お見舞い

椎羅と苑美と柊さん 椎羅中2、柊高1 椎羅視点一人称


 新学期が始まって早々に起きた、魔界での事件が解決されて一週間。楓生や苑美や早瀬くんは学校に戻っていたけれど、柊さんだけは一度も登校してきてない。
「ヒュナさんが『大事を取らなきゃ!』って閉じ込めてるんだよ。あれで結構、心配性だよねえ」
 苑美は「ユールにとっちゃ、大したことないと思うんだけどね」と軽く言う。
「でも、みんな万全じゃなくて、ユールにはいっぱい頑張ってもらったから……」
 と早瀬くんは素直に心配していた。
「昼休み自分の教室にいるだけで、何をそんなにヒソヒソ話されなきゃなんないんだよ、ったく」
 と明坂さんは不満げだ。この人に限って、寂しいということはないだろうけど。
「そんな気になるがやったら、見舞い行く?」
 誰と話しても柊さんのことばかりのわたしに、楓生がそう言ってくれて、わたしは柊さんのご実家への切符を手にした。

 柊さんの家は魔界にある。魔界へは電車では行けない。切符というのは、魔法を使えない私を連れて行ってくれる『人』のことだ。
 今回の切符役は明坂さんだった。
「おはようございます! 今日はよろしくお願いします!」
「ん。そんなかしこまらなくていーから」
 日曜の朝、楓生たちの家のチャイムを押すと、インターホンは何も答えず、いきなり開いた玄関には明坂さんが立っていた。上り框の高さも相まって、いつも以上に背が高く見える。適当極まりないTシャツジーパン姿だが、鞄を提げていることから、出かける準備は出来ているようだ。
「部活厳しいのか? 挨拶とか敬語とか」
「いえ、それほど。あ、おじゃましまーす」
 そそくさと上がった玄関から、リビングのドアが開いているのが見える。中は電気が消えていて、人の気配もなかった。そういえば、庭から見えたベランダに洗濯物は出ていなかった。
「靴持てよ。行くぞ」
「あのっ、他のみんなはいないんですか?」
 自分も靴を取り上げながら、明坂さんが振り返る。
「先行った」
「じゃあ、明坂さんは待っててくれたんですね」
「あの三人が待っててくんなかっただけだよ」
 そう言って、リビングとは反対側へ歩いていく。何回か使わせてもらったことがある、魔界へ行くための鏡が置いてある部屋だ。明坂さんはそのドアを開けて押さえてくれていた。
 柊さんや苑美や早瀬くんがいないと、明坂さんはちょっぴり素っ気ない。ていうか、わたしに素っ気ないのかな。椎矢とはもっと、打ち解けて話してるようにも思える。だけど態度は違っても、こういう親切は欠かさない。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
 部屋の真ん中には、石の枠に入った大きな姿見があった。装飾は全体的に荒削りで、てっぺんに彫り込まれた魔法陣の繊細さが際立っている。
 明坂さんがその真ん中に手を触れた。……何か起きたのか、わたしには分からない。苑美によると、この時鏡の上の魔法陣が光るらしいけれど、そういうものは魔力のある人にしか分からないのだ。
「靴履いたか」
「はいっ」
「よし。手、離すなよ」
 わたしの手を取って、明坂さんは一歩、鏡の中に踏み出す。私は二、三歩、よろめくように足を動かして、
「わあ」
 ――気付けばそこは魔界だった。
 と言っても、目に入るのはただの殺風景なレンガ部屋。わたしたちは五人の家にあったような鏡の前に立っていて、周囲には六つの大きな魔法陣が並んでいた。ここは、魔界のお城にある地下の一室だ。用途は移動、そのためだけの部屋。
 明坂さんは床に書かれた陣の一つにさっさと映って、その中央を踏む。わたしもその横に収まって、
「わあ」
 ――気付けばそこは、吹雪の中だった。
 一面の銀世界を強い風と雪が吹き荒れ、視界はごく限られている。ただ、わたしたちの足元にある魔法陣から数メートルには、風雪ともに入り込んでこない。しかし冷気は容赦なくしみ込んできて、わたしは思わず、自分の体をぎゅっと抱きしめた。
 雪にけぶる柊さんの家までは、たかだか10メートル程度。だけどこの10メートルがどれほど大変な道のりか、何度かの経験でわたしは知っていた。
 明坂さんが前に出る。いつの間にか、適当な服装は精霊服に変わっている。背中の重そうな剣を軽々と構え、彼はわたしの顔を見て笑った。
「大丈夫。俺、これ得意だから」
 今日初めての笑顔だった。柊さん一筋を星にも心にも神様にも誓ったわたしでさえ、ちょっとドキッとしてしまう。
 そんな反応には目もくれず、明坂さんは作業に入る。早瀬くんによれば、移動陣に付録としてついている吹雪を避ける効果を、家の前まで広げる作業らしい。が、その大半は魔力によって行われるため、わたしには何が起きているのか見ることができない。
 明坂さんが剣を鞘に返す。そうしてやっと、わたしは柊さんの家へ向けて、自分で足を踏み出した。

「あらー! ゴッドくん、シーラちゃん、いらっしゃい!」
 足早に駆け込んだ家では、ヒュナさんがお茶を淹れているところだった。お盆に載ったカップから立ち昇る温かそうな匂いに、ついつい体が吸い寄せられる。
「寒かったでしょう。はいどうぞ」
「はい~、ありがとうございます~」
 受け取ったカップは、冷えた指先をじんわりと温めてくれる。ヒュナさんは明坂さんにもお茶を勧めたけれど、
「俺はいいです。すぐ出るんで」
「何か用事があるの?」
「いつものおつかいですよ」
 明坂さんはそう断った。ヒュナさんは続けて三つカップを出してきて、それにもお茶を注ぎながら言う。
「まあ、いつも大変ね。栄養ドリンクの試作してるんだけど、一本どうかしら?」
「絶対実験じゃないですか。それにヒュナさんの作品ってことは、また苦いんでしょう。遠慮しときます」
「ちょっとー、ゴッドくんまでユールみたいなこと言わないでよ。薬は味じゃないのよ」
 軽口の間に、ヒュナさんはお盆にお茶を二つ用意し直して、わたしの前に差し出した。一つだけ空のソーサーを示され、半分くらい飲んだカップをそこへ置く。テーブルの上には二人分のお茶が残っている。明坂さん、しばらく帰してもらえなさそうだ。
 ヒュナさんはわたしにお盆を渡して、
「これ、ユールの部屋までお願いできる?」
「三つ、ですか?」
「先客が来てるから」
 そう言って、いたずらっぽく笑った。

 こんこん、とドアをノックして「失礼しまーす」と断って、いつもの律儀な返事を待つ。けれど今日は、平坦な「どうぞ」の声はなく、代わりにドアが内から開いた。
「あっ、椎羅! いらっしゃーい」
「苑美!?」
「あー、ヒュナさんお茶入れてくれたんだ。ありがとー。まあ座って座って」
 わたしの手からお盆を攫って、苑美が部屋の奥に走っていく。
「先客って苑美だったんだ」
「何? 椎羅、椅子ここだから」
 サイドテーブルにお盆を下ろして、苑美が机のそばから椅子を引っ張ってくる。
「ユール、よかったね、お砂糖ついてるよ」
「……」
「何とか言いなよー」
 自分の椅子に戻った苑美が、カップの一つへ、勝手に三匙も砂糖を落としながら言う。
 無言の柊さんは、そのそばのベッドに足を伸ばして座っていた。服装は、スウェット、って言っていいんだろうか、多分クルスさんが縫った、楽そうな格好。肩にかかる、わたしより少しだけ短い髪には、うなじのところにくくり跡がついている。重そうに下を向いた睫毛の下、わたしには黒にしか見えない瞳がこちらを向く。つまづくみたいに心臓が跳ねた。
「いらっしゃい」
「はい! おじゃましてます!」
 やっぱり挨拶は律儀だった。わたしも丁寧に頭を下げて、それから椅子に座る。
「ちょっとー! なんであたしは無視すんの!?」
 苑美がわたしたちのやり取りに文句を言って、柊さんはそれにも真面目に
「答えようがなかったから」
「その答えをどうにか考えろっていっつも言われてんじゃん」
「…………そうだな」
「相槌に悩むなっ! はいお茶!」
「ありがとう」
「なんでそれができて会話ができないわけー?」
「分からない」
「その返事はいらないの!」
 ぴしゃりと言って、苑美はお茶をぐぐーっとあおり、盛大に大げさなため息をついた。
「もーあたし疲れた。椎羅、こいつの相手してー」
「また苑美はそんなこと言って。ちゃんと会話になってるじゃない。兄妹みたいだったわよ」
「それはないない」
 激しく首を横に振って否定された。
「だってさあ、ユール何考えてるかさっぱり分かんないんだもん。あたしそういう人すっごい苦手なの。訳分かんないことでも一応しゃべってくれたらまだいいんだけど、ユール最低限のことしか言わないでしょ? そういうの、一番無理」
 本人を目の前にしての断言に、わたしは反論も忘れて感心してしまう。わたしだったら、好きな人相手ではもちろん、嫌いな人に対してだってこんなことできない。それを屈託なくやっちゃうんだから、苑美はすごい。
 言われた柊さんの方は、やっぱり「答えようがない」のか、一切を無視してお茶の底をスプーンでかき混ぜ、カップに口をつけた。
「おいしいですか?」
 少しでも会話をしたくて、そう声をかけてみる。柊さんはカップを下ろして、
「分から――」
「そこは! イエスノーじゃなくて、なんでもいいから味の感想を言うとこなの!」
 どきっとした。また「分からない」って言わせちゃうなって、わたしの質問が間違ったなって、思ったのに。
「…………」
「何? 感想ないの? だったらほら、味の、なんて言うの? 表現? とにかく『どういう味?』って聞かれたと思えばいーの」
 黙り込んだ柊さんを苑美が責める。口調はきついけれど、言ってることはとても的確だった。
 柊さんは苑美の目を見てそれを聞いて、それから、本当は青いはずの目をわたしに向けた。
「甘い」
『おいしいですか?』に対する、それが返事だった。苑美は自分でやったくせに「そりゃーそんだけ砂糖入れたらね」なんて子供っぽくケチをつけている。でも、そんな苑美が今はとても頼もしい。
 そっか、そうか。こうすれば、柊さんの言葉は引き出していけるんだ。
「そういや椎羅、ユールに何か用事?」
 感慨に浸っていたせいで、返事は少し遅れた。
「え、ああ、うん。用事っていうか、お見舞いに来たの」
「ふうん」
 苑美がちらりと柊さんを見る。「なんか言え!」という目つきなのはわたしにまで伝わったけど、柊さんは無言だ。だから今度はわたしから、柊さんをしゃべらせようとしてみた。
「学校、ずっと休んでますよね。そんなに具合悪かったんですか?」
「いや」
「……」
 しまった。こうじゃなくて、えーと、えーと、なるべく具体的に!
「じゃあなんで、何日もお休みだったんですか?」
「姉上が、魔力の安定を確かめるまでは安静にしていろと言うから」
「そ、そうだったんですね! 体調悪いんじゃなくて、安心しましたっ」
 でっ、できたあ……!
 思わずガッツポーズしそうになって、慌てて膝の上に手を揃える。苑美はそれが面白かったみたいで、くすくす笑いながら言った。
「椎羅、楽しそうだね」
「当たり前よ。柊さんとおしゃべりできて、楽しくない訳ないじゃない!」
「おしゃべりねえ。あたしは疲れて仕方ないよ」
 苑美はぐっと伸びをして、うぐう、と変な声を出す。疲れてます、って体で表してるつもりらしい。
 そこまで言うのにわざわざ訪ねてきたのは、どうしてなんだろう。
「苑美は何しに来てたの?」
「あたしはちょっと、話を聞きに」
「話って?」
「ユール、説明して」
 いきなり投げた。柊さんは呆れもせず、淡々と要求に応じる。
「エメリアと戦った時に使った魔法陣の話だ。本来はルビィが使うことを前提に、アクアが書いた陣だった。実際はおれが使ったから、ルビィは次に自分が使う時の参考にするため、話を聞きに来た」
「そういうこと」
 なるほど、と、相槌を打ってみたはいいものの、どういうことだか今一つ理解できない。
「魔法陣を使うのに、心構えみたいな、なにか用意とかいるんですか?」
「心構えの必要性は人それぞれだ。陣の要求魔力量を知ることは、必要とまでは言えないが、魔力の消費計画を組むにあたって大きな意味があるとされる」
「んーとね、普通、魔法陣ってあんまり魔力消費せずに魔法使うための道具なんだけど、アクアの陣ってそうじゃないのもあるんだよね。どーんと魔力使って、すっごい結果出すの。そういうのって、無計画に何枚も使うとヘバっちゃうから、このくらいの陣なら一度に何枚まで使えるかなーって考えといた方が良いってこと。あとね、ユールはこんなだから別にいいけど、心構えも大事だよ。あんなの、いきなりポイって使えるもんじゃないよ」
 柊さんの説明を苑美が補足する。だけどその口振りは、ただの説明というより、なんだか愚痴っぽかった。そのことを指摘すると、
「ばれた? ほんと、最近のアクアの陣ってハードなんだよ。連続で使わされるときっついの。ユールも大変だったでしょ? 10枚だっけ、使ったの」
「13枚だ」
「そうそう。しかも魔法が使いづらい状況だったから、かなり負担だったと思うよー。次はあたしがやる役かと思うと……はーあ」
 柊さんに何を聞かされたのか、苑美は椅子の上でずるずる崩れた。
「大変そうね」
「うん。だけど、それでもあたしは精霊だから。ユールだってそうでしょ?」
「『そう』の意味が分からない」
「っだからー! しんどくってもえげつなくっても、精霊として、必要だからあの陣使ったんでしょ!?」
 じれったそうに声を荒らげた苑美に、柊さんは「ああ」の一声で答える。その声は強く真っ直ぐで、刺さるように胸に響いた。柊さんの強さは、いつも自分を切っていく強さで、決して素晴らしいだけのものじゃないけれど、でも。惹かれるものは、惹かれてしまう。
 わたし、早瀬くんと話合うかもしれない……。
 そんなことを思っていると、苑美は「ま、それだけでもないんだけどね」と意味深なことを口にした。
「どういうこと?」
「きっつい陣も、結局は使いたくって使ってるとこもある、ってこと。やっぱ、魔法使うのってきもちいんだよ。部活でもさあ、陸上部とか走ってきつくて吐いたりしてんのに、走るの好きでしょ? そんな感じ。きもちくってやめらんないんだよね。あたし一人じゃ思い通りに出せない力を、アクアの陣なら引っ張り出してくれる。あとで寝込んだとしても、やる価値あるよ、あれは」
 わたしにはとても、想像すらつかない話だった。学校で毎日会う友達なのに、苑美はときどきものすごく遠い。去年の夏だって、苑美はすぐ目の前で戦ってたはずなのに、その背中はどこか遠かった。その距離を感じるからこそ、早瀬くんも追いかけたいって気になるのかなあ。
 柊さんは、相変わらず何の反応も見せず、静かにカップを傾けていた。柊さんには、苑美が言うみたいな途方もない喜びはないんだろう。わたしが柊さんと同じ部屋にいるだけで感じてるような、些細な幸せも、ないんだろう。
 その事実は、とっても苦しくて切ないことにも思えて、だけど確かに、わたしに力をくれる。この人に、どんなかたちでもいい、なにか喜びや幸せを見せてあげたいって気持ち。それが、苑美みたいには強くないわたしの、一番の力だ。
「さーて。用事済んだし、あたし帰るね」
 空になったカップを持って、苑美が立ち上がる。
「椎羅は? 誰か送んないと帰れないでしょ」
「う、うん、でも……」
 正直、まだまだ柊さんと話し足りない。ふ、二人っきりって思うと緊張するけど、でも!
「まだいる? どうやって帰る?」
 内心が顔に出てたんだろう。苑美はそう言ってくれた。だけど、明坂さんももう行っちゃっただろうし……柊さんに送ってもらえたら、それは最高に嬉しいんだけど、休養明けなのにそんなこと頼みにくいし……。
 柊さんの方を見やると、ぶつかるみたいに目が合った。ひゃっと思う間に、柊さんは簡潔に一言
「おれが送る」
「いいんですか!?」
「問題ない」
「やったあ! ありがとうございます!」
「どういたしまして」
 わたしたちのやり取りをおかしそうに眺めていた苑美が
「じゃあお先に。また明日ー」
 と出て行って、部屋にすっと沈黙が下りる。わたしの興奮も、少し落ち着く。
 さあ、柊さんと何を話そう。言いたいこと、聞きたいこと、たくさんあるけど、まずは。
「どうして、送るって言ってくれたんですか?」
「見舞いのお礼をしなくてはいけないから」
 その答えは、わたしが憧れてた好きな人からの言葉とはかけ離れていたけれど、柊さんからもらったと思うと、それだけで特別な言葉みたいに聞こえた。

「もう聞いてよ! それでねゴッドくん、そのお客さんの注文がね!」
「ヒュナさん、俺そろそろ出ないと時間が……」
「大丈夫よ、グロウちゃんにはわたしから言っといてあげる」
「いや、ヒュナさんが何言ったって俺は怒られますから」
「いいじゃないの。ほら、市場にも出してない新作、ひと箱流してあげるから。在庫減ってるでしょ」
「それは……でも物じゃ釣れませんって――あ、ルビィ」
「あれ、ゴッド。椎羅連れてきたのゴッドだったんだ。なんだー、帰りの心配いらないんじゃん」
「本当はとっくにいなくなってる予定だったんだけどな……」
「もうっ、またそういうこと言う! あ、ルビィちゃん、お茶まだあるわよ。お菓子も。入れる?」
「え? いーですよ、もう帰――」
「そう言わずに! さ、座って!」
「ちょ、ヒュナさん! ……あー、あたし宿題できてないのに」
「こりゃあ、椎羅もユールも連れて帰ることになるかもなあ。もう、グロウに今日は行けねって連絡しとこ」
「だねえ。それがいいよ」

ちゃんちゃん!


2013/10/21

椎羅、二人きりの帰り道、ならず
書きたいこと詰め込みすぎてごちゃごちゃした
序盤ユール+それに対する椎羅を書きたかったのが一番の目的
他にルビィとユール並べたかったのと、ルビィにアクアの陣を使うことについて話してほしかったのと
久々にヒュナさん動かすと楽しい!