するべきか迷っていると、グロウから、
「ルビィ、アクア、弁当出し」
とお呼びがかかった。あたしとアクアはこれ幸いと、お弁当箱を手にキッチンカウンターへ向かう。水を出される前に、あたしはひそひそ声でグロウに詰め寄った。
「ねえねえねえ、なんでグロウそんなに冷たいの?」
「は?」
グロウは、心底わけがわからない、という顔をした。
「だって会いたかったんでしょ? アクアにはそう言ったんだよね」
「グロウがはっきり言ったわけじゃないけど……」
アクアが目に見えて困惑する。あたしと同じこと聞きにきたんじゃなかったのか。じゃあどういうつもりだったのかというと、
「おれは、その、知らないひととどう話したらいいかわかんないから、グロウにいてほしいなって」
「そんなこと? ていうか、あたしもグロウも知らないひとじゃん」
「えっ」
「やめやめ。そのへんにしちょき」
グロウがあたしたちの手からお弁当箱を取り上げ、蛇口を開いた。ざー、と音をたてて洗い桶に水がぶつかる。
「ゴッドに聞いちょきたいことあるがやお。聞いてきや。ルビィは初対面でも全然平気やろ」
「それはそうだけど」
魔法を解く前後の記憶があること、黒いマネキンをどう倒したか、という聞かなきゃいけないことに始まり、神魔の間はどうしてたか、グロウとはどういう関係なのか、という聞いてみたいこともある。
「グロウは聞かなくていいの?」
もう一度アクアがたずねても、グロウはかたくなにキッチンを離れなかった。
リビングに戻ると、ゴッドはあたしたちと同じようにソファに鞄を置いて、その隣になにをするでもなく腰かけていた。アクアが半分ほど埋まったソファの反対側に座り、あたしは二人と向き合うように、カーペットに直接腰を下ろす。
なにから話したものか。斜めから見上げたオレンジの目は、教室で物騒に眇められていたのがうそみたいにくるくると、平和にまたたきながら部屋を見回している。背が高い人は、こういう低い椅子に座ると膝が余るみたいだった。
アクアが、あたしより近くに座ったくせに「どうしよう」とでも言いたげな視線を送ってきた。とりあえず、アクアのときと同じ失敗はしないようにしよう、と思う。
「グロウに聞いたかもだけど、あたし、ルビィ・ウィンディ。風の精霊で、人間界では天花苑美ってことになってる。さっきは助けてくれてありがと」
ちゃんと名前を名乗ったし、言いそびれたお礼まで伝えた。完璧な対応に、ゴッドはふっと表情をやわらげて、
「どういたしまして。グロウに聞いてるだろうけど、ゴッド・ファイアルだ。ルビィと、アクアだな」
「えっ、あ、はい」
先を越されてしまってアクアが急に背筋を伸ばす。
「いいって。だいたいのことは分かってる。そっちはなにが聞きたい?」
ゴッドは膝に肘をついて身を乗り出し、あたしとアクアをいっぺんに覗き込んだ。
「じゃあまず、だいたいのことって?」
「だいたいの現状だよ。ここは人間界で、俺たちは、ルビィ以外誰かに魔力と記憶を封じられてこの世界に追いやられた。ルビィはその魔法を解くために女王家と協力してここへ来た。グロウとアクアを助けて、三番目が俺だった。あってる?」
「あってる。でもなんで知ってるの? グロウに聞いたの? いつの間に?」
グロウは敵に襲われながらゴッドの魔法を解いて、いまの状況まで語って聞かせたのだろうか。グロウがどれぐらい強いのかはわからないけど、さすがにそれはありえないでしょ。
ゴッドはその疑問に、口元に指を立てて答えた。
「教えてもらったんだよ、力移しで」
なぜかアクアがぎょっとしたようにその仕草を見る。あたしには納得のいく種明かしだった。
魔法陣を使わない魔法だから、慣れや向き不向きがひどく影響するけど、うまくいけば情報伝達にはいちばん効率のいい方法だ。頭のなかをそのまま見たり見せたりできる、という言い方をよくする。あたしはほとんど使わないし、アクアに使ってみたけど失敗だったから、あんまりわかんないけど。
「なら、あたしたちから説明しなきゃいけないことはほんとにないんだね」
「いまのとこな。知らない話が出てきたらそのときに……そうだ、白い人形は壊したんだよな?」
聞きたいことが早々に出てきた。散り際の爆発以外、グロウとゴッドは知らないだろう。逆にあたしとアクアは、黒い人形がどうなったのか知らない。
アクアがたずねた。
「黒い方はやっつけられなかったの?」
ゴッドはそれに、ちょっと眉を下げて答えた。
「残念ながら。何度やっても攻撃が入らなくて、無傷で逃がした。あれの役目はせいぜい足留めだったんだろうな。そっちの白い方がやられそうだなってタイミングでいなくなった。あれ、どうやったら倒せたんだ?」
アクアがあたしを見る。ゴッドの視線もそれを追いかける。説明するの、あたし?
「うーんと、最初はこっちも攻撃が効く感じはなかったよ。アクアが書いてあった魔法陣で、向こうが投げてくる魔力の塊を何度も防いでたら、どんどん威力がなくなってって。そのあとまた斬りかかったらスッパリいけちゃった。たぶん、最初の強度も魔力で保ってたんだと思う」
「威力が落ちる、か。そんな様子はなかったな。色が違ったのは何かしら意味があるってことか?」
目を伏せて考え込むような仕草、はすぐに仕舞い込まれた。
「そういやさ」
とゴッドがアクアの顔を覗き込む。
「その魔法陣ってどんなの?」
「あっ、これ」
アクアが制服のポケットから、数学の問題が印刷された紙を二枚、引っ張り出す。広げたそれを、あたしとゴッドが左右から覗く。
「見たことない陣だな。フィーってひとに習ったのか?」
「ん、はい」
フィーの名前が出ただけで、途端に声が嬉しそうになる。ていうか、それも力移しで知ったことに含まれてるのか。