ルビィとグロウ 高校 グロウ視点三人称
ルビィとグロウ 高校 グロウ視点三人称
「ごめんくださーい」
ぴんぽーん、ではなく、ごんごんごんと雑なノックの音を立てて、その客はやってきた。
「おはよ。あ、仕事してた? お邪魔だったらごめんね。はいこれ、お兄ちゃんのケーキ」
グロウが玄関を開けると、ルビィは狭い玄関ポーチに立って白い紙箱を差し出してきた。
週末の午後。城下は穏やかに晴れ、秋に向かって風が冷え始めている。狭苦しい住宅街にちんまり収まっているグロウの家も、そんな景色の一部となっている。まさか誰もそこが精霊の実家だとは思うまい。この場所を知っている人間も、客として来ることはほとんどない。その中でも今日のはとびきりの珍客だった。
「ルビィ? なんであんたが……」
「えへへー。起きたらみんないなかったから、暇で。お兄ちゃんも忙しそうだったし、これもらったし、来ちゃった」
てへ、と首を傾げる仕草は、グロウにはとても真似できない。まあ、言い分は分かった。どうぞと招き入れる。あまりドアを開けての立ち話はしたくない。
グロウは昨日からこの家に帰っている。理由はもちろん仕事だ。他の精霊も、それぞれにこちらで用事があるのだろう。みんな早くに出ていって、誰も起こしてくれなくて、ルビィが目覚めたときには一人だった、ということだ。
奥行きばかり長い家の、いちばん奥にある部屋へ向かう。採光の乏しい部屋は、窓を閉めていると少々埃っぽい。グロウは照明だけをつけて、ルビィに椅子を勧めた。テーブルの上に散らかした書類をまとめ、空いたスペースに紙箱をそっと置く。
「ひとりでここ来るの、初めてかも」
どこか弾んだ声とともに、ルビィが室内を見渡す。そんなに面白いものはないはずだ。右手の壁は一面がキャビネット、対面は腰の高さまでの引き出し付き本棚で、その上に大きく古い通信鏡が二台。テーブルは辺のひとつが壁に接していて、唯一の窓はテーブルより十数センチの高さにはまった曇りガラスだ。椅子は四脚、カーペットなし。生活空間というよりは、事務室に近い。
それでもルビィはあっちへこっちへ視線をやって、時折ふーんとなにやら納得したみたいな声を出している。
「お茶入れてくる。そのへんのもん触らんとってよ」
「はーい」
まとめた書類を手に、グロウは部屋を出た。あの部屋は、リビングでもあり仕事場でもある。本当のリビングは、ダイニングと兼用でキッチンと同室にある。そっちへ入れてやれればよかったが、今日はそうもいかない。いつ、通信鏡に呼び出しが入るか分からないのだ。
二階へ上がり、自分の部屋で書類をしまう。また下へ戻って、キッチンへ入った。お湯を沸かし、コップと皿を出し、お茶の準備を整えてルビィの待つ部屋へ戻る。
ルビィはスリッパの足をぱたぱたさせながら、まだ部屋を見回して興味深そうにしている。照明があってもどこか薄暗い雰囲気の部屋で、ルビィだけが明るさをまとっているように思えた。
テーブルを拭いて、お茶を入れ、ケーキをセッティングする。
「いただきます」
と手を合わせ、
「そうだ」
ルビィが、口元まで持っていったケーキをぴたりととめた。
「仕事、してたよね。ごめんねいきなり」
そう言って、ちょっと眉を下げてから、ぱくりとフォークをくわえる。あらまあ、という心境で、グロウはお茶のカップを持ち上げる。ルビィの、こんなふうにぽろっと可愛いことを言えるところを、グロウはひそかに尊敬していた。
「かまんで。仕事はしよったけんど、待ち時間つぶしよったばあやき」
「待ち時間? 誰か来るの?」
「誰かさんからの連絡待ち」
数秒、くちをもごもごやりながら考えて、やっと思い当たったようだ。グロウがこの家で仕事をしつつ待つ、というと、誰に聞いても相手は間違いなく絞られるだろうに。
ルビィは決して、頭の回転が悪くて鈍いわけではない。けれど、分かるでしょ? という期待を裏切られることはままあった。グロウからしてみれば、その程度言わなくても分かってほしいのだが、ルビィにとっては言えば分かるなら言ってよねということらしい。
「最近忙しいの? 週末、いつも泊まり込みだよね」
「んー、城のほうがまたバタバタしゆうみたいながよね。なんか言うてこられる前に蹴りつけちょきとうて。途中で何日も動けんなったら、あとあとに差し障るき」
「そっかあ。なら仕方ないね。でも、グロウのご飯がないの結構ツラいんだよー」
背もたれに体を投げ出して、ルビィは分かりやすくげんなりして見せた。そんなに惜しまれるほどのものなのか。グロウの料理はありもの料理が中心で、手の込んだことはあまりやらない。いない時はむしろ、名前のあるメニューが作れるよう、材料を揃えていたりするのだが。
「うちがおらん時はなに食べゆうが?」
双方ケーキを食べながら、週末のご飯に思いを馳せる。
「えっとー、チャーハンとかチキンライスとか、パスタとか焼きそばとか」
「似たようなもんばっかりやね」
「オムライスの時もオムそばの時もあるよ! あと夜はカレーとかシチューとか。あっ、前はお好み焼きした!」
なんだかんだ言って、メニューを挙げる声は楽しそうだった。だから自然と、グロウの返事にも微笑みが混じる。
「えいやん、楽しゅうやりゆうみたいで」
参加できないのは少し寂しくあるけど、それはまあ仕方のないことだし。そんな気持ちは表には出ていないはずだった。
「えー? でも、やっぱりグロウが作るほうがいいよ! 全然違うもん。味付けは、まあカレーとかそんなに変わんないけど、見た目とか、具の切り方がへんなのかなあ。噛んだ感じが、説明できないけどなんか違うんだよ」
ケーキの最後の一切れにフォークを突き立てながらの、熱弁だった。なにも察していないのにこのタイミングでこれが言えるのは、一種の才能ではないか。そう思いつつも、やはり、うれしい。
「普段から手伝うてくれよったら出来ると思うがやけどねえ」
「う……じゃあ今度、もう一回お好み焼きしよ。グロウのいる夜に。そんでキャベツの切り方教えてよ」
約束ね、と言ってから、ルビィはぐいっとお茶を呷る。そのカップがテーブルに置かれた時だった。
通信鏡に光が点る。二台あるうち右の方。一瞬だけ眉をひそめて、すぐに駆け寄った。繋ぐと映ったのは、城の職員だった。手短に用件を伝えられて、こちらも必要最低限だけを聞き返す。予想より少し早かったが、仕事はそろそろしまいにしなくてはならない。そちらも連絡を回して、ルビィと城へ向かって、と、そこまで考えたところで背後から椅子の鳴る音がした。
振り返ると、ルビィはもうテーブルを離れている。
「お城でしょ? あたし、先行ったほうがいいよね」
真剣な表情の中で、口元にはすこしの笑み。瞳は急速に輝きを増し、本来の居場所を見つけたと言わんばかりだった。
「そうして。うちもすっと行く」
「分かった、みんなにも言っとくね。じゃあ」
財布ひとつ持ち歩かない身軽なからだは、薄いドアをやかましく開けて部屋を飛び出していく。
グロウはもう一台の鏡に手をかけて
「あ! そうだ!」
玄関から張り上げられた声に、手を引っ込めた。
「お茶! ごちそうさま!」
叫ぶみたいに言って、ルビィは今度こそ出ていったようだった。部屋は一瞬しんとする。
「…………」
迷う時間がもったいなくて、グロウはまずテーブルに戻り、三分の一ほど残っていたケーキを片付けた。お茶も飲み干して、また鏡に向かう。ほとんど同時に、通信を表す光が点灯した。
通信を受ける前の鏡面には、緊張と微量の興奮を飲んだ自分が写っている。すぐに鏡は繋がった先を映したため、グロウがそこに、ルビィの浮かべた表情を重ねることはなかった。