アクアとゴッド アクア視点三人称 本編中どこか、双方高校生
アクアとゴッド アクア視点三人称 本編中どこか、双方高校生
壁から指先を離すと、アクアはずるずるとその場に崩れ落ちた。もたれるものが欲しくて、光を失った魔法陣に肩を寄せる。
息が、手が、頭が熱い。喉の渇きとは似て非なる枯渇感が全身を襲う。ぎゅっと目をつぶって開き、半分まで夜に染まった空を眺めた。この壁の向こうでは、いままさに日が落ちているところだろう。そしてそこで、決着は始まっている。アクアの背にした、この陣を皮切りとして。
ここまで、目立った怪我もせずにいられたが、最後の大仕事はなかなかに負担の大きいものだった。爪がなくなるのではないかという勢いで必死に書き上げた。出来映えは、必要十分だと思う。ただ、求められた瞬間に間に合ったかどうかだけが気がかりだった。
見に行きたい。もっと言えば、助けに行きたい。けれど、からからに魔力の尽きたアクアでは、足手まといにしかならない。どころか、珍しく自分で魔法陣を使ったことが強烈に響いている。呼吸は荒いまま安定しないし、手足がだるくて仕方ない。
動きたくない。安全なところへ帰りたい。そんな、思いたくもないことばかりが浮かんで、逃げるように目を閉じた。
「おつかれみたいだな」
そう声を掛けられたのは、何秒後か、何分後か。泥のような疲労に沈み込んでいた意識が、ふっと浮上した。
目を開けたときには声の主はアクアの隣までやって来ていて、
「すげーなまた」
と陣を評して、そこにずるりともたれかかった。アクアよりもずっと限界に近い様子で膝が崩れ、背の滑った軌跡が赤く、壁に残る。
「いってえ」
ゴッドはアクアの真横へ右脚を投げ出して座り込み、ふー、と深く息をついた。重たいものを抜くように、一度だけしっかりと目をつぶる。アクアはまだ、呼吸を落ち着かせることもできない。目線だけを動かして静かな横顔を見つめ、水のように首筋を流れる汗を見つめる。
そこで精霊服のスカーフがないことに気づいた。さらに視線を巡らせた先、右の膝下に何かが巻き付けられている。茶色っぽく汚れきってはいるが、それがスカーフだとすぐ分かった。巻いた目的も同時に思い当たる。右のブーツは手に提げられていて、臑のところが裂けかかっていた。もう出血はおさまっているようだが、脚には酷い傷がある。
「ゴッド……」
苦しい息の合間にそう呼びかける。いたわりの言葉をかけたかったのに、声は浅い呼吸の音にしかならない。
「平気だ」
応えははっきりとしたものだった。すべてを飲み込む夜の中に、夕陽色の灯火が一対、瞬く。そこには負傷や疲労を感じさせない満ち足りたちからがあって、アクアは思わず目をそらした。ゴッドはその瞳で、アクアではなく、アクアの書いた陣を見上げる。
そちらなら、とアクアも顔を上げた。体も動かないような疲れは、徐々に引き始めていた。
アクアが目一杯背伸びをして届く範囲まで、魔法陣は悠々と伸びている。輪郭はほっそりとして正確で、書き込みは的確かつ鮮やかだ。良い仕事だと思う。しかし、それよりもいまは、陣の片隅を縦断する染みが気にかかった。
決して重傷ではないが、ゴッドが背を擦った壁には血の跡がついている。互いにとって、ここは決着と、夜の訪れを待つ場なのだろうと、アクアは勝手に思っていた。もう、動くのはよくない。……分かっている。本当は、動きたくないのだ。これ以上苦しいのはごめんだと、身も心も訴えていた。
けれど
「アクア、走れるか?」
隣で、きっとアクアより疲弊しているひとは、そんなことを尋ねた。答えに詰まって視線がぶつかる。絡め取るような目だった。煌々とした輝きの中で、幾多の算段が動いているのが見える気がする。
アクアに選択の余地はなかった。消耗の程度は熟練の感覚で見破られ、土埃に乾いた手で頭を押さえられる。至近で見る表情に、あるはずの疲弊は感じられなかった。合わさった唇から魔力を注がれる。危機感に似た満たされなさが急速に遠のいて、アクアは思い出したように深呼吸をすることができた。
それを確かめたゴッドはブーツを履き直し、絡まった靴紐を手早く結い上げた。念入りにスカーフを締め、壁に手をついてふらりと立つ。一歩、二歩、お手本のように歩いてアクアの正面へ回る。
「立てるな?」
聞かれて、アクアは迷った。なにか言葉を発する前に手が差し出され、考える間もなくその手を取ってしまう。引っ張られてみると、あれだけ重かった体は意外と簡単に持ち上がった。手と壁を支えにして、なんとかまっすぐに立つ。
さらに数歩離れて、ゴッドはさっきより質問の意図を明確に、
「歩けるか?」
と尋ねた。
少し遠い。手は届かない距離から、視線だけが、瞳の明るい光だけが投げかけられる。今度は自然と足が出ることもなくて、アクアはただ逡巡に埋もれる。痛いことや苦しいことに対する単純な恐怖が、思考の巡らなくなった頭を占めていた。
なんでこの人はこんなに平気なのだろう、と思う。意味もなく涙が浮かびそうになって唇を噛んだ。
ゴッドはそんなアクアに、思いもよらないことを言う。
「アクア、お前の助けが必要だ」
そんなことはない、というのが正直な気持ちだった。ゴッド一人が行くだけで、援軍としては十分頼りになるだろう。なにより彼は、絶対に仲間の足手まといにはならない。なのに、
「俺だけじゃない、お前がいる」
なおもゴッドは訴える。またあの手を差し伸べて。
闇夜に埋もれない双眸は、言葉以上のことを語っていた。どれだけ本気で言っているのか、その目に分からされる。
アクアはようやく一歩を踏み出した。手を取ろうとしたところでひらりと躱され、軽く背を叩かれる。
「歩けたな。走るぞ」
「えっ」
完全に煽られた体で、アクアは駆け出した背中を追った。そして、手から放り出した筆記用具のように感じていた指先に、ちゃんと夜風の感覚が戻っていることに気づいた。
「お前がいれば窮地に立っても怖くない」のはゴッドのほう。アクアは誰がいたって怖いもんは怖い
お題は二人きり縛りにしたのでこうなったけど、ゴッドのはルビィたちも思ってることなので代弁です