ばたんきゅ

ゴッドが倒れる話というか吐く話 グロウ視点三人称 競戦会編のあと


 新学期早々の一大事から一週間が過ぎた。精霊として天界で戦っていたことが嘘のように、学校を中心とした人間界での暮らしは穏やかだ。
 今日の時間割は五教科と体育だった。何事もなくそれをこなして、下駄箱で河音と会って、二人での帰路。視線をつま先にやって交わす会話は主に学校の話で、あの惨事の影などどこにも見当たらない――かのように思えた。
 家の玄関前に立ったその時、扉が内から開いてルビィが飛び出してきた。
「わっ」
 アクアが驚いて一歩下がる。ルビィは並んで立つ二人の顔をさっと見比べて、グロウの方に目を留めた。
「グロウ! 大変なの! 来て!」
「何? どういたが?」
 真剣な声色に、グロウも思わず表情が硬くなる。ルビィは大変を繰り返すばかりで話にならず、とにかく靴を脱いで家に上がる。
「早く来て!」
 呼ばれるままに入ったリビングに、ゴッドが倒れていた。
 ソファの後ろ、ダイニングテーブルの前で、半端に膝を折った姿勢でうつ伏せ。肩が持ち上がっているのは洗面器にしがみついているためらしかった。
 事態の重さは、瞬時には判断しかねた。とりあえず名前を呼びながらそばに寄ってみる。
「ゴッド? どいたが? 大丈夫?」
「……」
 声でも態度でも反応がない。息も意識もあるようだが、だいぶ朦朧としているようだ。
 グロウが無意識に手放していた荷物を拾って、ルビィが追いついてきて言う。
「あたしが帰ってきたらここに倒れてて、動けないし吐きそうって言うから洗面器取ってきたの。早退とかはしてないみたい」
「そう。ありがとう」
 そのやりとりの間にアクアが入ってきて、大丈夫!? と心配そうな声を上げた。グロウはそちらを一瞥して、ゴッドの肩を揺する。
「ゴッド、起きれる?」
 ようようの体で顔を上げたゴッドは、一度は何か答えようと口を開いたが、すぐに顔を伏せてしんどそうに息をつく。
「肩貸いちゃおき、起き。寝るにしても部屋でちゃんと寝たほうがえいで」
 自分ではどうにも動きそうにないと読んで、グロウはゴッドの腕を首にかけ、ふんっと気合いを入れて上体を起こさせる。次の瞬間、ゴッドはせっかく上げた体を洗面器に寄せて声もなく吐いた。
「……重症やね」
 急に動いたせいだろう。ため息とともに呟いたグロウは、嘔吐が収まるのを待って尋ねる。
「もうかまん?」
 今度はなんとか首肯が返ってきた。アクアを呼んで、反対側を支えさせ、いちおう立たせて歩かせる。ルビィにはもう一つ洗面器を持って部屋にくるよう頼んだ。

 体格差にもたもたしながらもベッドに寝かせて布団を着せて、その間もう一度ひどくえづくことがあったが、その時は苦しそうなばかりで何も出なかった。
 一階のことはルビィとアクアが引き受けてくれて、グロウはほっと一息、すぐに思考を切り替える。
「魔力異常、やね」
 思い当たる理由は一つしかない。横向きに寝て、いつになく力ない面もちのゴッドがやっと言葉で答える。
「ああ。コレだろうな」
 布団がゴソゴソ動いて、出てきたのは包帯の巻かれた右足だった。ガーゼの下、足の裏の魔法陣が皮と肉ごと切られたのがつい先週のこと。
「昼ぐらいから調子悪くて昼飯吐いて、学校帰ってきたらもう無理だった。病気とかよりしんどいな。なんも思い通りになんねー」
 多少マシになったのか、言葉はいつもの調子だった。だが軽く言おうとしている声はどこか弱く、表情も作れないのか腕で顔を隠してしまう。
(うちにそんな意地張ってどーするがで)
 思ったものの、今日ばかりは彼のために言えるはずもなく。グロウはゴッドとは違う意味で浅く長い息を吐いた。
「それにしたち、魔力異常ねえ。ユールはしょっちゅうやけど、まさかあんたが出すとは」
「魔法陣入れとくのにもリスクがあるってことだな。お前も気をつけろよ――」
 へらっと笑ったのが何の拍子になったのか、ゴッドはさっと顔を洗面器に伏せた。
「……っ、うえー。もう出すもんねえのに……」
「なんぞ飲んぢょく? 同じ気持ち悪いでも、吐くもんあるとないとではしんどさが違うで」
「もったいねえだろ」
「言いゆう場合やないろ」
 ゴッドは反駁しなかった。いつもなら、グロウの機嫌を無用に損ねないためだと推測できるが、今日のはこれ以上言い返すのも億劫であるせいに思えた。
 グロウはドアを開けて、階下の二人にスポーツドリンクのペットボトルとコップを持ってくるよう頼む。それを見ていたゴッドが、
「なんであいつらに頼むの」
 と聞く。
 ここを離れようと思えないから、とグロウはすぐに答えられなかった。言葉にしたくない気持ちを汲んでか、ゴッドが冗談みたいに言う。
「行っていいのに。どこにでも」
 強がりには聞こえなかった。それが余計にグロウの後ろ髪を引いた。
 思い通りにならない。そうぼやいた表情は見えなかったが、声色は容易に胸の内によみがえる。
 いつからなのか明確には把握していないが、ゴッドは長いこと、自分を自分の思い通りにすることにこだわってきた。自分の体、気持ち、魔力、言葉、雰囲気、仕草――なにもかも、無意識や本能といったものには明け渡すまいとしてきた。意図して、制御して、頭で考えるとおりに。
 そんなこと徹底するのは不可能だと、グロウも、彼自身も知っている。そもそもグロウからすれば、ゴッドの理性なんて感情との癒着が激しすぎて、どこまで理だか分かったものではない。
 それでも、無理だと分かってもやめないという事実が、彼にとってコントロール可能な自分というのがどれほどの意味を持つのか示している。今の思い通りにならない状態は相当につらいのだろう。
 それにグロウが同情を寄せることを、彼はきっと喜ばない。だとしても、意地でもそばにいることに意味を持たせたい。単純な、少女の恋の欲求だった。
 いつも聡いゴッドが、今日だけは気づかずにいてくれたらと底の浅い期待をして、グロウはまたベッドの傍らに膝をつく。
「陣、入れ直さないかんね」
「やっぱそうかー。次、左? またヒルダんとこ行くのか?」
「アクアに頼んだがようない?」
「うわ、こわ」
 おふざけみたいなやり取りに、ゴッドがふっと笑う。空元気でしかないのはグロウでなくても分かるほどだが、顔を隠すのはやめてくれた。
 魔力異常という現象の性質上、オレンジ色の瞳はどこかその光も弱く、揺れる水面のような不安定さを感じさせた。その奥に幼い頃の色がちらつくような気がして、グロウはついその瞳を覗きこむ。
「…………、」
 ゴッド、と呼びそうになった時、彼は瞼をおろして噛み合った視線を断った。
 同時にコンコンとノックの音。習慣としてこの部屋には返事を待たず、ドアが開かれる。
「ゴッド、だいじょぶー?」
 コップとペットボトルを持ったルビィと
「魔力異常なら、壊れた陣の処理すればマシになるかも」
 分厚い魔法陣の本を携えたアクアと
「ただいま帰った」
 たぶん、二人に連れてこられたのであろうユールとが顔を出した。
 ゴッドが平然とではないにしろ起きあがって、おかえり、と返す。グロウはその態度に感じたもやもやを一言にして、胸中で叫ぶ。
(……かっわいくない!!)


2014/01/20

ゴドグロで看病ネタって振られたんですが、先日10年ぶりに吐いたというタイミングがまずかった
そんな経験を私が創作に活かしたくない訳がなかった

グロウ視点だからもっと弱ってる姿にも惹かれるみたいな描写してもよかったかなあ
理性と感情の癒着の話ができたのでまあ満足です