IFルビィの話 1人称
IFルビィの話 1人称
初めてアクアと会ったのは、あたしたちが五歳の時だった。お母さんの友達の子供だと紹介されたけれど、正直その時のことはよく覚えていない。あまり印象に残るタイプの子ではなかったようだ。
だから、どうして今になってこいつがあたしに絡んでくるのか、あたしにはさっぱり分からない。
陣書きをしていることは知っていた。別にこいつ個人のこととしてじゃなく、お母さんが「マリンは一家で陣書きをやってるの」と言っていただけだ。けどまさか、秘塔とまで契約があるとは思わなかった。それと、こんな嫌な奴に育っているとも。
「また来たの?」
昼休み、食堂で出くわすなり声をかけてきた男に、あたしはそう返した。アクアはあたしの向かいに昼食の載ったトレイを置きながら、あの腹立たしい笑みを見せる。
「別にルビィに会いに来たんじゃないよ? 仕事だから」
「そんなの知ってる! てゆーか、ならあたしの前に座んないでよ!」
「だって食堂混んでるし。隣が良かった?」
死ね! と言ってやりたかったが、公衆の面前で言える訳もなく、八つ当たり気味に鶏肉をフォークで刺す。
「行儀わるーい」
「うるっさい!」
余計なことばかり言うアクアのトレイには、サンドイッチ二つとスープしか載ってない。一番安いセットだが、あまりに少ないためダイエット中の女子くらいしか買わないものだ。もしくは普通の昼ごはんが足りない時の追加分。
「そんなんで足りるの? 痩せたいの?」
「まさか。倹約中なんだよ。おれ、自分の給料で生活してるから」
「えっ?」
何てことないように出てきた言葉に、つい驚いて目を合わせてしまう。アクアはその動作を勝手に解釈して
「何、心配してくれてんの? 嬉しいなー。じゃあその肉ちょーだい」
そう言うと空中で止まっていたあたしの手を、フォークを握らせたまま引っ張り
「あーっ、ちょ、何してんの!」
「いーだろ、はいあーん」
二センチ幅にカットされた鶏肉を、あたしがまだ一口も食べてないソテーを直接口で奪取していく。
「ちょっとー!」
非難の声を上げると、アクアは咥えていた肉を半分辺りで噛み千切り、
「いる?」
と差し出してきた。
「いる訳ないでしょ!?」
「えー? おいしいのに」
人のものを盗っておいて、よくもまあそんな口が利けたものだ。怒りが一周して言葉も出ない。それに、ここで言い返したら余計イラッとする返事が来るに違いない。
あたしは他の料理を奪っていかれないよう、さっさと全部食べてしまうことにした。アクアも珍しく黙って、双方無言の食事となる。
量の違いもあり、アクアが先に食べ終えた。もう用は済んだはずなのだからとっとといなくなればいいのに、頬杖をついてじーっとこっちを見ている。
「何よ」
「別に?」
「別にじゃないわよ。何もないならこっち見ないで、気持ち悪い」
「うっわ、ひどい言い方」
ふとアクアの視線があたしをそれ、また戻ってくる。その不自然さを問い詰めようとした時、
「ルビィここ」
「え」
すっと伸びてきたアクアの指が唇の端をなぞる。あ、ソースか、と思った瞬間、アクアがそれを拭った指を舐めた。
「!? 何やって――」
「あ、ユール」
――んのバカ、と言いかけた声をすんでのところで飲み込んだ。
右横の椅子が引かれ、そこに座ったのは良く知る細いシルエット。顔は見たいが直視できない、あたしのいろんな意味で憧れの先輩、ユールだ。敬称は、一時期付けていたけど今は外れている。付き合っているからとかそういう素敵な理由ではなく、小さい頃は呼び捨てだったからそのままでいいだろう、と言ってもらったからだ。
「またそんなくだらないことをしてるのか」
回想に逃げようとしていた思考が、ユールの声で現実に引き戻される。そうだった。不本意ながら、アクアとの恋人同士がするようなやり取りを見られてしまったのだ。恥ずかしいのと悔しいのとで顔が熱くなる。
「あのねユール! これはっ」
「分かっている」
弁解を封じるようにハンカチが差し出された。あたしは大人しくそれを受け取る。口を拭いてから、ユールが使ってたらどうしよう、ときっと杞憂に終わる心配をする。ユールはあまりあたしの話を聞いてくれない。でも、勝手な誤解もしない。
アクアは嘘っぽい笑顔で覗き込むようにユールを見る。
「怒らせちゃった?」
少しだけ、期待した。怒ったって言ってくれなくても、そんな素振りが見えることを。
だけどユールは、何にも動じてない顔で、弁当の包みを開きながら答える。
「人を巻き込むな」
ふーん、と、あたし以上に不満そうにアクアが呟いた。
本編ユールは椎羅の期待を大きく超えて来るけど、IFユールはルビィの期待に届かない