=風の精霊ウィンディ=

アクア 2

 フィーってひととアクアが神魔をどう過ごしてたか、あたしたちは知らないから答えようがないんだけど。グロウは微笑みでその言葉をかわし、話を続ける。
「ゴッド・ファイアル、っていうがやけど。あんまり気にしちゃあせんかったけど、一歳年上ながよね。それで今日の午前中、もしかしてと思うて中二の階へ行っちょったがよ」
 アクアにも、どうすれば精霊を見つけ出せるのかは伝えてある。封じられた魔力は瞳の色にも表れない。だけど、精霊の魔力は大きいから触れればわかる。まあそれも個人差はあって、アクアは精霊にしては魔力が弱くて、なかなか確信が持てなかったりした。
 それはさておき。魔力なんてたしかめなくても、知ってる相手なら顔を見れば一発だ。
「見た、ってこと?」
 グロウはこっくりうなずく。
「目立つきね、あのひと。問題は雪の精霊よ。どうも学年は実年齢に対応しちゅうみたいなけど、雪の精霊が何歳かわからんとヒントにもならんし」
「じゃあどうする? ほかの学年でも探してみる?」
「……そういえばルビィ、あんたの言う探すって、やり方は?」
 突然そんなことを聞かれて、あたしは言葉に詰まった。グロウはほんとうに偶然見つけられただけだし、アクアも、まあ偶然か。魔力が封じられてしまっては、魔法で探し出すなんてこともできない。女王家が精霊の居場所を突き止められたのも、魔界から人間界への移動陣が使用されたため、とかだった。
 そのひとが精霊かどうかたしかめるには、実際に触れてみて、魔力を感じ取るしかない。
「ほら、すっとは無理やお。うちはゴッドを知っちゅうきよかったけんど、雪の精霊らあ誰も知らんやん。接触したら魔力でわかるとはいうたち、赤の他人とそうそう接触らあできんろ。雪の精霊探しはまた別途考えて、とりあえずゴッドの魔法解くで」
「そだね。じゃあ放課後? それとも午後の授業さぼってく?」
「えっ、さぼるの?」
 アクアの箸からトマトが滑って、お弁当のふたに着地する。
「さぼらんさぼらん。まだちょっと問題が残っちゅうし、詳しいことは家で相談するわ。それよりもうひとつの話ながやけど、――」
 急にグロウが言葉を切った。そしてすこしだけご飯の残ったお弁当箱をそそくさと片付け始める。どうしたの? と聞くより先に、重いドアの開く音と、いくつかの足音、女の子の話し声が聞こえてきた。すぐにタンクを回り込んで、二人の女子が姿を見せる。
「楓生、探したわよ」
「やっぱりここにいた!」
 口々に言う二人は、ほとんど同じ顔をしていた。髪の長さが違わなければ、あたしには見分けられないかもしれない。姉の江藤椎羅と妹の椎矢、楓生の友達の双子だ。髪を背中まで伸ばしていてあたしとクラスが同じなのが椎羅で、髪が肩につくくらいでD組なのが椎矢。どちらかと同じクラスじゃなきゃ、たぶん覚えられなかった。
「ごめん、ちょっと用事で。もう済んだき行こうか」
 すでに荷物をまとめていたグロウは、スカートの裾を払って立ち上がる。
「用事って?」
 椎矢が尋ねた。訝しげな視線を受けてアクアがたじろぐ。椎羅も妹のセリフに興味を誘われたようで、
「そういえば珍しいわよね。苑美、早瀬くんと仲良かったんだ」
「あーうん、席隣だし」
 苦し紛れもいいとこだけど、これが精いっぱいのごまかしだった。あとは全部楓生に放り投げる。
「席どころか、家隣やもんね」
 しれっと、楓生はそんな大嘘をついた。
「そうなの?」
 あまりに平然と言ったせいか、椎矢の目から疑いの色が消えた。楓生は続けて、ありもしない用事の内容を説明する。
「うちも二人と家近うて、町内会が一緒ながって。中学生はゴールデンウィークに子供会で子守りせないかんき、なにして遊ばすか考えよったが」
 どこで勉強したんだか、楓生の言い訳には人間界独特っぽい言葉がいくつも含まれていた。
「うわー、大変そう。うちにも小一の弟いるけど、友達来てるとすっごくうるさいのよ。三人とも、がんばってね」
 椎羅の応援に、あたしはとりあえず笑顔で応える。困ったときは曖昧に笑うよりにっこりしている方がいい。これはアルサの真似だ。双子はそれで気が済んだらしく、さっさとドアへと引き返していく。楓生はあたしと河音にだけ見えるように、眼鏡の奥でちょっと笑うと、
「じゃあまた放課後ね」
 と言い残して、鉄扉の向こうに消えた。
 ほっとして、あたしと河音はおそろいのため息をつく。
「ご近所さんてこと、忘れないようにしなきゃね。どっかでボロ出したら楓生に怒られちゃう」
「そうか、そうだよな。……人間界って大変だね」
「そーだよ、もう大変。だいぶ慣れたつもりだけど、グロウと比べたらまだまだだなあ」
「あの、苑美はここに来てどれぐらいなの?」
 お弁当のふたを閉めながらアクアが聞く。
「あたしは一か月しないくらい。グロウは、魔法解いてから二週間ちょっとかな」
「じゃあそれまで、ずっとあの家でひとり?」
「ずっとって言うほどじゃないよー。アルサと別れてお兄ちゃんと会えるまでもそれくらいだったし」
 ひらひら手を振って答えると、アクアは不思議なものを見るような顔をした。
「お兄さんに会いたいとかは?」
「そりゃあるけど。でも精霊を探し終わったら帰れるってわかってるもん。アルサと一緒のときはほんとに帰れるのかもわかんなかったんだよ。それよりはマシかなあ。アクアは? やっぱりフィーってひとと会いたいんだ?」
 アクアはためらいがちにうなずく。
「じゃ、がんばんなきゃ。魔法陣書くんだよね? あたし、ルサ・イル直々に教わったけど魔法陣てさっぱりでさ。なんかのとき助けてよ」
「でもおれ、苑美や楓生が話してたことほとんど知らなくて……そんなので、助けるなんて」
「ルビィでいいよ。ていうかさあ、そのフィーは魔法陣いろいろ教えてくれたんだよね?」
 うつむけた顔をのぞきこむと、見上げるみたいな視線を向けられた。
「うん。でも、ほんとに魔法陣のことぐらいしか知らないよ。ずっとふたりでフィーの庭にいて、外に行ったこともなくて」
「あたしと逆だ。でも授業わかるんでしょ。勉強も習ってたってことだよね」
 言われて初めて気がついたのか、アクアは目を丸くして、
「そういえばそうかも」
「ちゃんと覚えてないのー? あたしなんてアルサと話したこといっぱい覚えてるよ」
「そ、そんなのおれだって!」
 意外に大きい声だった。覚えてるよ、と急にちからをなくした声が続く。たぶん、アクアにとってのフィーは、あたしにとってのアルサみたいなものだ。
「じゃあさ、アクア、陣のほかに魔法って習った?」
「え? すこしは習ったけど……」

2012/8/7 (修正 2023/3/9)