お風呂に入ってまず、グロウは大きなため息をついた。
「ルビィは、精霊が絡まんことは駄目ながやね」
「なにが?」
広い浴槽に三角座りで並んで、二人して脱力する。視界はどこも白っぽい。白い浴室に白い湯気が満ちて、まだ濡れていない髪にまでまとわる。
「だってそうやん。神魔の間ずっと家族と離ればなれで、やっとお兄さんとこへ戻れたかと思うたらひとりで人間界へ来ることになって。ようやるわ。そのくせお風呂苦手らあて、おかしいというか可愛らしいというか」
ぴっ、とお湯を散らされた。逃げ場がないから目をつぶって我慢する。
「だってちゃんとお湯ためたお風呂のときは、いつも誰かと入ってたもん。アルサとかクルス兄ちゃんとか」
お湯のかかったほっぺたを手で拭う。グロウはそれを聞いて、なぜか呆れた。
「あんたルサ・イルとも一緒に風呂入りよったが?」
「うん。魔界って泊まるとこそんなにないじゃん。だいたいひとんちのお風呂借りるから、早く済ませるようにって。それに、アルサは魔法陣が書けるだけで弱っちいんだよ。あたしがついてなきゃ、アルサになにかあったらたいへんでしょ」
「そんなもんかねえ」
まだ納得がいかないみたいに、グロウは膝に顎を乗せる。ふたり浸かっているせいで、お湯は口元まで迫っている。
あたしはそうならないように、浴槽の縁にべったりもたれた。体が浸かるほどの水はあんまり得意じゃない。泳げないわけじゃないけど、好きじゃないのだ。それをじっと見ていたグロウが、ふと顔を上げ、
「うちは単にルビィが――」
と、言いかけたときだった。
「っうわああ!」
外から悲鳴。アクアの声だ。
そうと分かったときにはもう、しぶきを撥ね上げて立ち上がっていた。
「アクア大丈夫!?」
浴槽を飛び出してドアを開け、床が濡れるのにもかまわず走り出す。後ろからグロウがなにか言っていたけど、あたしにはちゃんと聞き取れなかった。
◇
「あんたっ、タオル! タオル!」
グロウが浴室から顔を出したとき、すでにルビィの姿はなく、開け放たれた脱衣所のドアの先で廊下がびしょ濡れになっていた。
「どうするがよ……うちも裸やき止めにも行けんやん……」
言いつつもバスタオルを掴むグロウの耳に、
「ルビィ!? ちょ、え、なんで……っ!」
と二度目の悲鳴が聞こえてきた。
◇
「あ、グロウ! これ見てよ」
「ばかっ! あんたは……っ、もー廊下びしょびしょやん!」
一分と経たずに追いついてきたグロウは寝間着姿で、真っ先にあたしにバスタオルを投げつけた。
「ごめん。でも、これがだいぶ吸ってたんじゃない?」
精霊服のマントの裾を持ち上げる。廊下で濡れたまま呼び出したから、精霊服は水を吸って体に貼りついている。マントは床に撥ねた水滴を拭き取ってしまったみたいで、裾が重く濡れていた。
「ねえ、それよりこれ……!」
アクアがあたしとグロウの間に割り込んでノートを広げた。
グロウはアクアの示したノートに目を移す。そこにはあたしが最初に見たときより一回り大きくなった、正体不明の魔法陣があった。
その濁った色を見るなり、グロウが鋭く言う。
「アクア、これ止めれる?」
「え? 止める、って」
「解除でも、停止でも、なんか上書きでもかまん! とにかくこの魔法陣、最後まで使わされん!」
聞き返すアクアを、グロウが焦れたような声で一喝した。
「見てわからん? たぶんこの辺が肝やと思うがやけど、うちよう触らんき」
「これ、ああ、うん……わかった、やる」
アクアがノートを机に落とし、なにも持たない右手で線に触れる。指先が流れるように動いて、その軌跡が水色に光る。魔力そのもので書く魔法陣。繊細すぎるその線が、広がっていく濁った色をあっという間に覆い隠し、
「できた」
ついには、拡大していた陣が動きをとめた。
思わずほう、と息をつく。
「アクア、すごい……」
「感心しゆう場合やないで。さっきの陣、もし効果が完了しちょったらこの家の場所がばれる陣やった。アクア、そのノートは学校の?」
鋭い視線がアクアを射抜くように見る。
「う、うん。生物のノート」
「じゃあ学校で広げたときに仕掛けられたがやろうね。これでわかったけど、ルビィが人間界に来ちゅうことはばれちゅう」
「なんで? ばれたのはアクアとグロウの学校じゃないの?」
「うちらあを人間界に飛ばしたがはこの陣を仕掛けたやつの方ながで。うちらあの居場所は知っちゅうはず。相手が探るとしたら、飛ばし損ねたルビィのことやお。しかもアクアの持ち物使うてルビィの、というか精霊の人間界における拠点を探ろうとしよった。アクアがルビィとおるって、もうわかっちゅうがや」
あたしの質問はすっぱり切り捨てられた。そして、険しい顔のままグロウがひとつの決断を下す。
「手段は選べん。明日にでもゴッドの封印を解く」
あたしもアクアも、反対なんてしようがなかった。
「いいよ。精霊集め、絶対やり遂げなきゃ。邪魔なんてさせない」
「おれも、なにか手伝えることあるなら、がんばる」
グロウは深くうなずき、
「じゃあひとつ、アクアには働いてもらおうか。それと、ルビィは脱衣所戻って精霊服消して、ちゃんと体拭いてきい」
びし、と廊下へのドアを指さした。